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三島由紀夫の書簡を読む④ 本当は好きなんだ

滅亡の叙事詩

 太宰治氏「斜陽」第三回も感銘深く読みました。滅亡の叙事詩に近く、見事な芸術的完成が予見されます。しかしまだ予見されるにとどまつてをります。完成の一歩手前で崩れてしまひさうな太宰氏一流の妙な不安がまだこびりついてゐます。太宰氏の文学はけつして完璧にならないものなのでございませう。しかし叙事詩は絶対に完璧であらねばなりません。「斜陽」から、こんな無意味な感想を抱いたりいたしました。
                 昭和二十二年十月八日

(「川端康成宛書簡」『決定版 三島由紀夫全集第三十八巻』)

 しまいには「太宰は嫌いだ」とだけ言うようになる平岡公威の、公正なる審美眼がここには現れていよう。正直に語ればこの時平岡公威はやはり太宰治が好きだったのに違いない。
 そしてこれが川端康成宛の手紙であるということも面白いところ。

 実は太宰治と川端康成の関係は『川端康成へ』で完結しているものではなく、

 その後も太宰治から川端康成には太宰らしい訳の分からない手紙が何度か届いていたらしい。その内容は定かではないが、どうも攻撃一筋ではなかったようだ。

 従って川端康成の前では太宰治の話はタブーというわけでもなかったようだ。


自伝小説?


 私、近頃、怠け者になり仕事も〆切間際に忙しがるやうなことばかりやつてをりまして、お恥ずかしく、十一月末よりとりかゝる河出の書き下ろしで、本当に腰を据えた仕事をしたいと思つてをります。「仮面の告白」といふ仮題で、はじめて自伝小説を書きたく、ボオドレエルの「死刑囚にして死刑執行人」といふ二重の決心で、自己解剖をいたしまして、自分が信じたと信じ、又読者の目にも私が信じているとみえた美神を絞殺して、なほその上に美神がよみがへるかどうかを試めしたいと存じます。ずいぶん放埓な分析で、この作品を読んだあと、私の小説をもう読まぬといふ読者もあらはれやうかと存じ、相当な決心でとりかゝる所存でございますが、この作品を「美しい」といつてくれる人があつたら、その人こそ私の最も深い理解者であらうと思はれます。しかし日本戦後文学の世界のせまさでは、又しても理解されずに終わつてしまふかとも思はれますが……
                昭和二十三年十一月二日

(「川端康成宛書簡」『決定版 三島由紀夫全集第三十八巻』)

 はい。宣伝ご苦労様。
 この年太宰の『人間失格』が出たばかり。やはりその影響が皆無ということはなかろう。なんなら完成の一歩手前で崩れてしまひさうな太宰氏一流の妙な不安に抗して、完璧な叙事詩を仕上げるという魂胆があったかもしれない。

 この『仮面の告白』が自伝小説、私小説、告白ではないことに関しては既に書いた。

 粗野で無学な逞しい男に抱かれたい、しかし女性に恋をしているという観念を自らに押し付けて、戦争を言い訳にのらくら逃れようとする。しかし戦後と共にインポテンツという現実と向き合わなくてはならない。既に人妻となった園子と会い続けることで、「私」は時間稼ぎをしている。

 昭和三十三年三月、杉山瑤子との縁談がまとまる前、三島は周囲の何人かに「女とシタ」と漏らしている。『仮面の告白』は1949年(昭和24年)7月5日発売の書下ろしであることから、そこには事実そのまままではないにせよ、少なくとも「女性経験のない三島由紀夫」の投影があったと言ってよいだろう。しかし『回想 回転扉の三島由紀夫』(堂本正樹、文藝春秋、2005年)によれば『仮面の告白』が書かれた当時、三島由紀夫は既に「ブランズウィック」というゲイバーの上玉客だった。三島はこの時点で自分が同性愛者であることを恐れてはおらず、針は既にそちらに振れていたように思える。

 しかし小説『仮面の告白』では主人公の苦悩をうまく告白できている。人妻に童貞を疑われる恐怖、そんなものはもう三島の中にはなかったはずだ。園子との別れ際物欲しそうに半裸の青年を見ようとした「私」が仄めかすものを三島は『仮面の告白』ではまだ書かなかった。「あ、やったな」と思わせる仕掛けである。つまり三島はその先を『禁色』で書くために残したのであろう。今はやすやすと事を運ばぬ方がいい、肥担ぎのふりが落ちなくてもいい。三島はそんな風に考えたのだろう。

