芥川龍之介の『邪宗門』をどう読むか25 さっぱりしてから読もう
そういえば辞書にない
当たり前すぎて当たり前だからなのか、この「布(し)こうずる」の「ずる」は辞書に説明がない。意味としては「という」という程度のことだが、
調べてみても「~ずる」の説明が見当たらない。なんでや?
そしてふと気が付く。中御門の姫様の話はどうなったのかと?
つまりここで摩利信乃法師は「天上皇帝の神勅を賜って、わが日の本に摩利の教を布こうずる」という大義、建前を述べているが、その実中身である菅原雅平の本音の部分では、中御門の姫様という個人的なターゲットがあり、そのことで堀川の若殿様との三角関係が生じてこそ物語が進行するのではないかと。
そしてまた気が付く。そういう意味では『地獄変』は息子の文学ではなく、ファーターの文学でも無かったなと。
摩利信乃法師は独身だろう。話者も甥も独身のように思える。そういう意味では『邪宗門』は息子の文学で、独身者の文学なのかと。
そしてまた気が付く。わざわざ裸足とは、中島美嘉かアベベか、と。何で裸足なん? と。『さまよえる猶太人』の前振りだろうか。
稲妻に道きく女はだしかな 鏡花
あるいは「肩へ長い髪を乱しながら」だと解り難いが、「渦を巻いて肩の上まで垂れ下った髪の毛」ということは名古屋巻きなのかと。
これはこの時代ではトランスなのではないかと。
あるいは十文字の護符はカソリックではなく、プロテスタントのものではないかと。そして「誰か供のものが、さしかざしてでもいたのでございましょう」とあることから、幟を預けられる弟子が出来たのかと。
呪文無しでも効果があるのか
これまで摩利信乃法師の能力は様々なパターンが描かれてきた。最初の鍛冶相手では「やられたと思いきややった相手が倒れて泡を吹く」というものだった。それが「狙っただけで殺される」ようになり、話者と甥の場合には十文字の護符を振り回して呪文を唱えると幻覚が見えてやられる、というところに落ち着いたかと見えた。それが今度は呪文無しでも幻覚を見せられるようだ。
本来必殺技というのはワンパターンでなくてはならない。使い方や効果がまちまちではいけない。無限の力を与えてはいけないが、効果は絶大でなくてはならない。その辺りのコツと云うものは、当然芥川も理解してい筈なのだが、
病気になるわ目がつぶれるわと、ここで摩利信乃法師の法力は一旦万能になってしまっている。こうなると、十文字の護符が光って人が倒れるだけだとやけにあっさりしているなと感じてしまう。
パターンが一定しないならしないで、次第に大袈裟になるならまだ解る。しかし白癩にされたり目がつぶされたりしていたのだから、ここは木っ端みじんに体が肉片となって飛び散るくらいしてもいい筈だ。(え? 白癩にされたり目がつぶされたりって、そのまま「最下層というアイデア」じゃないか。つまりハンデキャップだ。わざわざそういうものを与えているということは、芥川も「弱法師」を意識しているのか?)
だがこうして話者が見たところでは、起こっていることは精々幻覚でしかない。相手を惑わかしているのであって、物理的に何かか作用したとは認めがたい状況がある。
これでは少ししんどい。こうなると摩利信乃法師の長い髪は地毛ではなく鬘で、『羅生門』の老婆が死体から抜いた毛で作ったものであり、菅原雅平だとばれないのは菅原雅平が禿げだったからではないかという気がして来る。髪の毛のあるなしで人の印象というのはかなり変わるものだ。
創造神だったのか
なるほどここで天上皇帝の正体が唯一無二の創造神だと解った。
これは日本にはそもそもなかった考え方だ。いや「すめらみこと」を創造神だと書いている人がいなかったわけではない。
しかしそれは極めてまれな、独創的アイデアではなかろうか。無論「天上皇帝」を唯一不二の大御神として、阿弥陀如来を妖魔扱いする芥川のアイデアこそが極めてまれで、独創的なのだが、こうした宗教対立が起きうるということ自体は、論理的に起こりうることであり、信じがたいことではない。
間もなくこうした破壊行為が日本全土に広がるだろう。
芥川は切支丹ものを通じて信仰の尊さそのものは殆ど語ってはいない。切支丹迫害、廃仏毀釈の歴史を眺めても、宗教というものはそもそも対立するもので、そこには常に殺伐としたものがある。その殺伐の象徴が例えば十字架なのだ。『邪宗門』でやたらと強調された十文字の護符が十字架なのだとしたら、ここで摩利信乃法師が持ち掛けた十字軍的喧嘩こそ、摩利の教を布こうずるにふさわしいやり方と言えるかもしれない。
それにしてもここで若殿様の変節だとか、案外あっさり落ちた中御門の姫様の本音とか、さまざまなものが打ち捨てられたまま散らかってきた感じがありありとする。
平太夫の反撃もまだない。
そしてここでいきなりテーマのように出てきた宗教対立も唐突感があり過ぎる。
これではいかに天才芥川とは言え、なかなかまとめるのは難しいのではなかろうか。それとも何とかしてまとめてしまうのか。その答えはまだ誰も知らない。何故ならまだこの続きを読んでいないからだ。
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