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国語力の問題 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む97

国語力とは何か


 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を繰り返し読みながら、私が繰り返し悩まされてきたのはこの問題だった。この問題って何? それは「見出し」にも書いてあるけれどもう一度今から書くよ。つまり「国語力とは何か」という問題に関して繰り返し悩まされてきたのだ。
 それはおそらく国語力においては日本でもトップクラスである筈の平野啓一郎の文章を人にものを教えるほどの自負を持つ新潮社校閲部がチェックしていて、どうしてこんなことになるのかなと思うような文章があちこちに見つかるからである。

 三島にとって、この問いが痛切であったのは、言うまでもなく、パンデミックや環境問題ではなく、第二次世界大戦であり、だからこそ、彼は特攻隊を「一篇の詩」と語ったのだ。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

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A案 三島にとって、この問いが痛切であったのは、言うまでもなく、問われている現実がパンデミックや環境問題ではなく、第二次世界大戦であり、だからこそ、彼は特攻隊を「一篇の詩」と語ったのだ。

B案 三島にとって、残された手段は何であろうかという問いが痛切であったのは、言うまでもなそこで問われている現実がパンデミックや環境問題ではなく、第二次世界大戦であったからだ。だからこそ、彼は特攻隊を「一篇の詩」と語ったのだ。

 おそらく平野啓一郎は物凄く頭がいいので自分が言わんとしていることは書かなくても解るのである。しかし普通の読み手は言葉をもう少し適切に足さないと理解できない。

 その意味では平野啓一郎は言葉が自己と他者の間に開く共同性など歯牙にもかけない伸びやかさで非言語的な刹那の形態における差異の無効果を意識していると見做してしまうと彼自身の豊かな考察を極めて窮屈なものにしてしまうことになりかねない。

Needless to say, for Mishima, this question was poignant not because of pandemics or environmental problems, but because of World War II, which is why he spoke of the suicide missions as "a poem.

言うまでもなく、三島にとってこの問いが切実だったのは、パンデミックや環境問題ではなく、第二次世界大戦のせいだった。

 DeepLはかなり端折るな。

 それにしてもだよ、

 それにしてもこれはなんなのだ。

 つまりこの現実だよ。

 なんでこんな世界になっているの?

 言っていること分かります?

 今解らなくても今に解りますよ。


 

ハイムケル


 四十代になり、十代の自己へと「ハイムケル(帰郷)*21」しようとした時

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 Heimkehrの発音はハイムキアに聞こえる。三島は確かにハイムケルと言っているように聞こえなくもないが。


もう少し丁寧に


 戦後の保田は、一転して「憲法九条」の護持こそが「日本人の生きて行く道」(『祖国』一九五〇年)であると唱え、「絶対平和論」(『祖国』五二年)を主張するようになる。これは、憲法九条の改正を唱えて割腹自殺をした三島の立場とは正反対である。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 戦後の保田は、一転して「憲法九条」の護持こそが「日本人の生きて行く道」(『祖国』一九五〇年)であると唱え、「絶対平和論」(『祖国』五二年)を主張するようになる。この立場は、憲法九条の改正を唱えて割腹自殺をした三島とは正反対である。

 戦後の保田は、一転して「憲法九条」の護持こそが「日本人の生きて行く道」(『祖国』一九五〇年)であると唱え、「絶対平和論」(『祖国』五二年)を主張するようになる。これは、憲法九条の改正を唱えて割腹自殺をした三島とは正反対の立場である。

 戦後の保田は、一転して「憲法九条」の護持こそが「日本人の生きて行く道」(『祖国』一九五〇年)であると唱え、「絶対平和論」(『祖国』五二年)を主張するようになる。この態度は、憲法九条の改正を唱えて割腹自殺をした三島の行動とは正反対のものである。

 しかし「一転して」のニュアンスが「一九五〇年」では弱いのではないか。もう少し早い時期、少なくとも一九四六年以前の発言でないと「一転して」の感じが出ない。「一九五〇年」では「おそるおそる」とか「しぶしぶ」と感じてしまう。

 それに「Ⅳ『豊饒の海』論 7 保田与重郎と近親憎悪」の章において、保田の魅力を呪術的な文体のみに留めようとしている。これでは例の「ダマサレタ」感が出てしまいいかにもよろしくない。

 例えば吉本隆明は『日本近代文学の名作』において、戦後保田の本はみんな神田で売り飛ばして『ドストエフスキー全集』と『国訳太蔵経』を買ったとしながら『日本の橋』は今読んでもすぐれた作品であり、永続的なものだと書いている。

 彼の大きな思想的特色は「本当の強さとは弱いことにある」というものだった。

(吉本隆明『日本近代文学の名作』毎日新聞社 2001年)

 私が恐ろしいと思うのは平野が橋川文三の『日本浪漫派批判序説』における「悪魔的破廉恥」「徹底したイロニカルな弱者」という言葉をそのまま保田批判に用いて、まるで蓮田善明や三島由紀夫のように死んでみろと主張しているように感じられるところである。

