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芥川龍之介の『偸盗』をどう読むか②   これはその答えではないのか 

夏目文学の継承

 何度も似たような事を書いているが、今日現在に於ける私自身の最大の関心事は、

・何故夏目漱石作品はあんなに何かを隠し殆どヒントを示さなかったのか
・夏目漱石作品を誰も読んでいないのに、何故人気があるのか
・芥川龍之介はどこまで漱石作品を理解していたか
・芥川龍之介は漱石文学を継承したか
・芥川の文学的失敗というものがあるなら、それは漱石作品を理解も警鐘も出来なかったことではないのか

 ……というあたりにある。明日は又変わるかもしれない。

 逆に芥川龍之介が漱石文学を継承しなかったとするならば、近代文学とはそもそも何だったのかという疑問がわいてくる。それは残念ながら漱石作品の読みにおいては小学生レベルの島田雅彦が『彼岸先生』を書き、奥泉光が『吾輩は猫である殺人事件』を書いてどうなるものではない。

 私は芥川龍之介が確かに漱石文学に啓発されていたとみる。多くの記録が芥川の死に漱石の「圧迫」が影響していたことを指し示す。

 では芥川は『校正後に』で書いたように、『偸盗』において、「少しは大きなものにぶつかりたい」「絶えず必然に、底力強く進歩していかれた夏目先生を思うと、自分のいくじないのが恥かしい」という気持ちをぶつけたのかどうなのか、此のやや長い『偸盗』に夏目文学の何が継承されているのか、そこのところを考えて行きたい。

 まず誰しも認めるように芥川龍之介は短編作家であり、漱石は長編作家であった。長いものに挑むという意図のうちには少なからず漱石を意識したところがあっただろう。逆に言えば漱石の長編小説に対して萩原朔太郎の言うところのだらだらと余計なことばかりが書いてある偏見はなかったものと思われる。あるいは「絶えず必然に、底力強く進歩していかれた」という言葉からは漱石作品が『行人』『彼岸過迄』『こころ』『道草』『明暗』と進歩してきたことが理解できているということになる。谷崎潤一郎が『道草』『明暗』を批判するレベルの浅い読みではなかったということだ。

 ではその読みのレベルが作品においてどのように生かされているのかということが気になってくる。

三角関係を書いてみる


 夏目漱石と言えば時代と女ということに相場が決まっている。まだ現代小説には向かわない芥川は大正の昭代を描かない。そこには描けないという側面もなくはなかろう。大逆事件以来明治政府批判はご法度となり、検閲の厳しさは大正となっていや増した。
 しかしさほど生々しくなければ、男と女を書くのは自由だ。
 芥川は『偸盗』において、沙金という一人の女を巡る太郎と次郎という兄弟の葛藤を書いてみることにした。
 ただし人の悪い芥川は、人の女房に手を出すという漱石流の三角関係に甘んじることなく、処女性など放り出して、村上春樹の所まで行ってしまう。

 ━━ 昔、あるところに、誰とでも寝る女の子がいた。
 それが彼女の名前だ。
  ☜
 もちろん厳密に定義するなら、彼女は誰とでも寝たというわけではない。そこには彼女なりの基準が存在したはずだ。
 とはいうものの現実問題として眺めてみれば、彼女は大抵の男と寝た。 

(村上春樹『羊を巡る冒険』講談社 1982年)

 1978年7月、この「誰とでも寝る女の子」は二十六歳で死ぬ。妻と別れた「僕」には1978年9月時点で新しいガールフレンドがいる。

 彼女は二十一歳で、ほつそりとした素敵な体と魔力的なほどに完璧な形をした一組の耳を持っていた。彼女は小さな出版社のアルバイトの校正係であり、耳専用の広告モデルであり、品の良い内輪だけで構成されたささやかなクラブに属するコール・ガールでもあった。

(村上春樹『羊を巡る冒険』講談社 1982年)

 芥川の描いた沙金という女の魅力もそうしたところにあるのではなかろうか。

「じゃ沙金はまた、たれかあすこの侍とでも、懇意になったのだな。」
「なに、やっぱり販婦か何かになって、行ったらしいよ。」
「なんになって行ったって、あいつの事だ。当てになるものか。」

