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夏目漱石『明暗』の技巧②会話の妙

 谷崎潤一郎という作家は基本的に信用できない人だと思うんですが、それは単に嘘を言うということではないんですね。虚々実々の小説や戯曲を書きまくって、何が現実なのか分らなくさせた人だから信用できないわけです。

 最初に谷崎について書いたのが、

 この記事ですか。谷崎は『誕生』を書くにあたり『栄花物語』を読んだはず、『栄花物語』の語彙検索で調べてみると「國民」などと云う言葉が使われていようはずもなく、それにあたるふさわしい言葉は「世人」である、なのに谷崎は「億兆の國民」と書いている、これは信用ならんという話だったわけです。

 私の批評の方法は基本的にこうして具体的な事実の指摘なんですね。「なんとなくそう思う」のではなく、「語彙検索で調べてみると…」と一応自分の感覚でない所、理屈を探しているわけです。

 しかし谷崎の『明暗』批判はそうではないですね。

 谷崎は「藝術の翫賞は先づ何よりも感覺に訴へるもの」だとして反論には「いやお前こそ分らないのだ」と言い返して水掛け論にしておいて、自分は偉大な芸術家であるからその道の達人であり、「孰方の感受性が正しいか後世になれば分る」と言い張ります。

 まあ谷崎は批評家ではありませんから、この辺りの理屈はずいぶんいい加減なものです。三島由紀夫なら論理の空中戦でもう少しうまい言い方をするのではないかなと思います。三島はあまり漱石を評価していませんでしたから、グサッとくるような理屈が述べられた筈ですね。太宰治もそうです。

 太宰は罵倒名人ですから、「俗中の俗」と切り捨てていますね。太宰は理屈屋ではないので理屈は云いません。皮肉で仕留めます。

 で、何故谷崎は『明暗』を徹底的に批判したかと言うと「『明暗』を傑作だと信じて居る者が多い」からですね。そして、

 そこで藝術上の技巧とか形式とか文體とか云ふものは、美が生れると同時に當然備はるべき肉體であり、皮膚であり、骨格であつて、抑も末の問題であるとは云ふものの、それらがなければ美が存在しないことも事實である。   技巧と云ふ言葉は屢々美を表現する方法であるかの如くに見做されるが、方法ではなくて寧ろ表現その物― それ自身である。

 技巧の重要さを指摘して、『明暗』にはそれが欠けると言っている訳です。しかし谷崎にしては本当に隙があり過ぎませんか。そこが私には今一つ信用ならないのです。

 しかしまあ、今回は騙されたと思って、実際に谷崎潤一郎を堪らなく不愉快にさせたまどろっこしい会話の中に漱石のたぐいまれな技巧を見ていきましょう。

「なに兄さんが強情なんですよ」とお秀が云い出した。嫂に対して何とか説明しなければならない位地に追いつめられた彼女は、こう云いながら腹の中でなおの事その嫂を憎んだ。彼女から見たその時のお延ほど、空々しいまたずうずうしい女はなかった。
「ええ良人は強情よ」と答えたお延はすぐ夫の方を向いた。
「あなた本当に強情よ。秀子さんのおっしゃる通りよ。そのくせだけは是非おやめにならないといけませんわ」
「いったい何が強情なんだ」
「そりゃあたしにもよく解らないけれども」
「何でもかでもお父さんから金を取ろうとするからかい」
「そうね」
「取ろうとも何とも云っていやしないじゃないか」
「そうね。そんな事おっしゃるはずがないわね。またおっしゃったところで効目がなければ仕方がありませんからね」
「じゃどこが強情なんだ」
「どこがってお聴ききになっても駄目よ。あたしにもよく解らないんですから。だけど、どこかにあるのよ、強情なところが」
「馬鹿」
 馬鹿と云われたお延はかえって心持ち好さそうに微笑した。お秀はたまらなくなった。
「兄さん、あなたなぜあたしの持って来たものを素直にお取りにならないんです」
「素直にも義剛にも、取るにも取らないにも、お前の方でてんから出さないんじゃないか」
「あなたの方でお取りになるとおっしゃらないから、出せないんです」
「こっちから云えば、お前の方で出さないから取らないんだ」
「しかし取るようにして取って下さらなければ、あたしの方だって厭ですもの」
「じゃどうすればいいんだ」
「解ってるじゃありませんか」
 三人はしばらく黙っていた。
 突然津田が云い出した。
「お延お前お秀に詫まったらどうだ」
 お延は呆れたように夫を見た。
「なんで」
「お前さえ詫まったら、持って来たものを出すというつもりなんだろう。お秀の料簡では」
「あたしが詫まるのは何でもないわ。あなたが詫まれとおっしゃるなら、いくらでも詫まるわ。だけど――」
 お延はここで訴えの眼をお秀に向けた。お秀はその後を遮ぎった。
「兄さん、あなた何をおっしゃるんです。あたしがいつ嫂さんに詫まって貰いたいと云いました。そんな言がかりを捏造されては、あたしが嫂さんに対して面目なくなるだけじゃありませんか」(夏目漱石『明暗』)

