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庄司薫は三島由紀夫の死をどう捉えていたのか

 庄司薫は三島由紀夫が見出した才能と言っても良いだろう。福田章二の『喪失』を中央公論新人賞に選んだだけではない。『赤頭巾ちゃん気をつけて』を芥川賞に選んだのも三島由紀夫だ。この二度もお世話になった恩人の死に関して、庄司薫はあえて口をつぐんだようにさえ思える。

 『白鳥の歌なんか聞えない』を連載し始めたのは1970年の新年号からだから、その題名は三島に捧げられたものではもちろんない。『狼なんて怖くない』の連載中に三島は死んだ。当然テーマからは外れるが、何か一言あっても良かった筈だが、何もない。中央公論新人賞に応募した理由の二番目には審査委員の顔ぶれへの信頼が挙げられているものの、芥川賞の受賞に関しては三島のミの字も出てこない。

 勿論これは単なる言いがかりであって、三島の死と本気で向き合うならば確かにちょっと一言で済むはずもないので、当初書こうとしたことが書けなくなってしまうのは眼に見えているし、三島由紀夫の政治思想や楯の会の行動など、それこそ一ミリも理解も共感も出来ないものだったかも知れない。ただ、そうであってもこまで超然と無視できるのが不思議と言えば不思議である。

 多くの人があの日何をしていたのか書き残している。三島の死は、当時驚きをもって伝えられたニュースだったのだ。地下鉄サリン事件や酒鬼薔薇事件と同様、大事件だった。しかし庄司薫は何も書かなかった。理由は解らない。村上春樹が三島由紀夫の死を敢えてどうでも良いこととして描いたことと、庄司薫の無視は私には全く性質を異にするものに思える。庄司薫には三島由紀夫に対する哀れみすらない。『狼なんて怖くない』の時、庄司薫の眼中には三島由紀夫など写っていないのだ。論ずるに足らないもの、三島由紀夫の死は庄司薫にとってそんなものではなかっただろうか。





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