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安らかな死を迎えるために 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む87

 もはや私には近代文学の読みあやまりを訂正したいという願いしかない。おそらく太宰の誤解は解けたと思う。夏目漱石と芥川龍之介の主要作品、特に芥川の俳句に関する誤解は、私が出来る範囲ではかなり問題提起・新解釈という形で記録に残せるものが書けたと思う。

私個人の思いなどどうでもいい 

 しかし三島由紀夫に残された課題は大きい。何よりもいまさら平野啓一郎が『三島由紀夫論』を書き、新潮社がそれを「決定版」と呼んでしまったことで、このたった一年間の間に急激に問題が深刻化したように思う。
 新潮社は文学界に於いて一つの巨大な権威である。そして三島由紀夫作品が最も多く発表されたのが新潮系の雑誌である。おそらく三島由紀夫のデータを最も多く保有しているのが新潮社である。
 天才作家と文学界の権威の共謀により持ち出された『三島由紀夫論』は定石通り小林秀雄賞を受賞してさらに権威付けられた。

 だが残念なことに平野啓一郎の『三島由紀夫論』は完全間違っていた。

 私は平野啓一郎にも新潮社にも全く何の恨みもない。寧ろ平野啓一郎に関してはデビュー直後から称賛しており、現在においても彼こそが文学史に残るべき現在日本一の作家であるという評価にはいまだ以て揺るぎがない。

 しかしそのような個人的な小説家平野啓一郎に対する評価と、平野啓一郎の『三島由紀夫論』の評価は全く無関係である。


平野啓一郎の読みは三島由紀夫作品には届いていない


 ここまでで繰り返し指摘してきたように、平野啓一郎の読みは三島作品の正しい解釈に届いておらず、論評する前提に至っていない。引用を間違えただけでも致命的であるが、同時にスタッフの無関心も証明してしまった。言わば新潮社編集部をひっかけテストにかけて、全員が無能であることを晒してしまったようなものだ。

 衝撃を受けた透は、本多に借りた清顕の夢日記により慶子の話を信じるに至り、日記を燃やして服毒自殺を図る。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 透は衝撃を受けていただろうか。

 慶子の話に怒り、殺意を覚えつつも、行動には移らず、まずどういうことなのか確認しようとしたということなのではないか。

 本多はめづらしく透の下手に出た頼み事に接した。

(三島由紀夫『天人五衰』)

 ここで透の態度は冷静である。取り乱した様子は見せない。

 そして透は「慶子の話を信じるに至」ったのだろうか。ここは正確に転生譚そのものの仕組みはともかく、本多がこの清顕の夢日記を大切に保管し、そこに書かれたことを根拠にして老人が自分を養子にしたのだと確信することが出来ただろう、と読むべきではないか。

 なにしろ透は一週間後に自殺を図るのだ。Kよりも長い時間考えて死んだのだ。

 透にしてみれば、一週間の間くりかえし清顕の夢日記を読み返し、こんな頼りないものでさえ人は頑なに信じてしまうものなのかという思いさえあっただろう。その透の批判は、

 本多は「貸すことを危ぶんだが、拒むのはもっと憚られた」と、その人生そのものとも言える貴重な夢日記を透に貸してしまうが、この件もやや雑な印象を受ける。日記を読めば、転生について、何か透に悟られてしまうかもしれない、ということを、本多がまったく恐れていない点はとりわけ違和感があるが、長期に亘る虐待が、彼の冷静な判断能力を奪ってしまっている、と思わせる書き方とはなっている。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 この「その人生そのものとも言える貴重な夢日記」という大げさな表現にも向けられたことだろう。冷静に考えてみてよ、それはただの夢だよと、なんでそんなものを頼りに、俺を養子になんかしたかね。俺が特別な存在だからこうなったんじゃなかったのかねと。

 平野の「その人生そのものとも言える貴重な夢日記」という表現は「衝撃」という表現が『天人五衰』のあらすじに妙な起伏を与えてしまうように、『三島由紀夫論』において三島の筆の雑な印象というものを誇張する役割を果たしている。もしも清顕の夢日記が本多の人生そのものならば、それが焼かれた時点で本多は死なねばならなかったのではないか。