 まずはここですね。三人の会話なのに誰が何を言っているのかト書きなしで明瞭です。『虞美人草』の冒頭や『二百十日』など、二人の会話でさえ、どちらの発言なのか見失いそうになりますが、あれは落語的な手拍子の会話だからで、こちらは言い争いなのでそのあたり見え方がすっきりしていますね。そして「お延お前お秀に詫まったらどうだ」の一言は秀逸ですね。

 この人は突然何を言い出すんだろうとまずはユーモアを感じますが、つまり笑ってしまいますが、よく読んでみると、この台詞は余りにも適切なんです。つまりずばりお秀の本心を言い当てている訳です。「嫂を憎んだ。彼女から見たその時のお延ほど、空々しいまたずうずうしい女はなかった」というのがお秀の本心なので「あたしがいつ嫂さんに詫まって貰いたいと云いました。そんな言がかりを捏造されては、あたしが嫂さんに対して面目なくなるだけじゃありませんか」というお秀の狼狽は白々しい嘘なわけです。

 そもそもお秀はお延が指輪を買って貰って、それなのにお金がないと言っている状況に文句があるわけです。だから本音としては確かに嫂に謝って貰いたいところがあるとして、真正面から謝られても困るわけです。

 それから一応、ああ、お秀の本音を突いたなと感心したところで、いや、それにしたって津田はまるで他人事のように呑気じゃないかとまたくすっと來るわけです。『それから』以降、次第に深刻なものに向かい、ユーモアがなくなったとされる漱石作品の中で、ユーモアは地口のような反射的なものではなく、こうした洗練された心理劇の中にこっそり仕掛けられるようになったわけです。

 海外の方の『明暗』の感想の中に当時の日本人女性がこんなに雄弁だったのかと驚いている人がいました。

 このお秀の大演説は、どこかドストエフスキー的な、まあヒステリックなものですね。谷崎にはそういうものが耐え切れなかったわけですが、そこにはそれぞれの女性観の違いというものもあったかも知れません。谷崎は多くの商売女、淫売たちを描いてきましたが、漱石は『それから』で「赤坂の待合」という言葉を使っただけで、そういう女は書きませんでした。漱石が藤尾や美禰子といった新しい女、新しい時代の女を書いてきたのに対して、案外谷崎は古い女に拘ります。古い女と云っても恰好ではありませんよ。谷崎の描く女は徹底して男の慾望の対象です。だから谷崎にはお秀の大演説に我慢がならなかったのでしょう。それでつい、漱石の会話の妙も見逃したんだと思います。

「余計な事です。あなたからそんな御注意を受ける必要はありません」
「注意を受ける必要がないのじゃありますまい。おおかた注意を受ける覚えがないとおっしゃるつもりなんでしょう。そりゃあなたは固より立派な貴婦人に違ないかも知れません。しかし――」
「もうたくさんです。早く帰って下さい」
 小林は応じなかった。問答が咫尺の間に起った。
「しかし僕のいうのは津田君の事です」
「津田がどうしたというんです。わたくしは貴婦人だけれども、津田は紳士でないとおっしゃるんですか」
「僕は紳士なんてどんなものかまるで知りません。第一そんな階級が世の中に存在している事を、僕は認めていないのです」
「認めようと認めまいと、そりゃあなたの御随意です。しかし津田がどうしたというんです」
「聞きたいですか」
 鋭どい稲妻がお延の細い眼からまともに迸った。
「津田はわたくしの夫です」
「そうです。だから聞きたいでしょう」
 お延は歯を噛んだ。
「早く帰って下さい」
「ええ帰ります。今帰るところです」
 小林はこう云ったなりすぐ向き直った。玄関の方へ行こうとして縁側を二足ばかりお延から遠ざかった。その後姿を見てたまらなくなったお延はまた呼びとめた。
「お待ちなさい」
「何ですか」
 小林はのっそり立ちどまった。そうして裄の長過ぎる古外套を着た両手を前の方に出して、ポンチ絵に似た自分の姿を鑑賞でもするように眺め廻した後で、にやにやと笑いながらお延を見た。お延の声はなお鋭くなった。
「なぜ黙って帰るんです」
「御礼は先刻云ったつもりですがね」
「外套の事じゃありません」
 小林はわざと空々そらぞらしい様子をした。はてなと考える態度まで粧って見せた。お延は詰責した。
「あなたは私の前で説明する義務があります」
「何をですか」
「津田の事をです。津田は私の夫です。妻の前で夫の人格を疑ぐるような言葉を、遠廻しにでも出した以上、それを綺麗に説明するのは、あなたの義務じゃありませんか」
「でなければそれを取消すだけの事でしょう。僕は義務だの責任だのって感じの少ない人間だから、あなたの要求通り説明するのは困難かも知れないけれども、同時に恥を恥と思わない男として、いったん云った事を取り消すぐらいは何でもありません。――じゃ津田君に対する失言を取消しましょう。そうしてあなたに詫りましょう。そうしたらいいでしょう」
 お延は黙然として答えなかった。小林は彼女の前に姿勢を正しくした。
「ここに改めて言明します。津田君は立派な人格を具えた人です。紳士です。(もし社会にそういう特別な階級が存在するならば)」
 お延は依然として下を向いたまま口を利きかなかった。小林は語を続けた。
「僕は先刻奥さんに、人から笑われないようによく気をおつけになったらよかろうという注意を与えました。奥さんは僕の注意などを受ける必要がないと云われました。それで僕もその後を話す事を遠慮しなければならなくなりました。考えるとこれも僕の失言でした。併せて取消します。その他もし奥さんの気に障った事があったら、総て取消します。みんな僕の失言です」
 小林はこう云った後で、沓脱ぎに揃えてある自分の靴を穿いた。そうして格子を開けて外へ出る最後に、またふり向いて「奥さんさよなら」と云った。
 微かに黙礼を返したぎり、お延はいつまでもぼんやりそこに立っていた。それから急に二階の梯子段を駈け上って、津田の机の前に坐るや否や、その上に突ッ伏してわっと泣き出した。(夏目漱石『明暗』)

