三島由紀夫が最後の最後におしるこ万歳と言い出したことはよく知られていよう。それは自分が太宰と同じだと認める発言である。ところで夏目漱石と芥川の間、芥川と谷崎の間、芥川と太宰の間、織田作と太宰の間ではぜんざいと汁粉が奇妙に捻じれて見える。
この汁粉のネタからして漱石は汁粉が好きそうである。
ここを見てもそうだ。
この「汁粉、お雑煮」が鳥取では同じものになる。松山の雑煮は澄まし汁だが、香川ではあん入りの餅が入った白みそのお雑煮が出る。
これは米が稲から採れることを知らなかった式の理窟だろうか。汁粉は食うがぜんざいは食わないということか。よく分からない
夏目漱石にとって汁粉は好物の上位に来るようだ。
漱石は完全なる下戸ではないのでこの「彼は一口も酒を飲まない代りに大変甘いものを嗜んだ」というのはあくまでも健三の話ではある。しかし漱石が甘いものを好んだのは事実である。
下戸の芥川は昭和二年五月七日にこんなことを書いている。
ここにわたしは引っかかる。
何故京都でぜんざいを食べないのか不思議なのである。いや、そうではなくて芥川が「しるこ」のことを書きながら漱石の『京に着ける夕』に一言も触れていないのが何か気になるのである。
自分の誕生日に当てつけのように死んだ芥川に対して、谷崎潤一郎は昭和三年の『卍』で何かをぶつけたような気がしていたが、それは「ぜんざい」ではなかっただろうか。谷崎は『卍』の主人公に汁粉ではなくぜんざいを食わせる。
太宰の作には『人間失格』『弱者の糧』『虚構の春』『正義と微笑』『乞食学生』『黄村先生言行録』『散華』そして『如是我聞』としばしば「おしるこ」が出てくる。あるいは近代文学において最も「おしるこ」に言及してきたのが太宰治なのだ。
その「おしるこ」は芥川にいわせれば損なわれた汁粉だ。永井荷風が記録しているように、「おしるこ」は次第に葛湯のような正体不明なものになる。
永井荷風?
つまり……織田作之助の『夫婦善哉』『大阪発見』から考えても、どうも西は「ぜんざい」、東は「汁粉」であるばかりではなく、太宰の「おしるこ」と「ぜんざい」は別物で、「ぜんざい」は戦後も甘かったのではなかろうか。
まあ銭次第ということか。
そう考えると漱石が「余はいまだに、ぜんざいを食った事がない」のもあながち嘘ではなかろう。正岡子規も芥川龍之介もぜんざいを食べないまま死んだのだ。ぜんざいに「ふーん」して死んだのだ。
だから太宰もおしるこやには行くもののぜんざい屋にはいかない。ぜんざい万歳では格好がつかない。夫婦汁粉では何だか生々しい。文学的にはぜんざいと汁粉は別物だ。
しかし三島のおしること太宰のおしることはやはり同じものであろう。
三島由紀夫はこう書いている。
罵倒名人太宰は『如是我聞』において、「おしるこ」を滅却した。
三島由紀夫は太宰の『十五年間』が滅却している或物に気がついた。
そして三島由紀夫は「おしるこ万才」の代わりに「天皇陛下万歳!」と叫んで死んだ。
汁粉とぜんざいと雑煮の区別のつかない鳥取の人には到底解らない話である。
[余談]
はいそうです。
この二人絶対できていると給湯室で話題になるレベル。