見出し画像

太宰治のおめざはビール 万人に通じた女は、これはもう、処女だ

 これまで繰り返し書いてきたように、私は作家の私生活にはほとんど関心を持ってこなかった。だから三島由紀夫が割腹自殺を遂げたことを知らないはずもないのに、それ以上のことを知ろうともせず、オレンジ色の新潮文庫を二メートルは読んでいた。当時は銀色のアルベール・カミュも十五センチはあった。黄緑と茶色のサマセット・モームだって六十センチもあった。

 そんな私でもさすがに今となっては太宰治に関して知っていることが増えた。檀一雄の『太宰と安吾』(沖積舎/1989年)を読むと、太宰自身のイメージは殆ど揺るがないのに対して、その周辺の人々に関しては意外なことが多いので呆れる。弱いくせに喧嘩っ早く絡み癖のあった中原中也については知っていたが、娼家で一人三円を一円五十銭まで値切り、終いには女をいびって泣かせたらしく雪の中に追い出されたらしい。こんなことまでは流石に知らなかった。『走れメロス』がウイキペディアにもあるとおり、檀一雄との間で起きたエピソードを真逆にしたものであることはほぼ確かであろう。檀一雄は太宰は文芸の完遂のために死んだと書いている。その死の為に文芸を無理やり閉じた三島由紀夫の逆である。

 太宰の好きな花は桃の花、藤の花、薔薇、大きすぎて赤すぎるからスイカが嫌い。しじみ汁の身はほじくらない、おめざはビール、大学時代に三四郎池のそばの芝生で吸っていた煙草はキャメル、梅雨が嫌い、歯が痛くてアスピリンを一箱呑んだが具合が悪くなっただけで済んだ、長い小説が嫌い、音痴、言行一致、汗っかき、脂足、口いっぱいに金歯、「洗えよ君。処女にも黴菌はついているからね」、「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」、「男は女じゃねえや、わあ、ひでえ。意味をなさねぇ」「万人に通じた女は、これはもう、処女だ」と余計なことをつまんでもつまらない。

 少しは文学的なことを書けば、枕草子、花伝書、斎藤緑雨、徒然草、円朝全集、柳樽、上田秋成、西鶴、芭蕉、金槐集、鏡花、岩野泡鳴、永井荷風、葛西善三、聖書、チェーホフ、悪霊、カラマーゾフの兄弟、アレクサンドル・プーシキン、ミハイル・レールモントフ、シェークスピア、サロメ、ポー、オスカー・ワイルド、ポー、如是説法、ニーチェ全集、フランソワ・ヴィヨン、エドモンド・ロスタン、ベルレーヌ、ジイド、ヴァレリー、ヘンリツク・イプセン(団一雄は何故かイブセンと書いているが…)、ストリンド・ベルヒ、剪燈新話、三銃士、巌窟王、椿姫、アルフォンス・ドーデを読んでいたらしいが、私の関心を惹いたのは太田静子に関する記述である。檀一雄宅に太田静子から手紙が届くと、一雄は 

 太田静子? 「斜陽」の。太宰のー

 と意外の感に打たれる。手紙は「あはれわが歌」という太田静子の暴露小説(二百五十枚)を金に換えたいという依頼の手紙だった。食い詰めた上のことなのでそういうこともあろうかと思うが、どうも上になったとか下になったとか生々しいことが書いてあるらしい。檀一雄は原稿を読まぬうちから「あはれわが歌」をジープ社から出版できるように手配した。その太田静子が別の女と子供を二人抱えて檀一雄を訪ねて来る。

 その母が、夕暮れの中で私を見上げた。ビックリしたような、瞳孔が拡散したような、キラキラと光りの募るような眼差しだった。瞬間、私は自転車を停める。(『太宰と安吾』檀一雄、沖積舎、1989年)

 こう書く檀一雄は少し悪い。少し間があって、太田静子の容姿についてこう書いているからだ。

 太田静子は間違っても、美人とはいえないだろう。黒っぽい、模様のあるワンピースをつけている。近頃ふとったのか、脇下のスナップがとまりきらぬようである。足は横坐りにしている。それを絶えず右にしたり、左にしたりした。肥っているせいか。いや、娑婆の流儀になじまないもののようだった。が、堂々としていた。予想していたようなつけ足りのようなものは何もなかった。私は太宰の愛人だと、はっきりと、是認してよいと思った。太宰が斜陽の中で夢想化したよりも、もっと根強い、根源の響きのようなものがあると思った。(『太宰と安吾』檀一雄、沖積舎、1989年)

 この太田静子は檀一雄に対して、もう結婚もできないからパンパンでも始めようかと言い出す。流石は太宰の愛人である。太宰は人を喜ばせるのが、何より好きだった。この檀一雄の記述はしかし私の予想も裏切る。

「今でも、僕をすきなのかい」
 乱暴な口調であった。
「僕の赤ちゃんが欲しいのかい」
 私は答えなかった。

 岩が落ちて来るような勢いでそのひとの顔が近づき、遮二無二に私はキスされた。性慾のにおいのするキスだった。私はそれを受けながら、涙を流した。屈辱の、くやし涙に似ているにがい涙であった。涙はいくらでも眼からあふれ出て、流れた。
 また、二人ならんで歩きながら、
「しくじった。惚れちゃった」
 とそのひとは言って、笑った。
 けれども、私は笑う事が出来なかった。眉をひそめて、口をすぼめた。
 仕方が無い。
 言葉で言いあらわすなら、そんな感じのものだった。私は自分が下駄を引きずってすさんだ歩き方をしているのに気がついた。
「しくじった」
 とその男は、また言った。
「行くところまで行くか」
「キザですわ」
「この野郎」
 上原さんは私の肩をとんとこぶしで叩いて、また大きいくしゃみをなさった。(『斜陽』太宰治)

 どうも太宰はこの女を可憐に書いている。牧島かれん、いや滝沢カレンくらい可憐に書いている。ここからパンパンまで話が飛ぶと、流石に太宰の小説が私小説ではないという説を支持したくなる。檀一雄が見抜いた根源の響きを太宰こそが感じたからこそ『斜陽』があるのだとしたら、「マリヤが、たとい夫の子でない子を生んでも、マリヤに輝く誇りがあったら、それは聖母子になるのでございます。」といういささか軽薄に思えるロジックが、改めて迫力を持ってくるように感じられはすまいか。

 ある種の作家は仮構を書きながら、現実を振り回すことがある。太宰のアクティビティは結果として檀一雄に太田静子を引き合わせ、その遠慮ない洞察と記録として、『斜陽』にメタテクストを与えることになる。これは結局太宰が引き寄せた現実なのだ。「私の生れた子を、たったいちどでよろしゅうございますから、あなたの奥さまに抱かせていただきたいのです。」と書いた太宰には、パンパンでも始めようかと言い出す太田静子の根源が見えていたに違いない。そうなるとこれはもう作家の私生活に関する与太話ではなくなる。『斜陽』という作品をもう一度読み直すきっかけとして、こんな忘備録を公開しておこう。










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?