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川上未映子の『青かける青』は何が恐いか?


 脳がスコン以来の久々の川上未映子。雰囲気だけで読ませようとする短編も悪くはないが、やはり私は「知的なひねり」があるものが好きだ。

 それで『青かける青』の何が恐いかと言えば、

文章を書くことじたいがとても久しぶりのことで

(川上未映子『春のこわいもの』新潮社 2022年)

 という「ふり」がさりげなく効いていて、

 このあいだ先生が言っていたのですが、もしわたしが二十年くらい早く生まれていたら、わたしのこの症状には病名はなくて、ただの怠け病として、治療を受けることもできなかったそうです。

(川上未映子『春のこわいもの』新潮社 2022年)

……と、一頁目でもう「ひっかかり」を拵えていて、

 それにね、もしかしたら現実のわたしはもうとっくの昔におばあちゃんになっているのに、認知症か何かになっていて、二十一歳のわたしだと思い込んでいるだけかもしれないんだもんね。

(川上未映子『春のこわいもの』新潮社 2022年)

 ……と、分かりやすい多義性を持ち込んでおいて、賺しすぎないところがいい。

 だから結びの、

ずっと、ずっと元気でいてください。お元気で。 

(川上未映子『春のこわいもの』新潮社 2022年)

 で、ガラガラガラと頭が回転する。

 え? つまりコロナ禍で他人と会えない日々が続く中、人々はやむを得ず一人で過ごす時間が増えてきたけれど、ふと思えば、うつ病なんて明治時代から病気として存在したわけだから、これは明治以前とは言わないまでも、「怠け病」というものが広く認知されていた時代から二十年後に生まれた人の話で、この人はもう老人で、認知症で、元気でって書いている手紙の相手の「きみ」なんて人は、もうこの世にはいないんじゃないの?

 ……と思うと少し怖い

 二十一歳で「文章を書くことじたいがとても久しぶり」てことはまずないものね。

 なんならそれはわれとわが身の醜さの指摘でもある。

 要するに、高齢の男性が若い女性に話しかける時、自分の年齢を忘れてしまっているような「おぞましさ」というものが間違いなくある。過不足なく年をとることは大切で、年をとれなくなるということは、自認の感覚がおかしくなること、つまりある意味では自分の年を忘れるという認知障害ではないかと。

 題名の『青かける青』といい、幼い手紙の文章といい、いかにも若さを思わせながら、どどめ色を拵えて行く。この川上未映子の手練れには呆れるしかない。




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