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岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する177 夏目漱石『明暗』をどう読むか26 老けていると言ってはいけない

油を濺いで

 再び机の前に取って返したお延は、その上に乗せてある状差の中から、津田宛で来た手紙を抜き取って、一々調べ出した。彼女はそんな所に、何にも怪しいものが落ちているはずがないとは思った。しかし一番最初眼につきながら、手さえ触れなかった幾通の書信は、やっぱり最後に眼を通すべき性質を帯びて、彼女の注意を誘いつつ、いつまでもそこに残っていたのである。彼女はつい念のためという口実の下に、それへ手を出さなければならなくなった。
 封筒が次から次へと裏返された。中身が順々に繰りひろげられた。あるいは四半分、あるいは半分、残るものは全部、ことごとくお延によって黙読された。しかる後彼女はそれを元通りの順で、元通りの位置に復した。
 突然疑惑の焔が彼女の胸に燃え上った。一束の古手紙へ油を濺いで、それを綺麗に庭先で焼き尽している津田の姿が、ありありと彼女の眼に映った。その時めらめらと火に化して舞い上る紙片を、津田は恐ろしそうに、竹の棒で抑えつけていた。それは初秋の冷たい風が肌を吹き出した頃の出来事であった。そうしてある日曜の朝であった。二人差向いで食事を済ましてから、五分と経たたないうちに起った光景であった。箸を置くと、すぐ二階から細い紐で絡げた包を抱えて下りて来た津田は、急に勝手口から庭先へ廻ったと思うと、もうその包に火を点けていた。お延が縁側へ出た時には、厚い上包がすでに焦げて、中にある手紙が少しばかり見えていた。お延は津田に何でそれを焼き捨てるのかと訊きいた。津田は嵩ばって始末に困るからだと答えた。なぜ反故にして、自分達の髪を結う時などに使わせないのかと尋ねたら、津田は何とも云わなかった。ただ底から現われて来る手紙をむやみに竹の棒で突ッついた。突ッつくたびに、火になり切れない濃い煙が渦を巻いて棒の先に起った。渦は青竹の根を隠すと共に、抑えつけられている手紙をも隠した。津田は煙に咽ぶ顔をお延から背けた。……
 お時が午飯の催促に上って来るまで、お延はこんな事を考えつづけて作りつけの人形のようにじっと坐り込んでいた。

(夏目漱石『明暗』)

 小林が帰った後、お延は抽斗、本箱、戸棚の中に津田の秘密を探そうとする。しかしそこには怪しいものは見つからない。そして手紙が焼かれたことを想い出す。これが清子からのものならば、津田は結婚後も清子の手紙を持っていて、初秋のある日曜日、つまりそう遠くない過去にわざわざ油を灌いで焼いていたことになる。

 如何にも怪しい。しかも絶妙のタイミングだ。

 そしてもしこの手紙の束が清子からのものであれば、清子と津田の間には思っていたよりも長い期間の交際があったということになる。

 思っていたよりも長い?

 そう、私はこれまで津田と清子との交際は精々半年くらいなものではないかと漠と想像していた。しかしよほどのことがない限り、半年では手紙の束は出来ない。会える距離に住んでいたら葉書で済ませることも多かろう。林檎を剥いてくれる関係ならば会えていたということになる。

 ここで津田と清子の交際期間が俄然気になってくる。

 もしも「古手紙」が文字通りのものならば、清子と津田の交際は数年続いていたということになるかもしれない。

それは間違でも何でもなかった

 お延より一つ年上のその妹は、もう二人の子持であった。長男はすでに四年前に生れていた。単に母であるという事実が、彼女の自覚を呼び醒さますには充分であった。彼女の心は四年以来いつでも母であった。母でない日はただの一日もなかった。
 彼女の夫は道楽ものであった。そうして道楽ものによく見受けられる寛大の気性を具えていた。自分が自由に遊び廻る代りに、細君にもむずかしい顔を見せない、と云ってむやみに可愛いがりもしない。これが彼のお秀に対する態度であった。彼はそれを得意にしていた。道楽の修業を積んで始めてそういう境界に達せられるもののように考えていた。人世観という厳しい名をつけて然しかるべきものを、もし彼がもっているとすれば、それは取りも直さず、物事に生温く触れて行く事であった。微笑して過ぎる事であった。何にも執着しない事であった。呑気に、ずぼらに、淡泊に、鷹揚に、善良に、世の中を歩いて行く事であった。それが彼のいわゆる通であった。金に不自由のない彼は、今までそれだけで押し通して来た。またどこへ行っても不足を感じなかった。この好成蹟がますます彼を楽天的にした。誰からでも好かれているという自信をもった彼は、無論お秀からも好かれているに違ないと思い込んでいた。そうしてそれは間違でも何でもなかった。実際彼はお秀から嫌われていなかったのである。

