たまたまながら中島敦にも『西遊記』にちなんだ『悟浄出世』『悟浄歎異
―沙門悟浄の手記―』などの作品がある。
その他孫悟空がたとえ話に出てくる小説はいくつもあるが、『西遊記』の現場に臨場して小説が書かれる例として牧野信一、中島敦の二例が極めて特異に近似して見える。
このように「玄奘三蔵法師が或日、孫悟空に向つて」と書かれてしまうと、昭和十六年に中島敦が『悟浄出世』を、
と書き始めた時には、少しは牧野信一に対する意識があったかもと思ってはみる。しかし中島敦には漱石や芥川などは読んでいたようではあるのだが、牧野信一とのつながりは見えてこない。言ってみれは牧野信一はそういう存在でもあるのだ。つまり誰もが必ず読む作家というわけではない。
しかしたまたまながら三島由紀夫が牧野信一と中島敦、そして梶井基次郎に対して「夜空に尾を引いて没した星のやうに、純粋な、コンパクトな、硬い、個性的独創的な、それ自体十分一ヶの小宇宙を成し得る作品群を残したことで、いつまでも人々の記憶に、鮮烈な残像を留めている」作家と評価していることもまた事実なのである。おそらく三島由紀夫にこのように規定されたことによってそれ以降牧野信一の評価はこの三島の基準というものを一応の目安として読まれることになろう。中島敦にしてもある意味では死後再評価されたと言えるわけだし、作家というものは何時でもしかるべき読み手に発見される前は「その他大勢」でありうる。
それにしても牧野信一ですら今更誰でもが知っている『西遊記』をいじくってどうしようというのかと改めて考えてみる。三蔵法師は孫悟空に「なんで天下とらへんねん」と質問した。孫悟空の答えは殊勝なもので「死んだら何にもなりませんもん」というものだ。
この「天地に説いて万世に遺さう」の目的語が解らないところだ。それが「名(名誉)」なのか「理(教え)」なのか。しかも「天下」ではなく「天地」なのだからややこしい。「天下」なら「民衆」「人々」になろうが、「天地」だと「天」にも何かを説くことになる。
天?
この地上にあって天とは天皇のことではないのか?
天皇に何を説くのだ?
玄奘はテロリスト、覇王の理屈を述べ、悟空は「若し私が猿でなかつたら必ず王になつてお目にかけますが」とまた剣呑なことを云う。
牧野が処女作について語りたがらず、その背景には何もないと強調し、実際に『闘戦勝仏』を温存し、四年近く出し渋っていたという経過を見ると、そこに谷崎潤一郎の影響などを絡めることなく、ひどく政治的なものが見えてくる。
仮に大正五年にこれを書き、大正九年にこれを発表していたとしたらここで「醜い妖魔」「あの見苦しい姿体と顔貌の所有者」と呼ばれている王は、大正天皇という理屈になる。
悟空は自分がテロリストになるつもりがないことを強調する。しかしそもそも何故玄奘がこのようにそそのかしているのかが気になるところである。そしてさらに注意深く読めばここで悟空はマゾヒストであり、ドミナ願望があり、露出狂であることが解る。そんな作家が外にもいたな。
夏目雅子の女性的な美しさに慣れたものが読めば、つい悟空のセクシュアリティを読み誤りそうである。悟空は必ずしも女性的な玄奘とまでは踏み込まず、あくまでも中性的な観音的な美を玄奘に見ているのであろう。悟空は天皇をおかずにはしない。おかずは玄奘なのだ。
牧野信一は「その裏に動く慾心を正直に悔ゆるところは他人の真似の出来ぬ徳であらう」として「エントゥシアスモス(神に充たされること・憑霊)」とエクスタシス(外に出ること・脱自)の霊的体験」の行動化などという屁理屈を鼻で笑って見せる。AかBかの話だとしよう。昭和天皇、美智子様、当時の三島由紀夫が惹かれるとしたらどちらであろうか。三島由紀夫は『仮面の告白』で主人公が腋毛ボーボーの男に惹かれるさまを描いたが、本当はどうなのかと。
三島の霊がイタコで降りてきたら「こりやどうも、おだてられてゐるのだか、憐れまれてゐるのだか、讚められてゐるのだか、或は度し難き馬鹿と見限られてしまつたのか、いや屹度さうに違ひない」と言いそうなものだと揶揄って見せる。
この牧野の『闘戦勝仏』に谷崎潤一郎の『麒麟』の影響がみられるという見立ては慧眼であると武田信明のリンクをクリックしてみた。
江戸時代の旗本に飛んだ。武将の「武田信春」とは別人だそうだ。なんと牧野信一は江戸時代から研究されていたのである。
[付記]