親父でも息子でもない 芥川龍之介の『戯作三昧』をどう読むか⑰
青空文庫の「豕」には「し」とルビがふられている。
ここには『漢書』とあるが「朱浮伝」は『後漢書』にある。
解っていなさそうな人もいる。
なんだこれは?
こんな言葉の一つ一つを根無し草ではないところから持ってくる芥川は、この『戯作三昧』を書くために一体何冊の本を読んだのだろうか。そう思うためにはaudibleで聞き流してはいけない。しかしそういう人たちと自分が同じだと「どうして安々と認められよう」と言い切るまでにはこのくらいの調べ物が必要なのである。もう『戯作三昧』に関しては十六回も書いてきた.その間ずっと「虱」の事が気になっている。まだ「虱」が見つからない。そんな無駄なことをしなければ、たちまち厭ふ可き遼東の豕に落ちてしまう。
芥川のミスは果敢に挑戦したがゆえのミスである。知っていることだけを書けばミスはなかなか起きない。知らないことを調べて書くからたまにミスが起こる。芥川にはあきらめも悟りはない。
なかった。
仮に『歯車』を遺作の一つと認めるのであれば、芥川龍之介という作家は最期まで挑戦し続けていたと言ってよいだろう。だからこそ何で死んでしまったのか本当に解らない。
芥川は四十過ぎまで生きるつもりでいた。
芥川が言うところの「彼の尊敬する和漢の天才」には確かに曲亭馬琴が含まれるのであろう。後に芥川は芭蕉への尊敬を隠さないが、よくよく考えてみれば真正面から「書き手」として描かれたのは曲亭馬琴ただ一人ではあるまいか。それもこれも芥川が「八犬伝」をはじめとした馬琴の作品を読み、その遼東の豕ではないところを認めていたからであろう。そして遼東の豕ではないところを目指すためにはギフテッドでは片づけられないもの、ただひたすら真摯な努力の積み重ねがあったことを確信していたのであろう。どんな天才でも語彙は読書の積み重ねの結果でしか得られない。知らない言葉は天才でも知らないのだ。つまりある程度の語彙力がないと馬琴の語彙力に感心はできない。ただ圧倒されるか、悔し紛れに語彙力そのものを否定してしまうか、そういう負けしかない。
例えば「屑々たる作者輩」と書こうと思えば、柳亭種彦、式亭三馬、為永春水を読まねばならない。「屑々たる作者輩」と書くことで、芥川龍之介は井原西鶴の再評価から始まったとされる近代文学の歴史に噛みついたことになる。
そしてどうも芥川は饗庭篁村を読んでいる。晩年『近代日本文芸読本』を編集するために読んだのではなく、馬琴と繋がるために、割と早い時期に読んだのではあるまいか。
紅葉露伴の明治文学に対して、なお新しいものを馬琴から持ってこようとする芥川は大きな野心に充ちている。
三島由紀夫はある時気が付いた。近代文学がことごとく「息子の文学」であり「父親の文学」というものがほとんど見られないと気が付き、そして自分もなお「息子の文学」を書いていて「父親の文学」というものを書くことができないと。
この発見は文学史上では「ふーん」と無視されて、村上春樹と村上龍が「一人っ子の小説」と言い出した時にも省みられることはなかった。しかし芥川龍之介は気がついていたのではなかろうか。芥川は「百パーセントの女の子と出会うこと」に何の関心も示さなかった。『源氏物語』的なものを徹底して排した。その要素を切ることによって「息子の文学」であることを拒絶した。そういう意味では三島由紀夫は「そういえば、芥川は……」と気が付いても良かったのだ。しかし芥川作品は「父親の文学」でもないのだ。
と孫が出てきたから書いてみる。馬琴は息子でも親でもない。杜子春は息子だが、下人は息子ではない。多襄丸は息子だ。吉秀は息子ではないが親ともいえないだろう。つまり三島由紀夫の発見では芥川文学を整理できない。勿論芥川の作品を「一人っ子の小説」として括ることもできない。夏目漱石作品を「次男の文学」として括ろうとすると宗助や津田由雄が引っかかる。それ以上に芥川作品は多様なのだ。
ここで芥川が書いたのは「いかにもありがちなおじいちゃんと孫」であり、その設定にさしたる意味はなかろう。家族を全部留守にしておいて、芸術の本質を語り、静に絶望の威力と戦ひつづけ、そして孫の登場と同時に別人が現れる。この「すじ」には意味があろう。家族と芸術は相容れないものである。芥川がここでそんなテーゼを表現しようとしていたかどうかは曖昧ながら、三島由紀夫が発見したようにみな「息子の文学」ばかりであるのは、「親父の文学」というものが本質的に極めて困難なものだからである。
仮に「親父の文学」なるものがあり得るとして、それは当事者足りえないことを意味する。息子はその頼りないペニスを根拠として、いつでも当事者足りえる。(これは女性作家にも当てはまる。娘の文学はいくらでもあるが母親の文学は見当たらない。)芥川はそのたくましいペニスを文学に持ち込むことなく、寝たきりの旦那にまたがってまで妊娠して見せる女まで描いた作家である。
井原西鶴とは違い、馬琴にもペニスを文学に持ち込まないようなところがなかっただろうか。『源氏物語』、井原西鶴、勧善懲悪、息子の文学、そうしたものが芥川文学にはないと気が付いたところで今日はこれまで。
明治が始まる前は相当大変だったんだな。それにしても卍隊、乳虎隊って……。
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