 それにしても戦闘機の空中戦では敵味方どちらが墜落しても歓声の湧く見物であり、終戦が結婚を強いられかねない恐るべき日常生活の始まりであるという見立ては、結果として単なる同性への情欲を描くことよりも痛切な戦争批判になっている。ここでまだ明らかでないものが、やがて明らかになることを知っていて、その上で読んでも面白いのは、三島由紀夫がやはり徹底的に何かを隠し続けていたからだ。

 それは小さなおちんちんではなく、ほにゃららほにゃららである。

 私のものを書く手が触れると同時に、所与の現実はたちまち瓦解し、変容するのだった。ものを書く私の手は、決してありのままの現実を掌握することができなかった。ありのままの現実は、どこか欠けているように思われ、欠けているままのその「存在の完全さ」は、私に対する侮辱であるように思われた。ものを書きはじめると同時に、私に鋭く痛みのように感じられたのは、言葉と現実との齟齬だったのである。
 そこで私は現実の方を修正することにした。(中略)しかしこの出発点における確信は、後年、手痛い復讐を私自身の人生に加えることになるのである。

(「電燈のイデア」三島由紀夫、新潮日本文学付録より)

 書くという営みのいかがわしさをつゆほども疑わない者を私は物書きとは認めない。電車は平面ではなく、砂利という曖昧なものの上を走る。ポテトサラダにはきゅうりと人参が入っている。冷蔵庫はたまに燃える。

健康な書き下ろし小説


 目下、神島といふ伊セ湾の湾口を扼する一孤島に来てをります。「金色」の次の、ああいふデカダン小説とは正反対の健康的な書き下ろし小説を書く準備に、調査に来てゐるのです。
          昭和二十八年三月十日

(「川端康成宛書簡」『決定版 三島由紀夫全集第三十八巻』)

 まあ、別世界の神話である。

武士道とは生きることとみつけたり


 地上を走るものなら大丈夫と思ひ、自動車の運転を習ひ、やつとライセンスをとりましたが、これもまた、怖くて怖くて、ハンドルはたちまち冷や汗でツルツルしてしまひます。やつぱりお面をかぶつて竹刀で叩く剣道が一番安全です。「武士道とは生きることとみつけたり」
              昭和三十七年七月二十九日

(「ドナルド・キーン宛書簡」『決定版 三島由紀夫全集第三十八巻』)

 どういうわけか三島はキーンにはユーモアたっぷりの手紙を書いている。しかし「雪翁」のペンネームもキーン宛だ。案外これが素の三島なのではと思わせる。


愛した人にだけ可能

 数日前、「日本の文学」の太宰治集が届き、キーンさんの解説を早速拝見いたしました。これは、僕がもつとも理想的な「解説」と考へるものです。日本の評論家の解説は、多く細部を無視し、理屈のために作品をねじ曲げ、作家はそのため、いつも苦い思ひを心の底に持たねばなりません。この太宰治集の御解説は、日本の批評家がほとんど触れない文体、構成、描写、技巧などについて、周到な分析をされ、実に納得のゆくやうに書かれてゐるのみならず、一方、批評は批評として、太宰のキリスト教についてのズバリとした御意見やら、「走れメロス」(小生もこれは少しもいいとは思ひません)の否定やら、太宰をよく読み、よく愛した人にだけ可能な正しい批判があります。近来の名解説と存じます。(小生の「私の遍歴時代」の中の、太宰氏の思ひ出の章も読んでください)
               昭和三十九年四月十五日

(「ドナルド・キーン宛書簡」『決定版 三島由紀夫全集第三十八巻』)

 これはとても恥ずかしい話だと思うが、どういうわけか太宰が好きだという人は三島が嫌いな人が多く、三島が好きだという人には太宰ぎらいが多い。つまり両方しっかり読めている人はかなり少ない。 

 しかしそういうことではないと思うのだ。

 そしてここで三島が言う「多く細部を無視し、理屈のために作品をねじ曲げ」という批評は本当にうんざりするものだ。

 好き嫌い批評もそうだし、自分の知性の足りないところをいかにごまかしてえらそうにみせるのかという批評もくだらない。柄谷行人にとっては作品そのものは「知の精髄」たる批評のおかずに過ぎない。しかしそんな馬鹿な話もないものだ。「文体、構成、描写、技巧」を見ていかねばならないという三島の意見は実に尤もだ。

 そういう細部が見えないで批評など出来るわけがない。

 現に江藤淳などもそういう所で失敗している。

 まあしかし「太宰をよく読み、よく愛した人にだけ可能な正しい批判があります」とはよくもまあ照れないで書けるものだ。



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