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這出よかひやが下のひきの聲 「かひや」の正体



『奥細道菅菰抄』(高橋梨一 (蓑笠庵) 著/共同出版/明42.6)によれば、

夏草や兵どもが夢の跡

夏草やつはものともか夢の跡

である。どうも濁点が足りない。そして「兵」と漢字があてられる「つはもの」はひらがなである。

いや、それはどうでもいい。

問題は48ページのこの句である。


這出よかひやが下のひきの聲

この句は『万葉集』にある「朝霞かひやが下になく蛙」を元歌にしたものだが解説にあるようになかなか渋滞している。

まず「万葉集注釈」にあたっても「かひや」の意味は定かではない。

鹿火屋、蚊火屋、あるいは飼ひ屋などの字があてられる。

万葉集の蛙はヒキガエルではなく、カジカガエルで「かはず」である。

万葉集において鹿も「かはず」もその美しい声を聞くもので、姿を見るものではない。

芭蕉は飼ひ屋の意味で詠み、カイコを飼う小屋の下のヒキガエルを見ようとしているようだが、このことがそもそもカイコとカジカガエルではサイズ感がしっくりいかないことを示唆しているとも言えよう。

カジカガエルの餌としてカイコは大きすぎるのだ。

鹿や蚊を追い払う必要がある畑や人家にカジカガエルは近寄らない。

カジカガエルは清流のほとりに棲む。かはずが読まれた万葉歌は二十首ほどあるが「かひや」が出て来る二首以外はいずれも水に関連した文字が現れる。

さて「朝霞かひやが下になく蛙」の「かひや」とは何か。

私はこれを木などを組み合わせて川に仕掛けられた魚を捕る仕掛けだと考えている。

這出よかひやが下のひきの聲

という句があることによってあたかも「かひや」なるものが実在したかのようでもあるが、芭蕉もそんなものはみていないだろう。

 そもそも芭蕉の句は写生ではなく取り合わせなのだ。


万葉歌人の見ていたものも本当は川崎麻世と離婚したカイヤなのかもしれない。



※万葉学者は万葉集を読み、万葉仮名を読み、「万葉集注釈」の類書を読み一生を終える。つまり万葉集について何か書いている人は万葉学者ではない。和歌を語るのに「国歌大観」を読まないものはいまい。日本には俳句の結社が五千もあり、日々俳句が何十万と詠まれている。まさにnote的世界である。




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