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ほとんど信じがたいほどの幼稚なあやまり 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む56

何度目かの「天皇とは何か」

 

 平野啓一郎は一度だけ神であるべきであった。三島由紀夫論を書こうとしたとき、その一度だけで良かった。しかし実際、平野啓一郎は人間のまま、小学生並みのずさんな読みで三島由紀夫論を書いてしまった。この責任を彼は一体どうとるつもりなのであろうか。

 このことは結局どうにもならないのではないかと私は疑っている。彼は死ぬまで何事もなかったようにしらばっくれるのではなかろうか。読み違えなどなかった、見落としなどなかったと、そ知らぬふりを続けるのではなかろうか。

 もううすうすは気がついているのに。

 気がついている?

 多分もう平野啓一郎は気がついているだろう。しかし何事もなかったようにふるまっているのではなかろうか。

 平野啓一郎が私のnoteを読んでいると言っているのではない。『三島由紀夫論』を読み返せば、平野啓一郎自身が必ず気がつく筈だからである。この程度のことに気がつかないとしたら単なる馬鹿である。つまりこれまで私は何か画期的な、天才にしかできない指摘をしてきたわけではない。当たり前に読み返せばわかる、当たり前の指摘をしてきたにすぎない。

 その結果として見直さねばならない点に以下のような要素がある。

・天皇とは何か

 ほぼこの一点のみで良かろう。

 金閣寺=絶対者=天皇とした時点で「『金閣寺』論」は失敗している。この失敗の原因は、その時々の三島由紀夫の中の天皇観の変化というものを認めないことにある。

 調べれば調べるほど分からなくなるのが天皇である。従って三島由紀夫の天皇に関する発言というのはその時々で変わっている。そこを年代別に整理するだけで「『金閣寺』論」から天皇を排除することは可能である。

 世代によって様々な天皇観がありうることは二・二六事件の青年将校の霊と特攻隊の霊における天皇観の違いを見ても明らかである。それは個人においても同じであろう。生涯天皇とは何かなどという問題を考えもしない人もいれば、ある日突然天皇に興味を持ち、天皇、天皇と言い始める人がいる。三島由紀夫は完全に後者だ。
 三島由紀夫にとって『憂国』の時点まで天皇は「御真影」や「勅令」でしかなかった。その程度に抽象化された遠い存在だった。

 これを平野の区分にあてはめると、

第一期   天ちゃん
第二期   比喩 存在しないもの 
第三期   (『風流夢譚』以前) 御真影 勅令
      (『風流夢譚』以降) 大元帥陛下 神から人間に変わったもの 
第四期   創り出さねばならないもの 絶対者 報酬の対償

 こういう区分になる。平野は意図的に第四期の「天皇」を第二期の『金閣寺』に代入することで失敗した。

 しかも金閣寺と天皇を結び付けながら、同じく金閣寺と結びつくはずの「乳房」「猫」「有為子」を天皇と結び付けないという欺瞞をなにごともないようにやってのけた。

 今になって思えばミスや抜け、見逃しや勘違いに見えるもの全てが意図的なもの、三島由紀夫論をまとめるための小細工に見えなくもない。

 例えば、美智子上皇と三島由紀夫の関係に関してはどうだろう。

 私は最初これは「抜け」だと思いたかった。資料調べの中でたまたま埋れてしまった情報の一つだったと。しかしよく読むと平野はこうも書いているのである。

 結婚前の三島の恋人としては、赤坂の高級料亭・若林の娘であった豊田貞子の存在が知られている。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 こちらは知っていてあちらは知らない。

 これはあくまでも知らなかったで言い逃れができることなのだろうか。

 実はある意味で平野啓一郎の言説は精緻なのである。

 一九六五年以降、第四期の三島は、天皇を指して、或いは天皇を念頭に、この〈絶対〉、或いは〈絶対者〉という言葉を使用している。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 こう言い切るためには、平野は、三島由紀夫が一九六五年に「天皇を指して、或いは天皇を念頭に、この〈絶対〉、或いは〈絶対者〉という言葉を使用」したこと、そして一九六四年以前に三島が「天皇を指して、或いは天皇を念頭に、この〈絶対〉、或いは〈絶対者〉という言葉を使用」していないという事実を確認しなくてはならない。
 つまり平野は第四期の「天皇」を第二期の『金閣寺』に代入することが出来ないことを知っていたのだ。たまたま何かがごっちゃになったのではなく、解っていて意図的に『金閣寺』を捻じ曲げようとしたのだ。
 