(夏目漱石『明暗』)

 これまでお延に張り付いていたカメラは九十一章で一旦全体の説明者として神の視座を持つ。堀の心の中に入り込み、秀子の心の中に入り込む。読者に説明をしてしまう。

 新人がこれをやるとまず話者の立ち位置がぐらぐらしていると指摘されるところだ。

 ところでこのように話者が語るところの堀は、金に不自由なく、何にも執着しないで、呑気に、ずぼらに、淡泊に、鷹揚に、善良に、世の中を歩いて行くとは羨ましい限りだ。これを話者は「通」というが、まさにこれで則天去私の一つのモデルではないかと思えてくる。

 小林と違って堀は誰にも迷惑をかけていない。「むやみに可愛いがりもしない」という辺りは、自分の子供がめっかちになっても「ああそうか」と言える心境に通じそうだ。

 しかしこの堀は直接的には前に出てこない。


器量望みで貰われたお秀

 器量望みで貰われたお秀は、堀の所へ片づいてから始めて夫の性質を知った。放蕩の酒で臓腑を洗濯されたような彼の趣もようやく解する事ができた。こんなに拘泥の少ない男が、また何の必要があって、是非自分を貰いたいなどと、真面目に云い出したものだろうかという不審さえ、すぐうやむやのうちに葬られてしまった。お延ほど根強くない彼女は、その意味を覚る前に、もう妻としての興味を夫から離して、母らしい輝やいた始めての眼を、新らしく生れた子供の上に注がなければならなくなった。

(夏目漱石『明暗』)

 こう言われてみて改めて、器量望みで貰われた津田というものが想像され、津田の根本的な疑問、

・おれはまたどうしてあの女と結婚したのだろう
・おれはいまだかつてあの女を貰おうとは思っていなかったのに

 という疑問の意味がようやく少し解ってきたように思う。

 津田は二重瞼が好きなのだ。お延は目が細すぎる。容貌の劣者なのだ。二人は見合い結婚のようだ。お延が美人でないなら、やはり何故津田がお延を貰うことになったのか、そこは解らないところではなかろうか。

 無論津田自身がそれを云うのはおかしい。しかし津田以外なら、どうしてお延なのか、と不思議がってもおかしくはない。「こんなに拘泥の少ない男が、また何の必要があって、是非自分を貰いたいなどと、真面目に云い出したものだろうかという不審」よりもはるかに不審だ。話者が言う通り「器量望みで貰われた」ですべて片付いている。

 その昔ある女子柔道家がプロ野球選手と結婚した時、相当すごい技の持ち主に違いないと噂されたことがある。喉の奥の使い方が上手いのではないかと言われていた。お延にはそう言うところは見えない。あるいはお延にはむしろ何か問題があるのではないかとさえ思えてくる。

お秀のお延と違うところは

  お秀のお延と違うところはこれだけではなかった。お延の新世帯が夫婦二人ぎりで、家族は双方とも遠い京都に離れているのに反して、堀には母があった。弟も妹も同居していた。親類の厄介者までいた。自然の勢い彼女は夫の事ばかり考えている訳に行かなかった。中でも母には、他の知らない気苦労をしなければならなかった。

(夏目漱石『明暗』)

 ここは漱石が酷い。容貌の劣者お延と器量の良いお秀を比べている。そんなに顔をいじらなくてもいいと思う。顔なんて好き好きだし。

 いやそこではなくて、秀子が堀の家で堀の母と弟と妹と厄介者とで暮らしていて大家族の中にあるというところをみなくてはならないだろう。そして子育てをしている。大家族の中の嫁には気苦労が多かろう。この環境から夫婦二人で住み、下女を雇い、実家から仕送りをしてしまっているお延が「勝手」に見えるというわけだ。夫婦二人のことしか考えていないのがそもそも宜しくないという理窟はこの環境から生まれる。

