見出し画像

平野啓一郎の『三島由紀夫論』をどう読むか番外編「天皇の血統」

 おそらく平野啓一郎は天皇という存在に対して「素朴」にしか知らないか、あるいはまたこれまでさして掘り下げて考えたことがないのではないかと思う。三島由紀夫がたまたま天皇にこだわっているように見えるからしぶしぶ天皇という言葉を使っているだけで、天皇に関しては阿頼耶識ほどにも調べていないのではないか。

 しかし『豊饒の海』そのものが天皇を問題にしている以上ある程度は天皇について知らねばならない。そのため今回は番外編として天皇の血統について確認しておきたい。

 おそらく多くの人の天皇の血統のイメージは孝明天皇から今上天皇までがそれぞれの何番目かの皇子として繋がっているという程度のものではなかろうか。私自身がつい最近まで、孝明天皇以前の天皇に関しては全く知らなかった。昭和天皇の顔が何種類かあるなんてことも最近まで知らなかった。昔はハンサムだなと気がついたのも精々ニ三年くらい前のことである。

 三島由紀夫について調べる以前は私自身がその程度の知識しか持っておらず、その程度にしか興味がなかった。


 しかしまず三島由紀夫の天皇論の特色は、

①天孫降臨の否定
②三種の神器は宮中三殿
③天皇は大嘗会で天照大神と直結

 というものなので、どのあたりでそんな理屈がうまれてくることになってしまうのかという三島由紀夫の問題意識を見ておくことは必要だろう。

 その問題意識の表れとして、これまでに仄めかしてきたところはまず春日宮天皇の存在であった。とはいえ作品中に春日宮天皇というものが登場するわけでもなく、皇后により近い宮家として春日宮妃殿下というものが現れるだけなのだが、明治期に春日宮家というものはなく、三島由紀夫の創意により、春日宮天皇をあてこする意味で春日宮家が創り出されたと私が勝手に書いているだけである。

 春日宮天皇というものを見つめ直した時、現在の天皇の血統というものが如何に屁理屈なのかということが解る。つまりそこには三種の神器の屁理屈も大嘗会の屁理屈も当てはまらないのに、強引に「そうであったてい」で天皇というものが創り出されていた痕跡があり、仮にこれが三島由紀夫の狙いであれば随分皮肉な命名だと感心するわけである。

 三島由紀夫も三島由紀夫で宮家の名前というものはそれなりに調べて、これというものを選んだはずである。それで春日宮妃殿下と書いたのだからそこにスパイスがなかったとは考えづらいところである。

 もう一方の宮家、洞院宮についてはちらりと仄めかしておいたが、気がついていた人はいるだろうか。

 平野啓一郎はまず「19 『春の雪』に於ける天皇と「雅び(優雅)」」において、

治典王と天皇とがどの程度の関係なのかさえ、作中では不明である。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 としてさして掘り下げない。『春の雪』の時代には洞院宮家というものはなく、閑院宮家というものがあった。こちらがまたスパイシーな血統で、かりに洞院宮家というものが、閑院宮をあてこすっているのだとしたら、これもなかなかの皮肉だと言わざるを得ない。

 閑院宮典仁親王が光格天皇の実父に当たり、今上天皇の血統は閑院宮家に直結するのである。仁考天皇は光格天皇の第四皇子、孝明天皇は仁考天皇の第四皇子である。明治、孝明、仁考、光格、閑院宮典仁親王と繋がるわけで、天皇家は殆ど閑院宮と言っていいくらいなのである。『春の雪』において洞院宮家と大正天皇の家系図は明記されてはいないが、なんとなく匂う位置関係と名前であることは確かであるし、仮に大正期を知る人が読んでいたら、洞院宮は閑院宮であることに何の疑問も持たなかったであろう。

右秩父宮親王、左閑院宮載仁親王

 七代目閑院宮春仁殿下は、明治三十五年生まれで、後に皇籍を離脱、いかに無関係だと言われても何か因縁づけられている感じというものは否めないところである。しかし平野啓一郎が閑院宮に言及しないのはある意味尤もなことで、閑院宮は作品が書かれた時点では特に調べないと出てこないような忘れ去られた宮家ではあったわけである。

春仁王、寛子女王、華子女王

 しかし調べてみるとこれが実に面白い経歴で、戦後皇籍を離脱した後、男色疑惑で離婚、春日興業を興し春日ビルを建てている

 ウィキペディアを見ても何故閑院宮家がスパイシーなのか解らない人がいるかもしれないので、簡単に説明すると、七代目春仁殿下は、六代目載仁殿下の第二皇子、で春仁殿下の父親は伏見宮邦家親王、この人が旧宮家全ての共通の祖先とされていて、なんならどこかで誰かに担がれれば、閑院宮家は確かに皇位継承に関与する可能性が大いにある血統なのである。

 従って閑院宮の名前は天皇の血統をたどると必ず出てくる名前であり、三島由紀夫のイメージの中に閑院宮が意識されていなかったことは考えにくい。そして春日ビルまで意識の中にあったと仮定すると春日宮妃殿下のところにくるりと円環的につながる算段である。そうするとやはり天皇家、天皇制を血統で権威づけていくのは無理があるなということが良く解る。

 天皇の血統というものを一つ一つ遡っていくと、かなり無理をしてつなげられていったものであることが解る。古代の天皇はいざ知らず江戸時代以降は天皇とは確かにその時々の国民が必死に創り上げていったもの、と言えなくもないように思えてくる。だからと言って天照大神と直結させてしまうのもどうかと思うけど。


[余談]

 洞院家というものはあったが、特に面白そうな話は見つからなかった。西園寺家と繋がるくらいか。


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?