 平野はそれも三島がそう言っているのだと言い逃れをするつもりかもしれないが、彼の政治思想は、

 但し、日本による朝鮮半島の植民地化や大陸侵略という国際的な「現実」には、批判の言葉がなく、変えるべき現実とは目されていない。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 このように彼個人の思想として唐突に挟み込まれるところに現れており、当時の戦争に賛成していようが傍観していようが、みんな詰め腹を詰まされて殺されてしまいそうな感じというものは確かにある。

 そんなにみんな死ななきゃならないものなのかね? 戦前と戦後で分人でいいじゃない。

 保田與重郎が日本文化の特色を語るうえで西欧との比較に力を入れたのは、日本がほとんど単独で西洋と対抗し、戦争をしなければならないかもしれないような雰囲気があったからだと思う。当時の日本を取り巻く時代状況がことさらそうさせていたと言えるかもしれない。

(吉本隆明『日本近代文学の名作』毎日新聞社 2001年)

 おそらく現代において一番解りにくくなっているのはこの感覚だろうと思う。本来「西洋と東洋」というバランスで語られるべき文化の問題が「西欧と日本」という歪な形で比較されていることへの疑問に対する答えの一つがこの感覚である。

 歴史というのは角度により色んな見え方がする。開国から終戦までの日本の歴史に関して、こんなことも知らなかったんだ、ということをこの漫画本は確かに教えてくれる。より具体的に言えば、アヘン戦争ってこんなにひどいのか、そういえばハワイって……と気づかせてくれる。これで全部わかったつもりになれるわけもないが、とにかく歴史というのは難しい。そのことに気がつくことが難しい。

 ここで私は戦争をめぐる認識に関して平野と議論するつもりはないが、保田與重郎一人が「悪魔的破廉恥」である筈もなく、三島の意識の中にもそういうものがない以上、ここは橋川文三にかこつけて、無意味な保田與重郎批判に流れ過ぎているところではないかと思う。自らの政治信条が滲み出ることは悪いことではないにしても「戦後も三島は保田與重郎を尊敬していた」という事実を無視している点は改め、三島が保田與重郎に何を見ていたのかを再確認した方がいいと思う。

何と何が?


 だからこそ、敗戦によって動員という目的が不要になった途端に、そのイデオロギーを唱道していた側が、自分たち自身は、実は、そうした詩的な「認識」を信じていなかった、と明かすことは、絶対に許せないのであり、『英霊の声』の特攻隊員の霊たちが天皇の人間宣言を批判するのは、上官たちに対する蓮田の怒りと、三島の中では不可分に結びついているのである。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 何と何が?

 ええと「蓮田の怒り」「特攻隊員の霊たち」の怒り、ということかな。

 つまりそれは……。

A案 だからこそ、敗戦によって動員という目的が不要になった途端に、そのイデオロギーを唱道していた側が、自分たち自身は、実は、そうした詩的な「認識」を信じていなかった、と明かすことは、絶対に許せないのであり、『英霊の声』の特攻隊員の霊たちが天皇の人間宣言を批判するのは、上官たちに対する蓮田の怒りと、特攻隊員の霊たちの怒りが、三島の中では不可分に結びついているからなのである。

B案 だからこそ、敗戦によって動員という目的が不要になった途端に、そのイデオロギーを唱道していた側が、自分たち自身は、実は、そうした詩的な「認識」を信じていなかった、と明かすことは、絶対に許せないのである。『英霊の声』の特攻隊員の霊たちが天皇の人間宣言を批判するのは、同じように戦中のイデオロギーを信じ続けた蓮田の怒りと、特攻隊員の霊たちの怒りが、三島の中では不可分に結びついているからなのである。

 こういうことなのかな?


「に」かあった方が良くない?


 更に、三島が何よりも蓮田に感情移入したのは、彼が戦後、徹底した無理解に曝されてきたことであり、その点では三島自身の当時の孤独だけではなく、見据えられていた死後の孤独の予見とも、『蓮田善明とその死』は強く共振したのだろう。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

A案 更に、三島が何よりも蓮田に感情移入したのは、彼が戦後、徹底した無理解に曝されてきたことに対してであり、その点では三島自身の当時の孤独だけではなく、見据えられていた自身の死後の孤独の予見とも、『蓮田善明とその死』は強く共振したのだろう。
 

 しかし実際三島はその死において、日本を代表するハラキリ、サムライ作家として世界の歴史に記録されることとなった。そして本人には「富士の見える場所にブロンズ像を建てよ」と遺言するほどのヒロイズムというものがあった。三島は周囲の無理解に対しては「僕の行動というのは絶対に理解されないという自信があります」と嘯いていた。

 孤独?