 そしてこの605ページの記述に対して602ページでは、こう書かれていたのである。

 本多は、虐待の苦しみから、「あと半年の辛抱。」と、ひたすら透の死を願うようになる。これは、二十歳の死を以て、透が本物の転生者であることを見極める目的では最早なく、とにかくただ、死んでほしく、そのために透は本物であらねばならないのである。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 もはやただ死ねばいい存在となっていた透が転生に関して悟ろうが悟らまいがそれはもはやどうでもいいことであと半年自分が生きのびることこそが肝要だったわけで「長期に亘る虐待が、彼の冷静な判断能力を奪ってしまっている」とはみなし難い。四か月足らずの期間を長期に亘ると表現するかどうかは微妙なところだが、ここは主観を入れず「九月三日から四か月近くに及ぶ」とした方が正確と言えるのではないか。そして「あと半年の辛抱。」の「。」を入れるやり方は「引用文におけるカギ括弧の前の句読点は省略するかしないか会議」で十分検討の上、いずれかに統一すべきではなかろうか。

 こうした不統一はやや雑な印象を受けるし、とりわけ違和感があるが、長期に亘る執筆活動が、彼の冷静な判断能力を奪ってしまっている、と思わせる書き方とはなっている。

恋愛ってなんだろう


 つまり、透と絹江との関係は、『豊饒の海』全四巻で、はじめて成就し、持続する恋愛なのであり、それは、三島がこれまで描いてきた、あらゆる逆説的な愛の中でも、最も精妙に形作られたものと言えよう。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 猛烈な違和感。

 ここでもう一度念押しを。もはや私には近代文学の読みあやまりを訂正したいという願いしかない。

 肉体の本質は滅びにある。時間というものは残酷なもので平野啓一郎にはこれから二十年か三十年の時間が残されているとして、それは十年後にはあと十年か二十年という計算になり、このことに気がつくのが遅くなればなるほど残酷なことになる。

 江藤淳は夏目漱石の『こころ』も『行人』も読めないで死んでしまった。蓮實重彦、柄谷行人もそうなるだろう。しかし奥泉光、高橋源一郎、島田雅彦は気がつくのではなかろうか。小森陽一は怪しいが、石原千秋は間に合うだろう。
 問題はあと何年後に気がつくかということだ。

 気がつくのが遅くなればなるほど残酷なことになる。

 さて「透と絹江との関係は、『豊饒の海』全四巻で、はじめて成就し、持続する恋愛なので」あろうか。

 物語の外側に弾かれたとはいえ、飯沼茂之とみねの結婚は(その後の浮気や家庭内暴力があったとしても)望んでかなえられた恋愛と言って良いだろうし、期間の問題を無視すれば聡子と清顕の恋愛こそ成就したとは言えないだろうか。

 そしてそもそそも透と絹江との関係は恋愛なのであろうか。その美しさゆえ透から愛し続けられているという絹江の思い込みは狂気ゆえの幻想であり、透は絹江の狂気を必要としていただけだった。

 実際透は本多に絹江と結婚させてくれと申し出るのであるから、例えばその理由を、

・失明を原因としてもはや絹江の外見の醜さそのものが存在しなくなり
・絹江の狂気は現実世界を否定するものでもなくなった
・透は明晰さを失うとともに絹江の狂気も必要とはしなくなった
・あとはただ透の「やさしさ」だけを信じ、拒絶することのない絹江に恋をした

 ……とでも妄想するしかないが、どこにもそんなことは書かれていないのである。透は、

・絹江のいる離れで一日の大半を過ごすようになり
・終日ふたりで会話をしていた

 という事実があるだけである。男女が仲良く一緒に過ごせばそれは普通は恋愛感情からであろうが、ここにはいつぞやの法廷劇のような凄まじいロジックのやり取りがあるように見えるのである。

 まず本多は準禁治産を免れ透と立場が逆転している。透が集めたメイドたちは皆解雇された。そうなると透の頼りは絹江しかいなくなる。火掻き棒で殴られるのは今度は透の方かもしれないのだ。実際に殴られるとは思わないまでも、透は自分がやってきたことが罰せられるかもしれないとうすうすは考えていただろう。

 誕生日が過ぎて死ななかった透はいよいよ本多に何かを差し出さなくてはならないと考えたのではないか。もっとも穏当な、もっともさりげない処罰を自らに課すことで、本多に与えた屈辱の反撃を斜めに躱すことができないかと。それは勿論明確に戦略的に意図されたものではあり得ず、意志と呼んでみるのも大げさな、ただぽっと浮かんで来た自分がけして望む筈のないものの一つであった筈のもの、例えば三島由紀夫という作家が無数の可能性の中からたまたま選び取った最も皮肉な選択ではなかったか。

