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本を読むということ⑦ 書簡小説の読み方、消えてしまう読み手 作者の立ち位置

 作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と書いた。(芥川龍之介『羅生門』)

 村上春樹作品『騎士団長殺し』は肖像画家が自分の過去の出来事を小説に書いてしまうという奇妙なスタイルを持つ。これまで話者はあからさまな一人語りであってさえ、自分が小説家であり、今まさに小説を書いており、その書かれている小説がこれだという明言を避けてきた。それは自明なはずのことながら、常に暈されてきた。

 夏目漱石の『吾輩は猫である』では、あからさまに作者の立ち位置がごまかされる。

 吾輩は新年来多少有名になったので、猫ながらちょっと鼻が高く感ぜらるるのはありがたい。
 元朝早々主人の許へ一枚の絵端書が来た。これは彼の交友某画家からの年始状であるが、上部を赤、下部を深緑で塗って、その真中に一の動物が蹲踞っているところをパステルで書いてある。主人は例の書斎でこの絵を、横から見たり、竪から眺めたりして、うまい色だなという。すでに一応感服したものだから、もうやめにするかと思うとやはり横から見たり、竪から見たりしている。からだを拗じ向けたり、手を延ばして年寄が三世相を見るようにしたり、または窓の方へむいて鼻の先まで持って来たりして見ている。早くやめてくれないと膝が揺れて険呑でたまらない。ようやくの事で動揺があまり劇しくなくなったと思ったら、小さな声で一体何をかいたのだろうと云いう。主人は絵端書の色には感服したが、かいてある動物の正体が分らぬので、さっきから苦心をしたものと見える。(夏目漱石『吾輩は猫である』)

 絵葉書に描かれているのが吾輩であり、『吾輩は猫である』の大評判によって吾輩宛ての年賀状が苦沙弥先生宅に届いたのだ、と誰でもが解る筈なのに苦沙弥先生は空とぼけて見せる。そしてこの『吾輩は猫である』という小説を書いているのは夏目漱石以外にはなく、猫が日本語を理解する筈もないことを誰もが知っているのに、漱石は敢えてあり得ない噓をつく。そうしないと吾輩が語るという話が壊れてしまうからだ。あるいはそうでもしないと自分が小説家であり、今まさに小説を書いており、その書かれている小説がこれだというのっぺりした枠組みの中で、あらゆる小説が私小説になるか、小説家の嘘話になってしまうからだ。

 この問題に正々堂々と立ち向かったのが夏目漱石の『こころ』である。村上春樹の『騎士団長殺し』は語り手があくまで肖像画家であることから小さな矛盾を生じさせている。『風の歌を聴け』では語り手が明かに何かを書いているものの、その書かれているものが小説であることを頑なに拒む。『こころ』では明言はされないものの「私」が『こころ』の話者であり書き手である。書けば即世間に知られるような書き手であることから「私」は今や新聞小説家になったかと思わせる。

 しかし「先生の遺書」において「私」は同時に読み手に留まる。途中で一休みして感想は述べない……感想は前半部にある。そのことで『こころ』の主人公は先生だと吉本隆明も江藤淳も信じたまま死んだ。『行人』においても同様の事故が起きた。手紙の感想に気が付かないで、多くの漱石論者が死んでしまった。それは残念だがある意味仕方のないことだ。もう取り返しがつかない。そういうことは人生に溢れている。むしろとりかえしがつくことなどきわめてまれである。私にできるのは今からでもやり直すこと、それしかない。

 例えば芥川龍之介は『羅生門』において唐突に作者を登場させながら、作者が材料の世界に立ち入って書き得ることと、材料の中の人物の独立性、そして作者の知り得ぬ物語の行く末がありうることを少々露骨に並べ立てて見せる。高校生の教科書に採用されている作品ながら、この『羅生門』の構造を誰も説明しない。それはあまりにも複雑で、とても手に負えないからだ。そのことはやがて私が説明することにしよう。ただそれはもう少し先になる。今急に書いてもふざけているようにしか見えないだろう。その前に段取りを踏んでいかねばならない。

 まず『こころ』の構造を整理しよう。すでに述べた通り『こころ』は「私」が自分の過去について語る小説という形式である。小説の最後は「先生の遺書」であるが、「私」は「先生の遺書」を読み終わってから冒頭部を書き始めており、「先生の遺書」の感想は前半部に解りやすく記されている。

