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市川真人、富岡幸一郎、君たちはもう漱石を語るな




市川 真人/早稲田大学文学学術院准教授

 この人もやらかしていますね。准教授だそうです。学生さんではなさそうなので、少し厳しめに指摘しますよ。

>自分を唯一無二の親友と信じて恋心を打ち明けた相手を

 Kは友達は一人もいないと言っています。先生に養子に行ったことも告げません。どこに唯一無二の親友と書かれていましたか?

 そう書くからにはKが真砂町事件で片足を泥の中に踏み込んだとみるわけですよね? そしてお祝いの意味が摑めている訳ですよね。そうでないならこの書き方は誤りです。

>乃木希典が明治天皇の崩御を機に自決した報せを聞いて

 崩御と御大葬の区別もできないのでしょうか? それに静子のことが見えていませんね。崩御と御大葬には二ヶ月の差があります。それから色々あって自叙伝を書いてから先生は死ぬのですよ。忘れて仕舞いましたか?

>忘却こそが私たちの「こころ」の宿命であり本質だ、と『こころ』は(またにその題名に象徴して)伝えてくれます。

 それは記憶力のないあなたの本質です。書かれたことを読まないで忘れて仕舞い、それでも批評しようとするうっかり屋さんの見本です。
 これが早稲田の実力ですか?

 記憶して下さい。私はこんな風にして生きて来たのです。始めてあなたに鎌倉で会った時も、あなたといっしょに郊外を散歩した時も、私の気分に大した変りはなかったのです。私の後ろにはいつでも黒い影が括ッ付ついていました。私は妻のために、命を引きずって世の中を歩いていたようなものです。あなたが卒業して国へ帰る時も同じ事でした。九月になったらまたあなたに会おうと約束した私は、嘘を吐いたのではありません。全く会う気でいたのです。秋が去って、冬が来て、その冬が尽きても、きっと会うつもりでいたのです。(『こころ』夏目漱石)

 「記憶」の文字は三十三回出てきます。「記憶してください」は二回出てきます。



富岡幸一郎

この人も駄目ですね。
>私「わたし」という青年

「わたくし」です。※初出と決定稿の違いはありますが。

>そして先生はお嬢さんと結婚をして東京へ行き、

 それまではどこにいましたか? どういう読み方をされたのでしょうか?

>心の悩みというか、哲学的に言うと実存的というか悩みがありました。

 何を言っちゃっているんでしょうか? 何か難しそうなことを言わなくてはならないという病にかかって、かえって意味のないことを言ってしまう人が多すぎるように思います。

 もう少し謙虚になれないものでしょうか。

 書く前に読む。

 書く前に正しく読む。

 書く前に自分に書く資格があるのかどうか徹底的に問い直す、そんなことが必要じゃないでしょうか?

 本当にちょっと厳しい書き方にはなりましたが、この程度に書かねばならない程度に漱石論はあまりにも多くのノイズでありゴミなのです。すべての漱石論者が誤読していると言ってよいでしょう。

 ある程度の立場にある人は、身を引くなりという引責が必要でしょう。でたらめな情報がやがてカオスを形成します。

 訂正と引退を求めます。


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