見出し画像

大切な思い出たち



AquaTimezが懐かしくてAquaTimezを思い出すと、私の人生がこぼれ落ちるように蘇ってきてしまう。音楽と思い出は連想するから、そのくらい自分の人生に自信が持てなかった私は、思い出すたびにこぼれ落ちそうになる前に蓋を閉めていた。けれど、この前ここに書いた「アクアトレイン」と言うラジオを何気なく聴いてしまったことがきっかけで書き留めたくなってしまった。

※長くなります。私情と感情が入った自己満足の文になります。

AquaTimezは私が10歳の頃に出会ったバンドだった。「等身大のラブソング」は当時のませがき小学生女子に刺さっていてクラスで流行っていた。その時は全く興味がなかった。ラブソングなんてよくわからないし、恋愛ドラマもサムくて見れないし、私はそんな捻くれあがった小学生だった。ぶっちゃけ友達もいなかった。いじめられているとかでもなく、単純に友達がいない小学生だった。(そんなことある?)

ある日お父さんがヤマダ電機に連れて行ってくれた時、なんでも好きなものを買って良いと言われ、DSのソフトを買うのをやめてこのCDを買ってもらった。
なんか気になったのだ。曲もアーティストも当時は全く知らないけれど、インスピレーションなのか、ジャケ買いだったのか、覚えていないけど。


家に帰ってすぐ聴いた時に、硬直したのを覚えている。なんか暗くね?

歌声の暗さと謎の湿り気を感じて、アルバムの中で等身大のラブソングだけ浮いてるやん!!そう思った。文句を言いつつ毎日聴いて、歌詞をノートに書き写したりしているうちに、私はAquaTimezが好きになった。

当時の私のお気に入りは独り言始まりの部屋。この2曲以外にも共通して言えるのが、ポップな曲調の中で歌われている内容が、孤独な人の魂の叫び感があった。

ひねくれ友達いない小学生には刺さりすぎてしまって、そこからずっと好きだった。その数年後にはすっかり有名バンドになっていて、ファンクラブにも入会して、LIVEにも足を運ぶようになって。

初めてのライブは2009年の still connected tourの名古屋公演。初めてのLIVEなのに、1人でチケットを取って1人で参戦した。

https://www.amazon.co.jp/AQUA-TIMEZ-STILL-CONNECTED-TOUR/dp/B002QD2SFE

待ち焦がれて待ち焦がれて、やっと会えた人達の生の姿に感動した。でも当時の本音は、やっと実在しているAquaTimezに会えた感動だけで、ライブパフォーマンスに圧倒された訳ではない。ただその荒削りな感じと、そこから生まれる親近感、もしかしたらこの人たちは私と同じなのかもしれないという少しの希望。圧倒的なカリスマ性ではなく、共感性。多分私は彼らのここに心底惚れていたんだと思う。

解散が決まった後のボーカルが語った記事を読んでそう確信した。

夢だった横浜アリーナのワンマンライブ。夢がかなった喜びと寂しさが入り交じった不思議な気分だった。Aqua Timezは演奏がうまいわけでも、歌がうまいわけでもない。才能もないし、カリスマ性もない。本当は横浜アリーナで2デイズやりたいけど、難しいことは分かってる。でも「心に響くものがある」と言ってもらえるのは、俺たちが楽しみながらやってきたからだと思う。下手でも、夢中になってパフォーマンスしていることが一番の良さだと思う。

2015年の10周年記念の武道館公演の時も「音楽に選ばれた人間じゃないしカリスマ性もない」と語っていたし、リーダーのOKPも「こんな普通の僕たちを素晴らしいステージに立たせてくれてありがとう」と言っていた。