 初見では秀子が夫婦を責めるのが「余計な口出し」に思えたものだが、当時の価値観、家父長制、大家族の嫁という立場を考えると、秀子の立場は旧弊ではあるものの、言っていることは「余計な口出し」でもないような気がして来る。

四歳つの子持とはどうしても考えられないくらい


 器量望みで貰われただけあって、外側から見たお秀はいつまで経たっても若かった。一つ年下のお延に比べて見てもやっぱり若かった。四歳つの子持とはどうしても考えられないくらいであった。けれどもお延と違った家庭の事情の下に、過去の四五年を費やして来た彼女は、どこかにまたお延と違った心得をもっていた。お延より若く見られないとも限らない彼女は、ある意味から云って、たしかにお延よりも老けていた。言語態度が老けているというよりも、心が老けていた。いわば、早く世帯染みたのである。

(夏目漱石『明暗』)

 これは漱石が悪い。器量はしょうがない。しかしこれでは一つ年上で四歳の子持ちの秀子よりお延の方が老けて見えると言っている訳で、容貌の劣者で老けていてプライドが高くて気の強いお延のどこがいいのか、と書いてしまっていることになる。これはいけない。

 しかも仮にお延が年齢並みに見えるのだとしたら、秀子は二十二歳以下に見えるということになる。十八で嫁に行けば二十二歳で四歳の子持ちになれるので、やはりここはお延が年齢より老けて見えると言っているのだ。

 何で津田はお延を嫁に貰ったのだろうか? 

あれほど派手好きな女

 こういう世帯染みた眼で兄夫婦を眺めなければならないお秀には、常に彼らに対する不満があった。その不満が、何か事さえあると、とかく彼女を京都にいる父母の味方にしたがった。彼女はそれでもなるべく兄と衝突する機会を避けるようにしていた。ことに嫂に気下味い事をいうのは、直接兄に当るよりもなお悪いと思って、平生から慎しんでいた。しかし腹の中はむしろ反対であった。何かいう兄よりも何も云わないお延の方に、彼女はいつでも余分の非難を投げかけていた。兄がもしあれほど派手好きな女と結婚しなかったならばという気が、始終胸の底にあった。そうしてそれは身贔負きに過ぎない、お延に気の毒な批判であるという事には、かつて思い至らなかった。

(夏目漱石『明暗』)

 流石にお延に気の毒になったのか、この「あれほど派手好きな女」というお延に対するお秀の見立てに関しては、話者が「身贔負きに過ぎない、お延に気の毒な批判である」とお延の味方をしてくれている。

 ここでお秀は「兄がもしあれほど派手好きな女と結婚しなかったならば」と比決定論的立場を明らかにしている。兄は別の嫁を選ぶことができた、し、たまたまお延が選ばれてしまったのだと、起きてしまった事実を恨んでいる。この立場は当然津田のものとは異なる。
 しかし「津田の嫁がお延であること」に異議を挟んでいる点では兄と同じだ。


派手好なお延が嫌いだ

 お秀は自分の立場をよく承知しているつもりでいた。兄夫婦から煙たがられないまでも、けっして快く思われていないぐらいの事には、気がついていた。しかし自分の立場を改めようという考は、彼女の頭のどこにも入って来なかった。第一には二人が厭がるからなお改めないのであった。自分の立場を厭がるのが、結局自分を厭がるのと同じ事に帰着してくるので、彼女はそこに反抗の意地を出したくなったのである。第二には正しいという良心が働らいていた。これはいくら厭がられても兄のためだと思えば構わないという主張であった。第三は単に派手好なお延が嫌いだという一点に纏められてしまわなければならなかった。お延より余裕のある、またお延より贅沢のできる彼女にして、その点では自分以下のお延がなぜ気に喰わないのだろうか。それはお秀にとって何の問題にもならなかった。ただしお秀には姑があった。そうしてお延は夫を除けば全く自分自身の主人公であった。しかしお秀はこの問題に関聯してこの相違すら考えなかった。

(夏目漱石『明暗』)

