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チャブ屋とは何か? 消えた日本語②

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 こうした時代の風俗用語はたちまち消えてしまう。なんとかしゃぶしゃぶなど、あと数年で解らなくなるのではないか。いや、一々調べれば分かるのだが、分からない人が殆どになるだろう。私も夏目漱石作品に「大森」や「待合」という言葉が出て来なければ調べなかっただろう。


 谷崎潤一郎の『本牧夜話』のト書きに「しーん」という表現があったので調べてみたら、原民喜や幸田露伴にも「しーんとして」という表現が出て来た。こうなるとむしろ長音表記の起源を調べた方がいいような気がしてくる。代わりに「森として」「寂として」が消えてしまったという理屈になる。

 風儀も使われなくなった。法律用語でなくなったからだろう。「話が持てる」とも言わない。いわゆる「場が持つ」ということなのだろうが、こちらはそれらしい使用例が見当たらない。「引っ込んどいで」は確かに使われて居た日本語だ。しかし消えたと言ってよいだろう。

「ひっつり」ひっつれ。「およる」も。使わないな。「すっくり」も。「およるないで」は初見では、ん? となる言葉だ。「青空文庫」では竹久夢二に使用例があるものの、まあ、使わないだろうというものを何故か谷崎は遣っている。

 この『本牧夜話』には「私の露西亜今ありません」という台詞が出てくる。この「私の露西亜」という感覚そのものが、今ではどんなものかちょっと分からないものになっていまいか。革命によって国を逃げ出さなくてはならなかった露西亜人というものを考えるといくつもの別の「露西亜」の概念が出来上がる。

 「グースベリーのパイ」に関しては、むしろ知らなかった。これは消えたというより定着しなかった外来語というべきか。


 また「フォックストロット」は定着しなかったというより、趣味の用語として一般には広まっていないというところか。

 しかし一番分からないのは本牧の空気感だろうか。ウイキペディアの本牧の記事には、
 

谷崎潤一郎(小説家):大正から昭和初期にかけて一時期、本牧(現・本牧原)[20]や山手に住む。

……とある。どうして本牧に露西亜人がいるのか、そのあたりのことがなんとも曖昧だ。夏目漱石が『坊っちゃん』を書いた頃、松山には6000人もの露西亜人捕虜がいて、比較的自由に街を歩き回り、温泉にも入っていたというが、どんな感じで日本人と交流していたのかが分からない。

  これは渤海使と日本人の交流具合が分からないのと同じくらい分からない。『本牧夜話』はそんな分からないところをさらに解らなくさせてくれる。








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