そこまで言ってくれて、それでも「上手いからやる。」「得意だからやる」じゃなくて「伝えたいことがあるから歌うし、やりたいからやる」と言った。

そんな姿に胸を打たれたというか、アーティストなのに遠くない存在に感じていたし、自分も頑張ろうって思えた。
自分達でもカッコがつかない5人組だとか、自虐をしていた時もあったし、実際、近年R-1グランプリで優勝したお見送り芸人しんいちがAquaTimezをいじわるな視点でネタにしていたことからもイジられる存在なんだと悟った。

イジられキャラは言い換えると愛されキャラだし、たとえ芸人さんにネタの一部として使われていても、なんだか私はほっこりした。きっとあのメンバーなら笑って見ているんだろうと思えたし。

13年間の活動の中で、もちろんずっと同じ熱量を持って応援できた自信はない。日々の忙しさから趣味に労力をかけられない時もあったし、活動してんの?ってくらいリリースや情報がない時だってあった。あまり満足できないLIVEも観た。

Carpe Diemツアー2011でAquaTimezが初の武道館公演をした時は本当に感動した。失礼な言い方かもしれないけれど、少し不安だった。大丈夫かな、うまくやれるかな、楽しみの裏側に少しそんな気持ちにさせてくれるのがAqua Timezだった。でも本人たちが武道館でのLIVEをデビュー当時から目標にしていたのを知っているし、なんだか胸がいっぱいになったのを覚えている。


2018年のラストライブの時の自分の精神状態はあんまり良くなくて。仕事がうまくいかず、プライベートでも、好きな人にバッサリフラれるし、体重は増加するし、お金はないし、なんかもう厄年かを疑うくらいの絶望ぶりだった。
でもちゃんと最後のAquaTimezを見届けた。高校の頃に出会ったひとつ上の先輩と。その人とはずっと一緒にLIVEに行っていた。ずっと隣で観てきたからか、LIVE中も泣くところが同じで、相手がここで泣くだろうな、って事もわかってた。

出来れば、もっと長く、出来れば永遠に、AquaTimezの音楽を聴いていたかった。という気持ちも今までありがとう。って気持ちも両方あるけれど、

生物に永遠っていう退屈は与えられなかった
だからこそ思いきり生きることができるんだろうな
強さ一つではなく 優しさ一つでもなく
色んな自分と出会い 限られた時の中を転がっていくんだ

これが全てだよなあ。

AquaTimezがやってるラジオの中でこう話していた。
「今だから言えるけど、決意の朝に、虹、千の夜をこえて、等身大のラブソングを四天王と呼んで、毎回セトリに入れるか悩んでいた」

「ロッキンに出たかったけど、LIVEの実力が認められずになかなか出られなかった」

解散発表をした後のメンバー達の会話は、もちろん信じてついてきてくれた人に申し訳ないという思いもありつつ、なんか肩の荷が降りたようなトークをしていて好きだった。こうして解散して5年経った今も、急に観たくなって夜な夜なDVDを見漁って懐かしさや思い出に浸っていている私がいて、やっぱり好きだ。

このnoteにもAquaTimezについて書いている同志が何人もいらっしゃって、読ませていただいては、共感し、懐かしくなった。
たとえ少し揶揄される存在であったとしても、流行の影にしおれていっても、カリスマ性がなくても、私の人生に大きな影響を与えた人たちでした。

どうせならもう 
ヘタクソな夢を描いていこうよ
どうせならもう 
ヘタクソで明るく愉快な愛のある夢を
気取んなくていい 
カッコつけない方がお前らしいよ


実家に眠っている謎デザインのダサグッズも、部屋着と化したライブTシャツも全部愛おしい。

(TASSHIのコーヒー豆の缶バッジと太志デザイン?のラーメンどんぶりは結構上位でダサい)


まだもう少しだけ思い出に浸る時間になりそう。
今日も帰ったらDVDを観るか!!

ちなみにわたくしの好きな曲は
・独り言
・始まりの部屋
・ガーネット
・滲み続ける絵画
・ホワイトホール
・1mm

Little paradeの曲も聴いてみようと思う。

私の大切なものは、誰にも汚されたくない。



おしまい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?