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『三四郎』の謎について36  のっぺらぼうとは誰か?

「ヘーゲルのベルリン大学に哲学を講じたる時、ヘーゲルに毫も哲学を売るの意なし。彼の講義は真を説くの講義にあらず、真を体せる人の講義なり。舌の講義にあらず、心の講義なり。真と人と合して醇化一致せる時、その説くところ、言うところは、講義のための講義にあらずして、道のための講義となる。哲学の講義はここに至ってはじめて聞くべし。いたずらに真を舌頭に転ずるものは、死したる墨をもって、死したる紙の上に、むなしき筆記を残すにすぎず。なんの意義かこれあらん。……余今試験のため、すなわちパンのために、恨みをのみ涙をのんでこの書を読む。岑々たる頭をおさえて未来永劫に試験制度を呪詛することを記憶せよ」
 とある。署名はむろんない。三四郎は覚えず微笑した。けれどもどこか啓発されたような気がした。哲学ばかりじゃない、文学もこのとおりだろうと考えながら、ページをはぐると、まだある。「ヘーゲルの……」よほどヘーゲルの好きな男とみえる。
「ヘーゲルの講義を聞かんとして、四方よりベルリンに集まれる学生は、この講義を衣食の資に利用せんとの野心をもって集まれるにあらず。ただ哲人ヘーゲルなるものありて、講壇の上に、無上普遍の真を伝うると聞いて、向上求道の念に切なるがため、壇下に、わが不穏底の疑義を解釈せんと欲したる清浄心の発現にほかならず。このゆえに彼らはヘーゲルを聞いて、彼らの未来を決定しえたり。自己の運命を改造しえたり。のっぺらぼうに講義を聞いて、のっぺらぼうに卒業し去る公ら日本の大学生と同じ事と思うは、天下の己惚うぬぼれなり。公らはタイプ・ライターにすぎず。しかも欲張ったるタイプ・ライターなり。公らのなすところ、思うところ、言うところ、ついに切実なる社会の活気運に関せず。死に至るまでのっぺらぼうなるかな。死に至るまでのっぺらぼうなるかな」(夏目漱石『三四郎』)

 『三四郎』は、ある意味では「偉大なる暗闇」こと広田がまだ大学教授になれないでくすぶっている話でもあります。そう考えてみるとこのヘーゲルに対するべた褒めは妙に面白いのです。

 ヘーゲルが教授になるのは1816年、ハイデルベルク大学においてですが、ここでは敢て「ヘーゲルのベルリン大学に哲学を講じたる時」とベルリン大学時代にフォーカスしています。フンボルト大学ベルリン、いわゆるベルリン大学におけるヘーゲルと言えば、ベルリン大学初代哲学教授(学長)ヨハン・ゴットリープ・フィヒテの後任として1818年に招かれたことになります。

 フィヒテの着任期間は1810年からの7年間だとすると、1896年から1903年までの7年間、東京東京帝国大学英文学講師の任にあり、夏目漱石の前任者であった小泉八雲のことがちらりと脳裏に浮かびます。「文学もこのとおりだろう」という書き方にはそのあたりのいたずら心も含まれていたのではないかと思います。

 ここで「のっぺらぼうに講義を聞いて、のっぺらぼうに卒業し去る」の「のっぺらぼう」は人ではなく、スタイルの問題として使われているようですが、よく見て見ましょう。「のっぺらぼうに講義を聞いて」は飽くまでも「ヘーゲルを聞いて」と対になっており、つい人かと思ってしまいます。どうも言葉が懸かっている感じもします。

