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『彼岸過迄』を読む 4340 千代子は何故働かないのか

 昔の小説を現代の感覚で読んで批判する人がいる。それは果してフェアなことなのだろうか。たとえば女性の美醜を論うこと、そもそも美人と認めること、美人に惚れることなどに対して、それらはすべて男目線であり、偏見であると云われてしまうとなかなか反論が難しい。また逆に何から何まで「当時の日本では当たり前だったんだ」と決めつけてしまうと途端に見えなくなることがある。例えば『彼岸過迄』を読めば誰でも「自動車」と「自働車」の違いについて考えさせられる筈なのだが、やはり近代文学1.0においては、このことも論じられてこなかった。『彼岸過迄』において、「自動車」の文字は三回現れ、「自働車」も三回現れる。この自動車事件を「当時の日本では当たり前だったんだ」と決めつけてしまうことは許されることではない。そんなことをするとたちまちチヨツと舌打ちされてしまうだろう。

 思い返してみれば、いや未来を先に見てしまえば、『行人』ではお抱えの車夫が登場する。直が重箱を持って、二郎を訪ねる場面だ。提灯に紋が這入っているということは、そういうことだろう。『彼岸過迄』では、

 そこで離れていて合い、合っていて離れるような日向日蔭の裏表を一枚にした頭を彼は田口家に対して抱いていたのである。それを互違にくり返した後、彼は田口の門前に立った。するとそこに大きな自働車が御者を乗せたまま待っていたので、少し安からぬ感じがした。(夏目漱石『彼岸過迄』)

 このように「自働車」は高くソリッドな壁として現れる。お抱えの車夫が引く人力車は目に入らぬが、大きな自働車は人を威圧するものなのだ。

「実はさっきの御客がまだ御帰りにならないで、御膳などが出て混雑しているんです」
 落ちついて聞きさえすれば満更無理もない言訳なのだが、電話以後この取次が癪に障っている敬太郎には彼の云い草がいかにも気に喰わなかった。それで自分の方から先を越すつもりか何かで、「そうですか、たびたび御足労でした。どうぞ御主人へよろしく」と平仄の合わない捨台詞のような事を云った上、何だこんな自働車がと云わぬばかりにその傍を擦り抜けて表へ出た。(夏目漱石『彼岸過迄』)

 これは殆ど先日も引用したこの、

 石段を三十六おりる。電車がごうっごうっと通る。岩崎の塀が冷酷に聳えている。あの塀へ頭をぶつけて壊してやろうかと思う。時雨はいつか休んで電車の停留所に五六人待っている。背の高い黒紋付が蝙蝠傘を畳んで空を仰いでいた。
「先生」と一人坊っちの高柳君は呼びかけた。
「やあ妙な所で逢いましたね。散歩かね」
「ええ」と高柳君は答えた。
「天気のわるいのによく散歩するですね。――岩崎の塀を三度周るといい散歩になる。ハハハハ」
 高柳君はちょっといい心持ちになった。(夏目漱石『野分』)

 岩崎の塀だ。人を威圧する権威の象徴だ。これは確かに認知バイアスだが、人は常にそうした意味という誤謬の中で生きている。例えば、無職の人間が「先輩、何故動かないんですか?」という文章をみると、つい「先輩、何故働かないんですか?」と読み間違えてしまう。そういうことがある。

 この威圧する「自働車」は後に自動車事件として軽いトラウマとなり田川敬太郎の心に刻まれる。何故働かないのかではなく、適当な職がないのだ。学士なのに。しかし時代はむしろ学士だからこそ高等遊民というレイヤーに田川敬太郎を押し込めてしまう。

 この時代、全ての女性が働かなかったわけではない。当然女性にも職業があった。女性ならではの職業もあった。須永市蔵の家には作という小間使いがいた。しかし千代子は働かない。それは何故か。

 それは夏目漱石が千代子を働かせたくなかったからだろう。漱石は下女と看護婦くらいしか職業人としての女性を描いてこなかったのではなかろうか。現代人であれば職業とはそもそも生活のための手段、賃金を稼ぐための仕方ないことなどではなく、社会参加や自己実現の手段であると認めてくれるだろう。しかし漱石には明らかに女性が労働によって社会参加や自己実現を果たすという発想がなかった。資産家に嫁ぐことが女性の幸せだと考えていたようなところがある。

 夏目漱石作品の中で労働者の妻は少なからず金の苦労をしている。『それから』の三代子、『門』の御米、『明暗』のお延などである。『それから』執筆後、『満韓ところどころ』の前に、漱石は中村是公に「働いても金が溜まらない。相続財産のようなものが欲しい」とボヤいている。女性を社会参加や自己実現のために働かせない理由は、女性に対する差別意識や偏見が全てではないのではなかろう。現に学士の労働者として必死に書き続け、時代に生きていた男の本音、「労働とは楽なことではない」という意識の表れではなかろうか。

 何しろこの時漱石は肉体的にはボロボロである。われとわが身を顧みた時、同じことを女性にやらせようとは思わないのは寧ろ女性に対する差別意識や偏見ではなく優しさなのではなかろうか。

 無論これは時代の話でもある。松本恒三の父親には漱石の感覚はなかっただろう。しかし田口要作にはその感覚があった。松本恒三には二人の姉がおり、松本恒三には「三」という数字が与えられた。田口要作は田口吾一という極めて言いにくい名前にしても長男に「一」を与えた。千代子も百代子も適当な相手を見つけてさっさと嫁にやる気が満々である。

 自分の子供に咲子、重子、嘉吉、宵子と数字を与えなかった松本恒三はさすが高等遊民である。なんだか自己実現を期待していそうな名前である。松本恒三はむしろ女性が自己実現をできる未来に期待していたのではなかろうか。そしてそれこそが漱石の本音ではなかったか。

 いや、長男の名前が解らないので、そうとも言い切れないな。



[余談]

『草枕』の「情に掉させば流される」の意味が誤解されているという。なるほど現代では殆ど棹とはあっちの意味で使われる。そりゃ、流されるわ。



























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