簀むし子や雨にもねまる蝸牛
この句に冠しては独特の解釈をしている人がいる。簾虫籠を「簀むし子」に転じていることから、
……という解釈だ。なかなか面白い解釈だがひとまず置こう。
室生犀星が書いていることが確かならば「簀むし子」は金沢方言で「簾戸」、「ねまる」は「ねている」ではなく、「坐る」という意味になるからだ。
新辞林には項目なし。
明鏡、新明解は項目なし。それぞれ微妙に解釈の違いがあり面白い。実はこの「ねまる」に関しては例によって芥川が多義性に遊んだ可能性があり、どちらともどちらでないとも決めがたいところをわざと持って来たものと考えられるのだ。
涼しさをわが宿にしてねまるなり 芭蕉
この句の解釈に関して
凉さを我宿にして寐まる也 芭蕉
wikisourceは「寐まる」という表記を用いている。岩波書店の芭蕉全集は前者の表現である。「ねまる」の表記の方が圧倒的に多い。
この表記に対しても「寛ぎて起座す」という鑑賞がある。
さあ、お受験問題になった。大変なことだ。しかもこちらは「橫になつたりしてゐる」という解釈だ。
実は『奥の細道』で詠まれたそのお隣の「かひやがした」の「かひや」が今を持ってして万葉集注解で語義の定まらない言葉で、芭蕉もそこをさらに「かはず」ではなく「ひき」を持ち出してさらに訳の分からないことにしてしまっているのだが、そのことも全く関係のない話だとも思えないのである。
結局根無し草になるまいとして古歌にちなんで、語句の多義性の前に頓珍漢になった歌を芭蕉は揶揄ったのではないか、と私は解釈している。
つまりひねくれ坊主我鬼の二百年前にひねくれ坊主芭蕉がいて、解釈を迷わせる句で遊んでいたわけである。
ならば芥川が遊ばない手はなかろう。
石原や照りつけらるゝ蝸牛 一茶
宵越しの茶水明かりや蝸牛
朝やけがよろこばしいか蝸牛
ぬれたらぬ艸の月よや蝸牛
蝸牛気任せにせよ艸の家
蝸牛蝶ハいきせきさハぐ也
蝸牛我と来て住め初時雨
蕣ハはや風の吹かたつぶり
鶯と留守をしておれ蝸牛
蝸牛角ふりわけよ須磨明石 芭蕉
五月雨や小牛の角の蝸牛 子規
蝸牛の喧嘩見に出ん五月雨
蝸牛の角のぶ頃や五月雨
雨水のしのぶつたふやかたつぶり
一日の旅路しるきや蝸牛
蝸牛と風雅の主や竹の垣
生れるといはぬ身を恥よ蝸牛
大釜の底をはひけり蝸牛
此頃は居らなくなりぬ蝸牛
声あらは何となくらん蝸牛
ちゞまれば広き天地ぞ蝸牛
蝸牛を風雅の主や竹の杓
蝸牛明家の錠のくさりけり
傾城のうらやまれけり蝸牛
五月雨や小牛の角に蝸牛
蝸牛の角のさきなり安芸愛媛
石の上に重なりあふて蝸牛
蝸牛それさへ文字はならひけり
殻ともに踏みつぶされて蝸牛
其角の長さくらべん蝸牛
竹椽や嵐のあとの蝸牛
朝鮮は蝸牛程の大きさよ
蝸牛の角ふりわけよ幾ところ
蝸牛の隣の喧嘩のぞきける
蝸牛や寺の屋陰の大楷子
ぬらくらと蝸牛の文字の覚束な
蝸牛や雨雲さそふ角のさき
蝸牛やおほつかなくもにしり書
我画いて雲に乗り去る蝸牛
長明の車が来たぞ蝸牛
蝸牛の頭もたけしにも似たり
こうして先人たちの句を眺めているうちに、どうやったら蝸牛が座っていることになり、どうやったら蝸牛が寝そべっていることになるのかがわからなくなる。
そもそも蝸牛は坐ったり、寝そべったりしないものなのではなかろうか。そこを芭蕉が遊んだ怪しい言葉でもってわざと解らないように詠んだところに芥川の遊びがある。
金沢方言の句としては外に六句ほどがあり、「簀むし子」に関しては素直に金沢方言を入れたと考えて良いが「ねまる」に関しては、芭蕉や鏡花の影響も含めて広くとらえる必要があるだろう。
まずこの言葉に二つ以上の意味があり、金沢方言と云う以前に古語として「坐る」の意味があることまでは芥川の教養の範囲であろう。さらに芭蕉の句を多く諳んじている芥川が、
涼しさをわが宿にしてねまるなり
……という句を知っていた可能性は高い。
いずれにせよ蝸牛に対して「ねまる」という言葉を用いたことは芥川らしい悪戯であり機智である。
簀むし子や雨にもねまる蝸牛
この句は、
簾戸や雨にもねまる蝸牛
簾戸や雨にもこやる蝸牛
簾戸や雨についゐる蝸牛
いずれでもあり、また
簾戸や雨にさぶらふ蝸牛
簾戸や雨にさもらふ蝸牛
簾戸や雨にいまさふ蝸牛
簾戸や雨におはさふ蝸牛
簾戸や雨にゐたまふ蝸牛
なのであろう。
【余談】
春で良かった。そしてその時、あれを見たのか。