 それというのも小泉八雲と言えば、

『これ! これ!』と蕎麦屋はあらあらしく叫んだ『これ、どうしたんだ? 誰れかにやられたのか?』
『否いや、――誰れにもやられたのではない』と相手は息を切らしながら云った――『ただ……ああ!――ああ!』……
『――ただおどかされたのか?』と蕎麦売りはすげなく問うた『盗賊どろぼうにか?』
『盗賊どろぼうではない――盗賊どろぼうではない』とおじけた男は喘ぎながら云った『私は見たのだ……女を見たのだ――濠の縁ふちで――その女が私に見せたのだ……ああ! 何を見せたって、そりゃ云えない』……
『へえ! その見せたものはこんなものだったか?』と蕎麦屋は自分の顔を撫でながら云った――それと共に、蕎麦売りの顔は卵のようになった……そして同時に灯火は消えてしまった。(小泉八雲『貉』戸川明三訳)

 この「MUJINA」があまりにも有名だからです。

 ヘーゲルはいざ知らず、夏目漱石の場合、小泉八雲の後任ということで最初は相当苦労があったようで、その思いがついついここに出てしまってはいないでしょうか。

 大学の外国文学科は従来西洋人の担当で、当事者はいっさいの授業を外国教師に依頼していたが、時勢の進歩と多数学生の希望に促されて、今度いよいよ本邦人の講義も必須課目として認めるに至った。そこでこのあいだじゅうから適当の人物を人選中であったが、ようやく某氏に決定して、近々きんきん発表になるそうだ。某氏は近き過去において、海外留学の命を受けたことのある秀才だから至極適任だろうという内容である。
「広田先生じゃなかったんだな」と三四郎が与次郎を顧みた。与次郎はやっぱり新聞の上を見ている。
「これはたしかなのか」と三四郎がまた聞いた。
「どうも」と首を曲げたが、「たいてい大丈夫だろうと思っていたんだがな。やりそくなった。もっともこの男がだいぶ運動をしているという話は聞いたこともあるが」と言う。(夏目漱石『三四郎』)

 そして『三四郎』のストーリーの中ではこの「近き過去において、海外留学の命を受けたことのある秀才」というのが夏目漱石をあてこすっていますね。自分で自分をあてこするという表現もどうかと思いますが「この男がだいぶ運動をしているという話は聞いたこともあるが」と書くのはやはりあてこすりなんじゃないでしょうか。

 そうなると海外留学の経験のない広田は……

 どこか海外留学経験のない上田敏、上田柳村を意識したところがあるようにも思えますが、ここより先に進むとただの与太話になるので止めておきましょう。

 ただヘーゲルはたまたまではないでしょうね。

 漱石はヘーゲルの心意気に感動していますしね。

 そんな話をどこかに書いています。探して読んでください。



[余談]

 鳥取の「から方言」話をしましたが、鳥取弁では現在進行形の時制があります。「している」→「しとる」を「be+~ing」の現在進行形を表現する場合、「まさに今なになにをしている」という意味で「しょーる」を使います。「いましょーるがな」と言います。「今殺しよーるがな」「今吊しよーるがな」みたいに。おかげで鳥取の現在進行形の授業はさらっと流して終わりです。(嘘)

[余談②]

 今週、一月以上前の記事を読んだ人ってそう多くないんですよね。しかしどうですか、夏目漱石だけに絞っても莫大な情報を投げかけていますよね。二年前に書いた記事との関連でも書いているので、目の前の記事だけ読んでもつながりが解らないんじゃないですか。

 それでも解るように書けと言うことなんでしょうが、それは無理です。

 自分も自分が書いたことを全部覚えていませんから。だから昔の記事を読み返して、書いています。直近の記事だけ読めば全部わかるということはないですよ。それは私の書き方の所為ではなく夏目漱石という人の書き方の所為です。

 途轍もないんです。

 まずそのことを理解してもらう必要がありますね。無論これは夏目漱石に限らずの話で、南方熊楠や中村元をA4一枚でまとめるなんて無理ですよね。おそらく香川照之だってそうなんですよ。

 私?

 私は簡単ですよ。午後七時以降は酔っぱらった馬鹿なので真面に相手にしないでください。

 プログラミングをしない方も使い方に注意したいところ。













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