大正八年五月三十日芥川は猫を貰っている。三島由紀夫にも結婚前に猫とじゃれている写真があるが、よほど注意深く観察しなければ、この二人と猫を結び付けることはできないだろう。
猫を飼えば何かにつけて猫について書きたくなるものではないかと思う。猫という生き物はそういうチャームを持っている。しかしこの二人は驚くほど、と言っていいと思うが、猫について語っていない。いや、猫について語らないのではない。「我が猫」について言及しないのだ。
ここまで書いていて、「うちのチビは……」と芥川は書かない。小説にも猫は何度も登場するが、そこで「うちのは……」と書くわけにはいかない。しかしここはついつい、「うちのは……」と書いてしまいそうなものだが書かない。芥川は犬嫌いと云われているが、猫好きとは言われていない。
実にぎりぎりの書き方だ。「僕等」とされているので一般論であり、具体的に自分も猫を飼っていると書かれているように読めない。
確かに隠されているわけではない。「猫を飼っていらっしゃるんですか?」と訊かれれば、「ええ、そうです」そうですとは答えそうな書き方だ。しかしぎりぎり「うちの猫」と書かない。
こうした書きようからは猫に対する愛着よりもむしろ遠く突き放した感覚が見える。猫には確かにこうした野生の本質と、人に頼る怠惰が同居しているものだ。猫を飼う人間はむしろそこに惹かれていく。芥川にはそういうものが見えない。
とはいえ、やはり芥川は猫が嫌いというのではなかろう。
三島由紀夫は丸顔の女性が好みだと言って、奥さんを貰った。芥川も猫顔が好きらしい。
しかしべた惚れはしない。
やはりどこか猫を突き放している。猫好きの人は、道を歩いていて猫の鳴き声が聞こえるとつい立ち止まる。猫が道ばたて寝ているとついスマホで写真を撮る。芥川にはそういうところがない。芥川はスマホを持っていなかったからだ。
という話でもなくて、猫の俳句もこれだけしかないんだな。
かげろふや猫にのまるる水たまり
餅花を今戸の猫にささげばや
全然飼っている感じがしない。