 死を待つ老人ホームの老人より、私の方が孤独だよ。


日本の加害責任


 三島のこの思考は、彼が第二次世界大戦の日本の加害責任を認識できないことと通底している。彼の戦死者たちへの思いは理解できるとしても、では、日本兵によって殺された人々はどうなるのか、という他者性は完全に欠落している。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 ここで言われている「この思考」とは戦死者たちを騙された者たちとして名誉を剥奪することは許されず、天皇中心の神国思想という認識をなかったことにはできないという考え方の事である。
 さすがに「第二次世界大戦の日本の加害責任を認識せよ」というのは三島由紀夫に振り向けられる批判としては筋違いに思える。三島が指摘しているのは「死ねという者の責任」であり、実際三島の理屈通りに事が運ぶとしたら、元帥閣下も死なねばならないのであり、保田與重郎とともに天皇を「悪魔的破廉恥」にしてみることが出来るかもしれないのだ。確かに三島由紀夫は日本兵に殺された人々の事は考えていない。しかしそれはその人々が信じる国家の責任者が考えるべきことではなかったか。……といいつつも結局そうした戦争や天皇を巡る公的領域のロジックは、三島由紀夫のエロティシズムを受け止めざるを得ない天皇という私的領域の問題にすり替えられてしまうのだから、そんなものを大日本帝国のイデオロギーの暴力性を否定する左翼の「知識人」と比較してもしょうがないと思う。

 既に述べたように左翼の民衆は『風流夢譚』的クーデターに憧れ、また知識人である林房雄などが最も暴力的な情動に駆られていたのだ。

 そして九月一日。関東大震災であった。地方新聞の全紙面は、もしその新聞が今日残っていたら、読者を驚かすよりも、噴飯させるにちがいない途方もない記事で埋められた。
「帝都一瞬にして焼け野原と化す」、
「富士山陥没す」、
「社会主義者にひきいられた朝鮮人大部隊、軍隊と交戦中」、
「江東方面に市街戦、当局鎮圧の見込みなしと語る」、
「皇太子殿御行方不明」。
 私を驚かせたのは、日本の首都の全滅でも、富士山の陥没でもなかった。東京に市街戦、即ち革命が起きたことであった。同志達は武器をとり、バリケードを築き、赤旗をかざして、帝国主義者の軍隊と戦っている。朝鮮人だけではなかろう。東京の全労働者と被圧迫民衆が革命軍に参加している。革命軍の一部は軍隊と警察の抵抗を排除して、皇居の中まで侵入したのであろう。皇太子の行方不明はその結果に違いない。
私は立ちおくれたと思った。ただ一人取残されたと思った。田舎の町のつまらない啓蒙活動に無駄な労力をつぎこんでいる間に、革命が起こってしまった。

(『狂信の時代』/『現代日本文學体系61』所収/林房雄/筑摩書房/昭和四十五年/p.52~53)

 唯一真面だったのは三木清や戸坂潤のような人たちで、ともに獄中で疥癬に苦しみ憤死させられていたような気がする。

 現在で言えば少なくとも、明らかに独裁者が支配している政党に加担することの恐ろしさに気がついていないこと、その程度の冷静さが欠けていることは批判されるべきかもしれない。しかし何も未来において神国思想を掲げて世界を征服しようとしている訳でもないのに、「第二次世界大戦の日本の加害責任を認識せよ」とはやはり言い過ぎではなかろうか。


絶妙にいらいらする文章というものがある


「世界解釈の小説」としての『豊饒の海』の主人公・本多繁邦が、「認識者」と規定されているのは、この意味である。事実、彼は、公的領域に於ける他者への影響力の行使という点では、ほとんど完全に無力であり、徹底して私的領域に閉じ籠もっている。そして、その戦後社会のニヒリズム分析として導入されたのが、唯識だった。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 意味は通じる。

 しかしどうしても直したい。

 
A案 「世界解釈の小説」としての『豊饒の海』の全編に登場する本多繁邦が、「認識者」と規定されているのは、このためである。事実、彼は、公的領域に於ける他者への影響力の行使という点では、ほとんど完全に無力であり、徹底して私的領域に閉じ籠もっている。そして、その戦後社会のニヒリズム分析ツールとして導入されたのが、唯識という考え方だった。

①『春の雪』における本多は副人物であり主人公とは言い難い。
②「この意味である」は「この意味においてである」と言い換えることもできるが「このため」とした方がすっきりする。
③公的領域における何か別の点が示されないならここはシンプルに。
④「ほとんど完全に」は不明瞭。
⑤「分析が唯識だった」でもなんとか意味が成立しそうだが、丁寧さに欠ける感じがする。

 どう?

 おかしいでしょ、この世界。

 私が今何をした?

 こんなことをするのは何回目?

 これが現実?

 みなさんの中にはそれなりに文章が書ける人がいて(そうじゃないとこんな文章はなから読めないでしょ?)、たまに頭の悪い上司の文章を直したりしていることと思う。基本的にダメな人の文章は無理に続けたがることから駄目になっているケースが多いように思う。よい子のみんなは一文一意、さび頭、マジックワード3、を意識して出来るだけわかりやすい文章を書くようにしよう。そうしないと自分の文章にごまかされて、ロジックがぐにゃぐにゃになってしまうよ。

[余談]

 書くことが多すぎて時間が足りない。

 平野君が「書き直します」と宣言してくれさえすれば、別のことに専念できるのに。

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