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谷崎潤一郎の『蘆刈』をどう読むか③ 水無瀬川に洲なんかないだろう。つまり「わたし」なんて存在しないってことか?

 それにつけてもゆふべは秋と何思ひけむと後鳥羽院が仰っしゃったようにもしこのゆうぐれが春であってあのおっとりとした山の麓にくれないの霞がたなびき、川の両岸、峰や谷のところどころに桜の花が咲いていたらどんなにかまたあたたかみが加わるであろう。思うに院のおながめになったのはそういうけしきであったに違いない。だがほんとうの優美というものはたしなみの深い都会人でなければ理解できないものであるから平凡のうちにおもむきのある此処の風致もむかしの大宮人の雅懐がなければ詰まらないというのが当然であるかも知れない。

(谷崎潤一郎『蘆刈』)

 谷崎はこうして田舎者をディスる。鎌倉武士を批判しているのか。それにしても「大宮人の雅懐がなければ詰まらない」は「大宮人の瓦解がなければ詰まらない」ではないのか、潤一郎!

 後年幕府追討のはかりごとにやぶれさせ給い隠岐のしまに十九年のうきとしつきをお送りなされて波のおと風のひびきにありし日のえいがをしのんでいらしった時代にももっともしげく御胸の中を往来したものはこの附近の山容水色とここの御殿でおすごしになった花やかな御遊のかずかずではなかったであろうか。などと追懐にふけっているとわたしの空想はそれからそれへと当時のありさまを幻にえがいて、管絃の余韻、泉水のせせらぎ、果ては月卿雲客のほがらかな歓語のこえまでが耳の底にきこえてくるのであった。そしていつのまにかあたりに黄昏が迫っているのにこころづいて時計を取り出してみたときはもう六時になっていた。

(谷崎潤一郎『蘆刈』)

 そうか。きこえてきたのか。本当に? 嘘ついていない? 幻聴? そんなことある? 映画じゃないんだから。それに歓語のこえっていうけど、鎌倉時代の日本語って随分違うよね。発音も。文字としての言葉なら馴染みがあるだろうけど、当時の発音はどう聞こえたかな。

 つまりね、明治時代の落語の聞き書きなんかでも、随分解り難いものなんだから、鎌倉時代となるとね、早々聞き取れないんじゃないかな。それが聞こえてくる? 嘘くさいな。

 ひるまのうちは歩くとじっとり汗ばむほどの暖かさであったが日が落ちるとさすがに秋のゆうぐれらしい肌はだ寒い風が身にしみる。わたしは俄にわかに空腹をおぼえ、月の出を待つあいだに何処どこかで夕餉をしたためておく必要があることを思って程なく堤の上を街道の方へ引き返した。
 もとより気の利きいた料理屋などのある町でないのは分っていたから一時のしのぎに体をぬくめさえすればいいのでとある饂飩屋の灯を見つけて酒を二合ばかり飲み狐うどんを二杯たべて出がけにもう一本正宗の罎を熱燗につけさせたのを手に提げながら饂飩屋の亭主がおしえてくれた渡し場へ出る道というのを川原の方へ下って行った。

(谷崎潤一郎『蘆刈』)

 狐うどんを二杯か。大盛りじゃなくて。肥るぞ、潤一郎!

 亭主はわたしが月を見るために淀川へ舟を出したいものだがというと、いやそれならば直じきこの町のはずれから向う岸の橋本へわたす渡船がござります、渡船とは申しましても川幅が広うござりましてまん中に大きな洲がござりますので、こちらの岸から先ずその洲へわたし、そこからまた別の船に乗り移って向う岸へおわたりになるのですからそのあいだに川のけしきを御覧になってはとそうおしえてくれたのである。

(谷崎潤一郎『蘆刈』)

 あーあ。ついに会話しちゃった。これで国木田独歩には負けたな。新しい意匠も出せないで、徹底しないまま、それを幻聴で誤魔化したってしょうがないだろうよ。それに水無瀬川の川幅って何メートルあるんだ?

 大きな洲なんかないだろう?

 さては、潤一郎! お前、嘘を書こうとしているな?

 だって水無瀬川ってそもそもが、

[1] 水の流れていない川。川床だけあって、水は伏流となって地下にもぐってしまうような川。また、水の非常に少ない川。水無瀬。みなしがわ。
※万葉(8C後)一一・二八一七「うらぶれて 物は思はじ 水無瀬川(みなせがは) 有りても水は 行くといふものを」
[2] 枕 (一)の水は地下を流れるところから、「下(した)」にかかる。
※万葉(8C後)四・五九八「恋にもそ人は死にする水無瀬河(みなせがは)下ゆ吾れ痩す月に日に異(け)に」

https://kotobank.jp/word/%E6%B0%B4%E7%84%A1%E7%80%AC%E5%B7%9D-639063

 本来は水無川じゃないか。だから信用できないんだよ。それに「下(した)」にかかるって、絶対そっちに持っていく気だろう、潤一郎!



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