川上未映子の『夏物語』をどう読むか⑮ 生まれること、生まれないこと
今の中国では人が純粋な善意で行動することはあり得ないという考え方が主流らしく、倒れている人を助けるとそれが罪悪感からの行動と見做され、損害賠償請求される事例もあるらしい。だから日本で倒れている人を助けようとしている人を見ると「危ない」と叫んでしまうという。
なんという矛盾。
心のどこかには善意を持ちながら、そんなものはあり得ないと教え込まれる社会。しかし本当に善意などひとかけらも持っていない人々がいて、日本の国柄と云うものが変わりつつあることも事実。
何の話だっけ?
そうそう。悪い予感しかしないという話だ。
実際夏子は個人的に精子提供をしているという恩田という男に会うことにした。山田という偽名で。場所は渋谷。三軒茶屋に住んでいて渋谷で会うのはどうかと思うがさらに約束の時刻が夜七時半というのはどんなものか。普通は晩飯の時刻だ。
兎に角悪い予感しかない。
案の定恩田は太っていた。眉頭に大きないぼがある。このあたり、川上未映子は躊躇しない。新人作家ならいぼは書けない。いぼ差別になるからだ。あるいは編集部のお偉いさんの一人にいぼがあればやはり遠慮をするだろう。これはあざややけどの跡でも同じで、なかなか扱いにくいところだ。それでも夏子は思わず目を逸らす。
恩田は夏子の顔をじっと見て面談はパスしましたと決めつける。そして何枚かの用紙を取り出して自分の精子の説明を始める。量、濃度、活動量。
ざっと調べてみたところ恩田の示した数値はどれも異常なものだ。(おかげでやたらと精力剤の広告が出てくるようになった。)夏子にはその数値の異常さが理解できたかどうかは曖昧だが、川上未映子は敢えてそうした数値を調べた上で異常値を選んだのだろう。
恩田の話はしだいに異常さを増していく。使命感に目覚めたのは十歳。
フラジャイル・ナルシシズム。そんな言葉を最近どこかで眼にしなかっただろうか。
恩田は精子の強さを残したい、旅立たせたい、着床を想像すると興奮するという。そして「方法」に関する提案を始める。注射器よりも人肌が保てるタイミング法の方がよいのではないかと。本物の強さに触れてもらいたいと。
膣内をアルカリ性に、びくくびくに感じるってことなんですが……こんなことを平気で書ける川上未映子のメンタルはインド留学経験者のようにタフなのだろうか。おそらくそうではないだろう。彼女自身が「ああ、気持ち悪い」とぞわぞわしながら、それでもぽっちゃん便所の底を覗き込むように最低最悪な性欲の化け物を描いているのであろう。
午後七時半の渋谷の誘いはそのままホテルに連れ込む気満々ではないか。
午後九時半三軒茶屋についた夏子は今すぐ横になりたくてカラオケボックスに入る。
どうやら恩田はペニスを取り出し、夏子に見せようとしていたらしい。とにかく川上未映子の描く男はみっともない。男にはそういうみっともないところもあるのだという同情がひとかけらもない。もではなく、根本的に男という生き物はみっともないのだと念押しされているようだ。
夏子は成瀬くんを思い出す。成瀬くんがときどき歌っていたビーチボーイズの「素敵じゃないか」を検索して曲をかける。
ビーチボーイズというバンド名も「素敵じゃないか」という曲のタイトルも知らない人でも恐らくどこかで一度くらいは耳にしたことがある筈の曲だ。
その陽気なサウンドと前向きな歌詞に、胸が痛む。
ところがこんなことになっている。変態男にペニスを見せられ、夏子は三軒茶屋で一人だ。その日夏子は朝にヨーグルトを食べただけで何も食べてゐない。アイスティーにウーロン茶だけだ。
それなのに夏子は善百合子と会ってしまう。(なんて日だ!)
夏子は善のあとをつける。理由は分からない。
そこはそれ。「何か用ですか」の方が柔らかいが、敢えてぎすぎすした感じにしたのだろう。夏子はさっき精子提供者に会ってきたと話す。善は逢沢の過去について話す。(なんて苗字だ。幼児をレイプする男の苗字が「善」で変態精子男の苗字が「恩田」なのだから、「悪田川」なんて人が登場したらかなりいい人なのではなかろうか。)結婚まで決まっていた相手に、父親が解らないことを告げると振られてしまったと。そして自殺未遂をしてしまったと。
もっとタフなイメージがあった逢沢だが、女にふられて自殺未遂と書かれてしまうといささか軽い。
そして善がタフさを見せつける。父親だと思っていた男にレイプされていただけではなく、別の男たちを何人もに、河川敷の土手で、真昼間、やられていたことを話す。
そして根本的な問い。
善は方法はどうあれ、子どもを産むこと自体が暴力的なことで、それに比べたらレイプなんて何でもないことだと。
ここで余談のような真面目な話。「本当のことを知るよりは自分の認知をゆがめた方が楽だ」という話。
何度も書いているように、読書なんてそもそもいい加減な覚悟でできるようなことではないのだ。ここで善が言っていることは厳しい。だから「可哀そうに」と思いたい。その方が楽だから。しかしその逃げは川上未映子によってあらかじめ封じられている。そういうことではないのだと。
これは読書全般について言えることで例えば『あばばばば』を読んで洪水や妊娠時期に気が付かないような読み手はプロとして失格だ、研究者として失格だ、と書かれているのを読んで、厳しいな、そこまで言わなくていいんじゃないという程度のメンタルの人は『夏物語』を読み切ることは出来ないんじゃないかと思う。これが文庫で五版いくの? というのが私の疑問。
そもそも生命に対する完全否定だよ。
今のところこんな記事や
こんな記事には
誰もついてこられていないんじゃないかな。上手く認知を歪めて躱している感じが見て取れる。
そんなメンタルで川上未映子は読めないだろう。恐らくこの章で川上未映子は読者を削ってきている。一日で精子提供のど変態と鋼のメンタルの出産否定論者を出してきて、章を分けないんだから。
話はまだ続く。
もう誰も生まれてくるべきではないという意味だ。
そして拷問のように章は続く。産まれてきたことを後悔させてあげると言わんばかりに。
六月の終わりから七月にかけて夏子は高熱を出す。ポカリスエットの粉でしのいでいたところに、逢沢から電話がかかってくる。
季節も変わったんだし、普通は章を分けるよ。しかし川上未映子はここで分けない。異常に精子の元気な男を一人出してきて精子と云うものに嫌悪感を与えておいて、今度は生命否定論者を出してきた、このつながりのなかでの逢沢の夢みたいな酷薄が、いや告白があるのだ。
夏子はど変態精子男に精子を貰おうとまでしていたのだ。確かにそんな男と会ったのだが、それは夏子の精子に対する嫌悪感が創り出した幻だったのかもしれない。夏子は「こうなってしまった」のだ。「もう、会いません」と夏子は言った。夏子は普通のことができないのだ。まんこつき労働力にもなれない。こども家庭庁の職員は『夏物語』を読めば舌打ちするかもしれない。
しかししょうがない。
ちんこをもてなすシステムに加われない女が小説家になったのだから。
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