(芥川龍之介『偸盗』)

ヒサギメ(販婦)といふ名詞の現はれたのは、平安時代中期以後の事らしい。
『倭名抄』が和名比佐俗云販婦。(二一)『裨販文選西京賦。云。裨販夫婦。岐比止。岐女比佐裨販也。』
『周禮地官司市』によれば、夕市は夕べに開く市で、販夫販婦を主とすとあり、其註に販夫販婦は朝に資し、夕べに賣るとあつて、僅かな資金で仕入れると直ぐ賣るものであるから、これを男女の振賣と見て然るべきである。


日本古代経済 交換篇 第3冊 坐商・行商 西村真次 著東京堂 1939年

 なぜこのような女を兄弟で取り合いしなくてはならないのかといえば、それこそがまた漱石文学の継承ではなかろうか。

 何故なら沙金は猪熊のばばの娘なのだ。猪熊のばばは、「目の丸い、口の大きな、どこか蟇の顔を思わせる、卑しげな女」ではある。一方沙金は、「大きな黒い目」だけではなく、

「めぐり会ってみれば、おばばは、もう昔のおばばではない。わしも、昔のわしでなかったのじゃ。が、つれている子の沙金を見れば、昔のおばばがまた、帰って来たかと思うほど、おもかげがよう似ているて。されば、わしはこう思うた。今、おばばに別れれば、沙金ともまた別れなければならぬ。もし沙金と別れまいと思えば、おばばといっしょになるばかりじゃ。よし、ならば、おばばを妻にしよう――こう思い切って、持ったのが、この猪熊の痩世帯じゃ。………」

(芥川龍之介『偸盗』)

 つまり昔の猪熊のばばに似ている。ということは、沙金の「あでやかな口」は、大きいのではなかろうか。勿論そのまま口が大きいとは書かれない。この書かれないことこそが漱石の流儀だ。書かないで「おもかげがよう似ている」として芥川が沙金の口の大きさをこっそり示したとするならばしか、そこには必ず意味がある。
 
 口が大きいと言えば、

 口の悪い松本の叔父はこの姉妹に渾名をつけて常に大蝦蟆と小蝦蟆と呼んでいる。二人の口が唇の薄い割に長過ぎるところが銀貨入れの蟇口だと云っては常に二人を笑わせたり怒らせたりする。これは性質に関係のない顔形の話であるが、同じ叔父が口癖のようにこの姉妹を評して、小蟇はおとなしくって好いが、大蟇は少し猛烈過ぎると云うのを聞くたびに、僕はあの叔父がどう千代子を観察しているのだろうと考えて、必ず彼の眼識に疑いを挟みたくなる。

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 この田口千代子に田川敬太郎は一目でやられている。

 女の容貌は始めから大したものではなかった。真向きに見るとそれほどでもないが、横から眺めた鼻つきは誰の目にも少し低過ぎた。その代り色が白くて、晴々れしい心持のする眸を有っていた。宝石商の電灯は今硝子越しに彼女の鼻と、豊くらした頬の一部分と額とを照らして、斜かけに立っている敬太郎の眼に、光と陰とから成る一種妙な輪廓を与えた。彼はその輪廓と、長いコートに包まれた恰好のいい彼女の姿とを胸に収めて、また電車の方に向った。

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 この田口千代子は松本恒三から冗談で「高等淫売」と呼ばれてしまう。田口千代子には何かそうした魅力があるのだ。

「例えば夫婦だとか、兄弟だとか、またはただの友達だとか、情婦だとかですね。いろいろな関係があるうちで何だと思いますか」
「私も女を見た時に、処女だろうか細君だろうかと考えたんですが……しかしどうも夫婦じゃないように思います」
「夫婦でないにしてもですね。肉体上の関係があるものと思いますか」

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 この問いに対する田川敬太郎の答えは「肉体上の関係はあるかも知れませんが、無いかも分りません」というものであった。口の大きい販婦、沙金の造形には、何割か田口千代子の影響があるのではないか。



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