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芥川龍之介の『歯車』をどう読むか④ 聖人の嘘をつかれる筈はない

聖人の嘘をつかれる筈はない


 僕は勿論黙ってしまった。それから又皿の上の肉へナイフやフォオクを加えようとした。すると小さい蛆が一匹静かに肉の縁に蠢めいていた。蛆は僕の頭の中に Worm と云う英語を呼び起した。それは又麒麟や鳳凰のように或伝説的動物を意味している言葉にも違いなかった。僕はナイフやフォオクを置き、いつか僕の杯にシャンパアニュのつがれるのを眺めていた。 (芥川龍之介『歯車』)

 伝説的動物としてのWormは、いわば翼のないドラゴン、地を這う龍のようなものだ。作中繰り返し現れる翼のモチーフは最終的には歯車の幻覚と入れ替わる。主人公は龍にはなれなかった。翼はなかった。最後に現れた銀色の翼は頭痛を呼び起こす幻覚でしかなかった。主人公はWormでしかなかったのだ。

 海は低い砂山の向うに一面に灰色に曇っていた。その又砂山にはブランコのないブランコ台が一つ突っ立っていた。僕はこのブランコ台を眺め、忽ち絞首台を思い出した。実際又ブランコ台の上には鴉が二三羽とまっていた、鴉は皆僕を見ても、飛び立つ気色さえ示さなかった。のみならずまん中にとまっていた鴉は大きい嘴を空へ挙げながら、確かに四たび声を出した。 (芥川龍之介『歯車』)

 昔ぶら下がり健康器というものが流行した。これは一年後大抵物干し器に変わった。ブランコのないブランコ台をブランコ台と呼んでいいものかと考えた時、水泳の達人芥川龍之介が川流れする絵が浮かぶ。翼はなかった。なら芥川龍之介ではなく、芥川Worm之介なのではないか。

 「Le diable est mort」

 「悪魔は死んだ」

 この悪魔とはサタンであり堕天使であろう。

僕は又机に向い、「メリメエの書簡集」を読みつづけた。それは又いつの間にか僕に生活力を与えていた。しかし僕は晩年のメリメエの新教徒になっていたことを知ると、俄にわかに仮面のかげにあるメリメエの顔を感じ出した。彼もまたやはり僕等のように暗の中を歩いている一人だった。暗の中を?――「暗夜行路」はこう云う僕には恐しい本に変りはじめた。僕は憂鬱を忘れる為に「アナトオル・フランスの対話集」を読みはじめた。が、この近代の牧羊神もやはり十字架を荷っていた。……(芥川龍之介『歯車』)

 このように新教徒に失望する主人公は、救い主イエス・キリストを信仰する気になれないのだろう。彼自身が堕天使であるために。そして神になる事をとうに諦めたから。

 君は自然の美しいのを愛し、しかも自殺しようとする僕の矛盾を笑ふであらう。けれども自然の美しいのは僕の末期の目に映るからである。僕は他人よりも見、愛し、且又理解した。それだけは苦しみを重ねた中にも多少僕には満足である。どうかこの手紙は僕の死後にも何年かは公表せずに措いてくれ給へ。僕は或は病死のやうに自殺しないとも限らないのである。
 附記。僕はエムペドクレスの伝を読み、みづから神としたい欲望の如何に古いものかを感じた。僕の手記は意識してゐる限り、みづから神としないものである。いや、みづから大凡下の一人としてゐるものである。君はあの菩提樹の下に「エトナのエムペドクレス」を論じ合つた二十年前を覚えてゐるであらう。僕はあの時代にはみづから神にしたい一人だつた。(芥川龍之介『或旧友へ送る手記』)

 堕天使、芥川Worm之介には神には与えられない権利が与えられた。

 あらゆる神の属性中、最も神の為に同情するのは神には自殺の出来ないことである。(芥川龍之介『侏儒の言葉』)

 と、芥川龍之介は嘘を書く。芥川龍之介は聖人ではないが、大凡下の一人ではない。人間には翼の代わりに手が与えられた。それが故文字を書くことができる。しかし誰一人その書かれたもの、芥川Worm之介の『歯車』を読もうとさえしない。ただ眺めるだけだ。




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