 この一つ前の会話も面白いのですが、この記事は会話の妙の話なのでここを引きます。谷崎は出て來る人物がみな理屈っぽいと批判していますが、この場面、よく読むと理屈というより、お延の感情を揺さぶる駆け引きとして会話が使われていますね。

「お待ちなさい」
「何ですか」

 って理屈も何も言ってませんからね。理屈は読み手の中に浮かび上がるわけです。漱石がねちねちと理屈を書いたのではなく、台詞の、云っていないところに理屈があるのです。

「津田はわたくしの夫です」
「そうです。だから聞きたいでしょう」
 お延は歯を噛んだ。
「早く帰って下さい」

 これも理屈ではなく、会話にもなってませんからね。

「僕は先刻奥さんに、人から笑われないようによく気をおつけになったらよかろうという注意を与えました。奥さんは僕の注意などを受ける必要がないと云われました。それで僕もその後を話す事を遠慮しなければならなくなりました。考えるとこれも僕の失言でした。併せて取消します。その他もし奥さんの気に障った事があったら、総て取消します。みんな僕の失言です」

 ……の後、お延は何も反論できていませんからね。つまり小林はお延の言葉を奪ってしまった、詰責した筈のお延が黙らされている訳です。云いたいことは山ほどある、何か一言言い返したいけれど、言葉が見つからない。そういう場面です。それは会話というものが基本的に相手が言ったことを前提にして成立するからで、小林はここで前言を取り消すというマジックを使って会話を終わらせています。ここには「会話の無さ」がまずあります。それから「説明」ですが、実質、「津田君の事を話すとあなたが死にたくなるからやめましょう」と言っちゃっていますよね。言ってませんけど。言わないで「説明」して、お延を人から笑われる女にしてしまっています。

 何故ここが妙かと言うと、後に津田は清子を追いかけて温泉に行くわけですが、その場にお延はついて行きません。その間、読者は「予告通り吉川夫人はお延を躾けているんだろうか?」などと考えてしまうわけですが、そうなると「人から笑われる女」という小林の言わない「説明」が利いてきますね。

 上司の妻の采配で昔の女、しかも人妻にして流産済みの女を温泉宿に追いかける痔瘻の半病人の夫の妻が、その上司の妻、つまり吉川夫人に何やら躾けられていたら、そりゃ、人から笑われますな。しかしそこは漱石はまだ書いていません。小林の言わない「説明」によって、ロジックとして現れるわけです。

 この一つ前の会話の中でお延は、

「そうですか。私はまた生きてて人に笑われるくらいなら、いっそ死んでしまった方が好いと思います」(夏目漱石『明暗』)

 ……と、鋭い楔を打ち込んでいます。この小林とお延の会話を津田は聞いていないわけです。もし津田との会話の中で同じ台詞があれば津田は温泉行を思いとどまったかも知れません。ですから読者だけは、「ああ、温泉に行っちゃったよ」と呆れるわけです。お延の火のようなプライドを引き出すために小林のいやったらしいおもわせぶりな言葉が必要だったと思えば、やはり『明暗』の会話はなかなか巧みなんじゃないかと思います。





[余談]

夏目漱石もその『猫』が始めてホトトギスに出た時は賣れるかどうかと思つて盛春堂の店頭に立つて見守つたものだといふことである。(『和歌維新 : 和歌技術の書』三井甲之 著原理日本社 1942年)
思出座談會の節、景浦直孝氏が語られたところによれば、夏目漱石は此夏季休暇に際し、歸省中の子規を松山に訪問してゐる。夏目漱石は學生時代にも子規を訪ねて松山に來てゐる。それは明治二十四年であつた。(『友人子規』柳原極堂 著前田出版社 1946年)

 つまり松山がどういうところなのか知っていて、松山に赴任したわけだ。それにしても夏休みに松山に行くとは随分余裕があるな。

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