 だからこそ、正義が実現されていないのであり、君臣一体の国体を守り、天皇を救い出すことをこそが、彼らのパトスの根源であり、第一義の目的は、恋の成就を妨げる障碍の排除である。そして、そのパトスを刺激するものこそは、救い出すべき天皇そのもの、「永遠の現実否定」であり、永遠の「価値自体」たる天皇である。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 ここでも平野はさして論拠なく『英霊の声』の二・二六事件の青年将校たちの霊の思いを勝手に総括している。彼らが天皇を「永遠の現実否定」であり、永遠の「価値自体(ヴェルト・アン・ジッヒ)」たる天皇などと呼んではいないことは承知の上での所業である。

 われらは若く、文雅に染まらず、武骨ながら、われらの血と死の叫びをこめた不器用な恋をも、不器用な忠義をも、大君は正しく理会したまひ、受け入れたまふにちがひない。

(三島由紀夫『英霊の声』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 こんな彼らが、

 われらは若く、文雅に染まらず、武骨ながら、われらの血と死の叫びをこめた不器用な恋をも、不器用な忠義をも、ヴェルト・アン・ジッヒたる大君は正しく理会したまひ、受け入れたまふにちがひない。

 と言わないことは間違いない。では言わないまでも天皇をそう規定できただろうか。彼らの行為のうちに天皇を「永遠の現実否定」であり、永遠の「価値自体(ヴェルト・アン・ジッヒ)」たる天皇と見做すようなものがあっただろうか。

 例えば天皇に「死ね」と言われて死ぬことが彼らの夢である。そういう意味では天皇の言葉にも価値があるように思える。しかしその天皇が同時に「永遠の現実否定」であるとしたらどうであろうか。それでは天皇はまるでシネシネ団のミスター・Kではないか。

 それでも三島の中には「価値自体(ヴェルト・アン・ジッヒ)」たる天皇というものが確かにあり続けたのだ、とまだ平野啓一郎は言い張るだろうか

 今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇えることを熱望するあまり、この挙に出たのである。

『檄』/『文藝別冊 三島由紀夫』/河出書房新社/2005年/p.119~120)

 日本だね。

「日本の未来の若者にのぞむことは、ハンバーガーをパクつきながら、日本のユニークな精神的価値を、おのれの誇りとしてくれることである」
(「文藝春秋」昭和四十一年四月号)

(『終わり方の美学 戦後ニッポン論考集』/三島由紀夫/徳間書店/2015年/p.40)

  日本だよ。

 天皇自体に価値があるわけではない。三島由紀夫は天皇のために死んだわけではない。日本のために死んだのだ。

 二・二六事件は、戦術的に幾多のあやまりを犯している。その最大のあやまりは、宮城包囲を敢えてしなかったことである。北一輝がもし参加していたら、あくまでこれを敢行させたであろうし、左翼の革命論理から云えば、これはほとんど信じがたいほどの幼稚なあやまりである。しかしここにこそ、女子供を一人も殺さなかった義軍の、もろい清純な美しさが溢れている。この「あやまり」によって二・二六事件はいつまでも美しく、その精神的価値を永遠に歴史に刻印している。皮肉なことに、戦後二・二六事件の受刑者を大赦したのは、天皇ではなくて、この事件を民主主義的改革と認めた米占領軍だった。

(『二・二六事件について』/『生きる意味を問う -私の人生観』/三島由紀夫著/小川和佑編/大和出版/1984年/p.208)

 三島は彼らが宮城包囲しなかったことを「ほとんど信じがたいほどの幼稚なあやまり」と言う。同じあやまりを敢えて犯して、三島由紀夫は市ヶ谷のバルコニーに立った。

 天皇なんてものはただの天皇だ。


[附記]

 実際の二・二六事件の青年将校たちは武骨だが幼稚ではない。明日当たりそのことも書こうかな。


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