 この形式は話者が書き手であるという設定を除いて、そのまま『行人』に当て嵌められる。二郎はHさんの手紙を既に読んでおり、その感想は一か所だけに微かに表れている。しかしあまりにも微かなので殆ど気が付かれないでいる。

 読者が話者のフィルターを通して手紙を読むべきであろうことは、つまり先生の遺書は「私」が読むように読むこと、Hさんの手紙は二郎の意識を通して読まねばならないことは、既に同型のスタイルの小説である『彼岸過迄』が漱石によって半ば強引に田川敬太郎の物語として規定されることによって明らかだ。『彼岸過迄』全体を田川敬太郎の物語として読むことは夏目漱石の指示である。つまり『雨の降る日』ばかりではなく、おそらく田川敬太郎にとっては伝聞でしかない『須永の話』や伝聞の伝聞の『松本の話』、さらに松本宛の須永の手紙まで田川敬太郎が松本のフィルター越しに読んでいることを意識しながら読まなくてはならないことになる。

 おそらく主人公に肩入れし、主人公の立場で物語の展開に立ち会うこと、そうした同調や共感といった読み方そのものは、さして不自然なものではなかろうかと思う。しかし田川敬太郎が松本の意識を通して須永の手紙を読んでいると考えようとしても、つい田川の意識は消えてしまうものではなかろうか。時には自分が小説を読んでいることを忘れてしまい物語に引き込まれてしまうことさえあるのに、何重もの枠を明確に意識しながら松本宛の須永の手紙を読むことは困難だろう。田川のことは意識したとして、松本のフィルターが消えてしまいかねない。

 あるいは松本のフィルターを残したまま、田川の目で松本宛の須永の手紙を読むことと、松本のフィルターを殆ど意識できないで、田川敬太郎が読むように松本宛の須永の手紙を読むこととの間にはいかような差が生じうるのだろうか。

 このことは既に見てきたように『こころ』において「私」の立ち位置が見失われ、『行人』の一郎の生死や二郎と直子の行く末が曖昧になるのと同じような杜撰な読みにつながると考えてよいだろう。果たして松本は須永の手紙をどんな気持ちで読んでいるのだろうかと田川敬太郎の意識で読まなくては何が消えてしまうのか、逆に松本のフィルターを残したまま、田川の目で松本宛の須永の手紙を読むことで現れるものは何か?

 彼は千代子という女性の口を通して幼児の死を聞いた。千代子によって叙せられた「死」は、彼が世間並に想像したものと違って、美くしい画を見るようなところに、彼の快感を惹ひいた。けれどもその快感のうちには涙が交っていた。苦痛を逃のがれるために已むを得ず流れるよりも、悲哀をできるだけ長く抱いていたい意味から出る涙が交じっていた。彼は独身ものであった。小児に対する同情は極めて乏しかった。それでも美くしいものが美くしく死んで美くしく葬られるのは憐れであった。彼は雛祭の宵に生れた女の子の運命を、あたかも御雛様のそれのごとく可憐に聞いた。
 彼は須永の口から一調子狂った母子の関係を聞かされて驚ろいた。彼も国元に一人の母を有もつ身であった。けれども彼と彼の母との関係は、須永ほど親しくない代りに、須永ほどの因果に纏綿されていなかった。彼は自分が子である以上、親子の間を解し得たものと信じて疑わなかった。同時に親子の間は平凡なものと諦めていた。より込み入った親子は、たとえ想像が出来るにしても、いっこう腹にはこたえなかった。それが須永のために深く掘り下げられたような気がした。
 彼はまた須永から彼と千代子との間柄を聞いた。そうして彼らは必竟夫婦として作られたものか、朋友として存在すべきものか、もしくは敵として睨み合うべきものかを疑った。その疑いの結果は、半分の好奇と半分の好意を駆かって彼を松本に走らしめた。彼は案外にも、松本をただ舶来のパイプを銜えて世の中を傍観している男でないと発見した。彼は松本が須永に対してどんな考でどういう所置を取ったかを委しく聞いた。そうして松本のそういう所置を取らなければならなくなった事情も審かにした。(夏目漱石『彼岸過迄』)  

 それはわざわざ漱石が説明している通りのことであろう。すべては田川敬太郎の立ち入ることのできない世界の話だが、とにかく探偵をして、話を聞き、手紙を読んで、自分が物語の外側にあることを確認する。

 主人公が物語の外側にある?

 そのことの意味はまた明日にでも。

 まだ生きていたらの話だが。



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