『彼岸過迄』を読む 4356 時系列で整理しよう⑤ それは最悪のタイミングだった
そもそも「時系列で整理しよう」と言い出したのは「須永の話」が市蔵の撃沈で終わっているのに、その須永市蔵が大学三年から四年になる夏休み期間の過去から引き戻された近過去、つまり「雨の降る日」の第二章、大学を卒業して半年後の梅の季節、旗日云々の千代子と市蔵の会話に全く屈託が感じられないからでした。
そしてさらに読者を混乱させるのは「松本の話」の語り出しです。
この「それから」がどの時点に続く「それから」なのか、松本の語っている現在はどの時点なのか、そもそもこれは田川敬太郎が松本恒三に「市蔵と千代子の問題を教えてくれ」と詰問したところにある語りなのか、そのあたりのことが一読ではさっぱりわかりません。
単純に、撃沈、つまり千代子が市蔵に「卑怯だからです」と言った過去を指して「それから」と読んでしまうと、田川敬太郎が聴き手になれないので、ここにはやはり須永市蔵が大学三年の夏休みから数えて、約一年半程度の期間が挿入されるべきなのです。
さて、では「それから」には一年半程度の期間が含まれるとした場合、この語りの現在に於いて「二人の関係は昔から今日に至るまで全く変らない」ということになり、それこそ旗日云々の千代子と市蔵の会話に全く屈託が感じられないこととも帳尻が合います。
そこで読者は田川敬太郎が心配していた千代子の結婚問題の現在が、
という時点で停止している、つまり田川敬太郎が須永市蔵を郊外へ連れ出した時点まで全く進展がないのかと考えてしまいます。続いてこうあります。
ちょっとややこしいのですがこの四日後の日曜日の朝、松本は市蔵の出生の秘密を本人に告げます。
いや、ここはややこしいんです。そこで全く便宜上ですが、『彼岸過迄』の時代設定を明治四十四年を基準に仮置きして考えてみたいと思います。
明治四十四年 二月 田川敬太郎は須永市蔵から「須永の話」を聞く。
明治四十四年 二月 田川敬太郎は千代子から「雨の降る日」を聞く。
明治四十四年 二月 田川敬太郎は千代子の結婚問題が気になる。
明治四十四年 一月 田川敬太郎は田口家の歌留多に参加。
明治四十三年 十一月 田川敬太郎は田口から職の斡旋を受ける。
明治四十三年 十月 田川敬太郎は松本恒三を探偵する。
明治四十三年 八月 田川敬太郎は職探しに奔走する。
明治四十三年 七月 田川敬太郎は大学を卒業する。
明治四十三年 四月 松本恒三は市蔵の出生の秘密を本人に話す。
明治四十三年 四月 松本恒三は姉より市蔵の結婚問題の相談を受ける。
明治四十二年 七月 須永市蔵は鎌倉の海水浴で撃沈する。
ざっくりこんな感じでしょうか。いや遡りじゃなくて、過去から現在へ並べ替えて見ますか。
明治四十二年 七月 須永市蔵は鎌倉の海水浴で撃沈する。
明治四十三年 四月 松本恒三は姉より市蔵の結婚問題の相談を受ける。
明治四十三年 四月 松本恒三は市蔵の出生の秘密を本人に話す。
明治四十三年 七月 田川敬太郎は大学を卒業する。
明治四十三年 八月 田川敬太郎は職探しに奔走する。
明治四十三年 十月 田川敬太郎は松本恒三を探偵する。
明治四十三年 十一月 田川敬太郎は田口から職の斡旋を受ける。
明治四十四年 一月 田川敬太郎は田口家の歌留多に参加。
明治四十四年 二月 田川敬太郎は千代子の結婚問題が気になる。
明治四十四年 二月 田川敬太郎は千代子から「雨の降る日」を聞く。
明治四十四年 二月 田川敬太郎は須永市蔵から「須永の話」を聞く。
こうしてみると一層、千代子と高木がいつから知り合いだったのか、宵子の死んだのはいつのことなのか、気になってきますね。ただこれは解らないんですよね。
で、話を戻します。松本恒三は市蔵の出生の秘密を本人に話した後、妙な動きをします。
つまり市蔵に出生の秘密を話して、千代子の縁談を急がせようとしたわけです。さっさと千代子を片付けて、姉を諦めさせる魂胆でしょうか。
卒業前にかなり重い話をして心配になった松本は、次にこんな行動に出ます。
これをまた明治四十三年五月半ばと仮置きしましょうか。次に須永市蔵と松本恒三が合う頃には卒業試験は済んでいたようです。
これもざっくり明治四十三年七月初旬と仮置きしましょうか。この後は須永市蔵の旅行の様子が手紙で報知されます。「結び」が『彼岸過迄』の現在として、明治四十四年二月と仮置きした梅の季節以降の時期の出来事は書かれません。
明治四十二年 七月 須永市蔵は鎌倉の海水浴で撃沈する。
明治四十三年 四月 松本恒三は姉より市蔵の結婚問題の相談を受ける。
明治四十三年 四月 松本恒三は市蔵の出生の秘密を本人に話す。
明治四十三年 五月 松本恒三と須永市蔵洋食店で食事。
明治四十三年 七月 須永市蔵関西方面に旅行。
明治四十三年 七月 田川敬太郎は大学を卒業する。
明治四十三年 八月 田川敬太郎は職探しに奔走する。
明治四十三年 十月 田川敬太郎は松本恒三を探偵する。
明治四十三年 十一月 田川敬太郎は田口から職の斡旋を受ける。
明治四十四年 一月 田川敬太郎は田口家の歌留多に参加。
明治四十四年 二月 田川敬太郎は千代子の結婚問題が気になる。
明治四十四年 二月 田川敬太郎は千代子から「雨の降る日」を聞く。
明治四十四年 二月 田川敬太郎は須永市蔵から「須永の話」を聞く。
するとこんなことが見えてきませんか。
・須永市蔵が卒業試験はこなしたものの就職活動もしなかったのは、妙なタイミングで出自の秘密を明かされたからなのではないか。
人生のすべての責任を誰かに押し付けるのもどうかとは思いますが、卒業前のこのタイミングでかなりショックなことを聞かされて、さすがに、はい就職活動頑張ります、とはならないと思います。仮に田口要作が軍事関係の会社とコネクションを持っていたとしても、須永市蔵はその世話になりたいとは思わないでしょう。
須永市蔵を高等遊民にしてしまった責任の何割かは松本恒三にあると云っても良いでしょう。
もう一つ、千代子の結婚問題ですが田川敬太郎が須永市蔵を郊外へ連れ出した時点まで全く進展がないようには見えますが、松本恒三が姉と逆方向、つまり千代子を市蔵以外の適当な相手と結婚させるよう田口要作に依頼していたことになります。
それが仮置きの明治四十三年四月として仮置きの明治四十四年二月までの十か月間の間に「なに君は知らない事だが、今までもそう云う話は何度もあったんだよ」という縁談の話はまだまとまらず、なおかつ市蔵をいたぶり続けているとも言えます。
兎に角市蔵の前に文鎮を置かないように気を付けなくてはなりません。
[余談]
このネタ、まるまる小説になるな。書かないけど。
ほんまやで。読まんと死んでから後悔するよ。
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