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三島由紀夫の『花ざかりの森』をどう読むか⑥ 男は海
これ読んで買うか買わないか、一生そのままでいいのか決めて。
武家と公家
珍しいことにわたしは武家と公家の祖先をもっている。
さして文体にこだわるでもなく、思想性を摘まみ上げるにしたって、『花ざかりの森』は確かに魅力的な、いくつもの材料を用意してくれている。おかずと言えば揚げ物しかない弁当屋とは違って、『花ざかりの森』には三島由紀夫のあれやこれやがあるのだ。
例えばこの武家と公家の祖先という話、綾倉家に預けられた松枝清顕のようであり、祖母を公家と信じれば「私は血すぢでは百姓とサムラヒの末裔」といっていた三島由紀夫自身の理想のようでもなかろうか。
血脈
祖母と母において、川は地下を流れた。父において、それはせせらぎになった。わたしにおいて、——ああそれが滔々とした大川にならないでなにになろう、綾織るもののように、神の祝唄(ほぎうた)のように。
確かに『仮面の告白』においては主人公が作家であるという性質が欠けていた。そうした性質は小説家が小説を書きますよという設定の小説の中にしか本来あらわれるものではないが、なんと「わたし」は小説家を名乗ることもなく、既に文学を抱え込んでいまいか。「わたし」の言葉が文学でないと見做すことは困難である。
そして「わたし」の何たる自負。
遠く祖先から受け継いできた血脈の成果を自分でこそ見せようと自ら寿いでいる。
聖書
祖母の死後、ふるびた唐びつから煕明夫人の日記数帖と、古い家蔵本の聖書とが見出された。
平野啓一郎の『三島由紀夫論』の57ページには「三島にキリスト教の信仰はなく」と書かれている。それは間違いではないが、こうして家蔵本として現れた聖書には『曉鐘聖歌』との因縁が見いだせないものであろうか。
いさなとり
しかしつい文体の話。
女ははじめて、いさなとり海のすがたを胸にうつした。
この「いさなとり」を「海」の枕詞に留める意識「万葉集」-「古今集」の言語感覚に対して初めて顕昭が「くぢらとる」と詠んで俊成を「おそろしや」と呆れさせたのが「六百番歌合」で、この後「千五百番歌合」になると顕昭はみんなからかなり辛辣なダメ出しを喰らうことになる。三島は「新古今はだめ」という立場だから「いさなとり」を「海」の枕詞に留める意識、「古今集」贔屓というものを三島由紀夫論では細かく見ていきたいね。
死の恍惚
三島由紀夫が「死・美・エロティシズム」と言い出すのはジョルジュ・バタイユの影響を受けた晩年の事のようでもあるけれど、割と早い時期に標語のような形ではないにせよ、そういう感覚そのものは現れていた。またこれが極めて独特な、どこにも「お手本」の見つからない(あえて言えば北原白秋だが、比較してみると三島由紀夫の方が日本語の魔術師に見えてしまうから申し訳ない。)奇蹟的な文章なのだ。
はげしいいた手は、すぐさま痛みをともなうことがまれであるように、女はそのたまゆら、予期したおそれとにてもにつかぬものをみいだした。はっしと胸にうけたそのきわに、おおわたつみはもはや女のなかに住んでしまった。殺される一歩手前、殺されると意識しながらおちいるあのふしぎな恍惚、ああした恍惚のなかに女はいた。そこにはさだかな予感があるけれども予感が現在(いま)におよぼす意味はない。それはうつくしく孤立した現在である。絶縁された世にもきよらかなひとときである。そこではあのたぐいない受動の姿勢がとられる。いままでは能動であり、これからも能動であろうとするものの、陥没的な受動でなくてなんであろう。陥没にともなう清純な放心、それはあらゆるものをうけいれ、あらゆるものに染まらない。いわば『母』の胸ににたすがたであろうか。ゆえしれぬゆたかな懐(おも)い、包まれることの恍惚、そうしたありようから、しかし女はすぐときはなたれた。
すくいがたい重さと畏れとがのしかかってきた。海はおのれのなかであふれゆすぶれだした。缶(ほとぎ)のようなおおいな甕をわれとわが身に据えたかのように。
家にはしりかえるやいなや、女はわななきながら潮かぜにしめった衾をかぶってしまった。……
ここには死そのものはないし、それこそ明確な何ものもない。そして三島由紀夫『花ざかりの森』のこうした感覚については、別に明確な具体的表現への置き換えが困難なことから、三島由紀夫の思想としては議論されることがなかった。
何故そう言えるか。
例えば「陥没的な受動」で検索しても三島由紀夫は上がってこないから。
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ドイツ・ロマン派の影響なんだそうだ。
影響をうけた作家を年代順にならべますと、
① 北原白秋、芥川龍之介
② オスカア・ワイルド
③ 谷崎潤一郎、
④ レエモン・ラディゲ、ジェイムス・ジョイス
⑤ マルセル・プルースト
といふ順で、詩では
① 北原白秋
② フランス訳詩(堀口大学訳、月下の一群)の詩人たちと、坊城俊民兄、
③ ジャン・コクトオ、
④ アルチュウル・ラムボオ
⑤ 中原中也、
⑥ 田中冬二、
⑦ 立原道造
といふような調子でございます。
ちゃんと調べよう。
恐らくこれは独特なものだ
この体験の後、女は男を遠ざけるようになる。女は剃髪して尼院の人となった。「海」を「聖なるもの」と読み替えて、「神聖な体験」と読んでいた人、目を覚まして顔を洗って歯磨きしてください。
『往きの道すがら、ただならぬまでに男に感じた畏怖(おそれ)と信頼(たより)は、いまにしてみれば前もって男そのものにわたつみを念(おも)うていたのかもしれぬ。男のけしきの男のしぐさの一つひとつに、海のすがたを睹ていたのかもしれぬ』と
ジュディ・オングもびっくりである。なにがドイツ・ロマン派だ。ドイツ・ロマン派では男は海なのか?
何か馬鹿なことを言おうと思うと哲学者が先に言っている、と言ったのはセネカかキケロか。兎に角類型化遊びというのがあって、何かに括るというのは可能なわけだ。右か左かという意味ではロマン派ですよ、そりゃ。しかしこれがロマン派で片づけられますかという話だ。
この感覚は神話にもないし、やはり類似のものがちょっと思いつかない。男は海?
これをドイツ・ロマン派と読んだ時点でその人の読みは詰んでいる。我々はそこから先へ進もう。
[附記]
この後がまたすごいのだけど、まだ書くわけにはいかない。
何故なら忙しいからだ。
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