 この「お延より余裕のある、またお延より贅沢のできる彼女にして、その点では自分以下のお延がなぜ気に喰わないのだろうか」という話者の疑問はお秀にはない。

 ここ(九十一章)でもう一度「派手好なお延」と言われているのは、やはり「あなた個人の感想ですよね」という要素はあるにせよ、「檜扇模様の丸帯」で予告されていて、この後九十五章で出て來る「津田の財力には不相応と見えるくらいな立派な指輪」に繋がるふりということにはなるのだろう。


お秀と顔を見合せた

 前の晩よく寝られなかった津田は、その朝看護婦の運んで来てくれた膳にちょっと手を出したぎり、また仰向けになって、昨夕の不足を取り返すために、重たい眼を閉っていた。お秀の入って来たのは、ちょうど彼がうとうとと半睡状態に入いりかけた間際だったので、彼は襖の音ですぐ眼を覚さました。そうして病人に斟酌を加えるつもりで、わざとそれを静かに開けたお秀と顔を見合せた。

(夏目漱石『明暗』)

 しばらくお延に寄り添っていて、前章ではお秀の説明をしていた話者が九十二章になって再び津田に寄り添い、お延を待ち受けることになる。なおここで時間は直線的な進行を止めている。

 九十章でお延が昼飯を食べたにもかかわらず、九十二章はまだ朝である。この回想ではないのに時間が戻る感じというのも漱石作品では初めてではなかろうか。全体が回顧の形式でない場合、このやり方はなかなか際どいものだ。例えば『絶歌』では前半の「父の涙」の章で、時間軸としては後半部に属する出来事が書かれている。多分ほとんどの読者がそのからくりにさえ気が付いていない筈だ。時間をずらすというのはなかなかややこしいことなのだ。


膳を階子段の上り口まで運び出した

「兄さん、こりゃもう済んだの。まだ食べかけなの」
 実際津田の片づけかたは、どっちにでも取れるような、だらしのないものであった。
「もう済んだんだよ」
 お秀は眉をひそめて、膳を階子段の上り口まで運び出した。看護婦の手が隙かなかったためか、いつまでも兄の枕元に取り散らかされている朝食の残骸は、掃除の行き届いた自分の家を今出かけて来たばかりの彼女にとって、あまり見っともいいものではなかった。
「汚ならしい事」
 彼女は誰に小言を云うともなく、ただ一人こう云って元の座に帰った。

(夏目漱石『明暗』)

 カメラはお延を離れて津田に寄り添ったといいながら「膳を階子段の上り口まで運び出した」というところではお秀を追いかけて一旦病室を出ている。これもかなり珍しい書き方で、村上春樹さんの『騎士団長殺し』くらいでしか見かけない。恐らく凡ミスだと思われて編集者に注意されるのが面倒くさいので、若手中堅作家はこういう書き方をしないのだろう。

「汚ならしい事」


 この「誰に小言を云うともなく、ただ一人こう云って」というのが漱石の上手いところ。もしも津田が朝っぱらから外套を取りに家に押しかけなければ、先にお延が片付けていたかもしれなかったのだ。お延が『明暗』を読めばここでお秀に対して嫌味たらしいと感じるとともに、小林は何で朝っぱらから邪魔しに来たのかと腹を立てることだろう。お秀はここをまだ理屈で繋げないが、嫂は来ていないのか、家で何をしているのだろうと考えてもおかしくない。

 従ってこの「汚ならしい事」という言葉はかなりの毒を含んだ言葉なのだ。またここに小さく挟み込まれている「掃除の行き届いた自分の家」には大家族の嫁としてのお秀のプライドが現れているところ。


[余談]

 岩波は「横倒しに引ひッ繰り返かえされた牛乳の罎の下に、鶏卵の殻が一つ、その重みで押し潰つぶされている傍に、歯痕のついた焼麺麭が食欠けのまま投げ出されてあった。」という食事について大正元年九月二十七日のものとほぼ同じというが「食事パン半斤の二分一。鷄卵二。ソツプ一合。牛乳は斷はる。」の食事パン半斤の二分一はかなり大食い。鶏卵も半分に、ソップもない。何しろ日記には焼麺麭がない。

 病人にはトーストは出さないのではなかろうか。

 別日には牛の刺身が出ているけれど。

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