 この成り行きは透にとってニヒリズムでしかない。

 あるとき、透が久々に本多に口をきいた。絹江と結婚させてくれ、というのである。絹江の狂疾が遺伝性のものと知っている本多は、少しもためらわずにこれを許した

(三島由紀夫『天人五衰』)

 一方ここには本多の透に対する明確な処罰感情が現れている。

 ここで被告人の記憶喚起のために、「皇室の血族結婚が続いて、未来の天皇御一家の写真は人間離れしたものになっているのを想像していたのに、民間から皇太子妃が選ばれてガッカリした」という深沢七郎のスタンスを再度示したい。

 この近親婚の問題は『暁の寺』における今西の『柘榴の国』のアイデアの中で、

 近親相姦が多いので、同一人物が伯母さんで母親で妹で従妹などというこんがらがつた例がめずらしくないけれど、そのせいかして、この世ならぬ美しい児と、醜い不具者とが半々に生まれます。

(三島由紀夫『暁の寺』)

 などと言われていた。しかしここで本多の思いはそうした遺伝の残酷さのもっとも際どい部分に達していて空恐ろしくなるくらいである。本多の心の声はこう言っているのだ。

 透よ、贋物の転生者よ、お前には太った醜い妻と狂疾の子供たちに囲まれる余生がふさわしいのだ。

 こんな寿ぎによって成就した結婚が果たして恋愛と呼びうるものなのであろうか?

 しかし法廷劇と呼んだのはこの続きがあるからである。絹江に妊娠の兆候があることを家政婦から知らされると、本多は、

 自分の末裔が理性の澄明を失うことのほぼ確実な予測に、この時本多の目がいかに輝いたかを家政婦は見なかった。

(三島由紀夫『天人五衰』)

 このように「狂疾の子供」を自分の末裔とも呼んでみるのである。この奇妙な感情は、そもそも透に対する素朴な処罰感情などではなかったのである。自分の末裔から理性の澄明が失われることを喜ぶのはまさに今西的退廃ではないか。

 そして改めてそれは透も望んだことであり、透は狂人の夫であると同時に狂人の親でもあろうとしていると考えた時、眼の見えない透の擬宝珠は絹江の手にそっと導かれたに違いないとも考えるのである。

 ここの部分を平野は、

 思いやりや優しさといった感情ではなく、自らの滅亡の印として透を見ている。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 とかなり差別的な意識で見ている。自分の末裔から理性の澄明が失われることを喜ぶのはまさに今西的退廃ではないか、と私は書いた。平野は自分の末裔から理性の澄明が失われることは滅亡と同じではないかと、「狂疾の子供」の存在を滅亡に置き換えてしまっている。

 揚げ足取りではない。「狂疾の子供」は未来に存在してはならないものではなく、寧ろ存在しなくてはならないものなのである。ここには家系と血脈の奇妙なねじれが生まれており、深沢七郎的怨念の相似形が現れている。

 絹江は醜さを狂気で美しさに変えた。そして「やさしい」夫を抱き、母になろうとしているのだ。こうして生きようとする権利を誰も奪うことが出来ないというのが今や常識的な考え方なのではないか。「思いやりや優しさといった感情ではなく」という言い方も少し間が抜けている。そこには「思いやりや優しさ」ではないものが明確にあるからだ。

 滅亡ねえ。

 個人は滅亡しない。

 ただ死ぬだけだ。

 滅亡するのは国や人類だ。

 そういう細かい言葉使いというものをきちんきちんと直していかないといけないんじゃなかろうか。

 本多一族?

 そういうものとの煩わしい関係を避けて再婚もせず、本多は一個人として生きてきたんじゃないの。

 松枝侯爵の邸宅も焼け跡になった。「創作ノート」にあった松枝家の養嗣子も登場しない。『豊饒の海』は血脈の話ではない。

 人はだれしも一代限りの自分の人生を生きることしかできないのだ。人生はあまりに短い。短かった。そのことを本当の意味で思い知るのはやり直すだけの時間がなくなってからだ。

 まだ間に合う。

 しかしやがて間に合わなくなる。

 頑張れ平野啓一郎。

 死んだら命がなくなるぞ。

[余談] 

 しかも、絹江はこの後、妊娠するが、透の様子からして、彼女が「おふくろ」となる可能性は少ないはずである。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 言いたいことは解るけれど何故そう判断したのか分からない。これは絹江と透の関係が純粋な恋愛として持続していくという意味か。しかし五歳も上の女房で……。

 いや、透を異臭を漂わせる白絣の浴衣の着た切り雀にさせている絹江は反「おふくろ」か。

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