路地裏のタコスとメキシコが好きと感じる瞬間
メキシコに住み始めてもう、あっという間に二年が経った。
こっちに来たばかりのころに比べたら、日々の生活の中での驚きや新鮮さが、日に日に薄れているんだろうなと思う。
平然と公道を走っているボッロボロの車も、道でものを売っている人も、タコスのおいしさも、もう物珍しい何かではなく、日常になってしまった。ちょっと悲しい!
メキシコ人の優しさや陽気さも、もちろん、たくさん恩恵を受けてきたけど、メキシコ人みんながみんな24時間明るくハッピーな訳じゃないことも分かった。この国に住んでみて、ある程度の時間を一緒に過ごすと、めんどくさいとこも、適当なところも、いい加減にしろ!というところも、知ることになる。
めっちゃ冷たい銀行のお姉さんとか。ずっとむすっとしたバスの運転手とか。
(相対的にみると、優しくてフレンドリーな人が多いのは確かだし、たくさん助けられている。)
でも今日はちょっとだけ、メキシコ人と喋って些細な幸せを感じた。
私は首都のメキシコシティに住んでるのだけど、今週は出張で、世界遺産の街、ディズニーアニメの「リメンバー・ミー」の舞台にもなったと言われるグアナファトとという街に来ている。
本当に美しい街で、はじめて来た時はそれはもう感動した。
二か月か三か月に一度ぐらいは訪れるので、もう合計で10回近く来ているけど、いつ来てもこの街は美しい。そして騒がしい。
(観光客や学生で溢れていて、パーティーとよく分からんパレードや演奏が止まらない。ほんとに止まらない。中心地に泊まる人は耳栓を持ってくることをお勧めします。)
ここに来ると、いつも行くタコス屋がある。路上のタコス屋。というか屋台。
美しい観光地の片隅に、ひっそりと夜だけ(たぶん)開店していている。
観光客とかは無視して、あんま目立たないとこにあるから、グアナファトの路地裏のタコスと呼んでいる。
いつからか、グアナファトに訪れた時は、散歩がてらここに来て、晩御飯にタコスやケサディージャ(いまだにタコスとケサディージャの違いがうまく説明できないけど、まあタコスの従兄弟みたいなメキシコ料理)を食べるようになった。
今日もローカルに混ざって、タコスを頼む。
店の横にプラスチックのちゃっちい椅子が並べてあって、そこでタコスをひとりで食べた。
タコスは鬼うまで、疲れた心と体にしみる!
1日の終わりに、おいしいタコスでお腹を満たせたことがうれしくて、多分一人でにこにこしてたのかもしれん。
帰り際に、タコス屋のおじさんが、
「名前はなんて言うんだ?」と聞いてくれた。
2年もメキシコにいるのに、まだまだ拙いスペイン語で、自分の名前と普段はメキシコシティに住んでいること、でもたまに仕事でグアナファトにくること、グアナファトに来た時はいつも、この路地裏のタコス屋に来ていることを、なんとか伝えた。
どこまで伝わったか分からないけど、おじさんは
「また、待ってるよ。」
そう言って、なんだかくしゃっとした笑顔で、サービスなのか、アグア・デ・ハマイカ(ハイビスカスのジュース)をくれた。(欲を言えば、タコス食べてるときに欲しかった、いや、嬉しい、ありがとう。)
嬉しくて、なんかちょっと一人で照れて、グラシアースと言って、グアナファトの夜道を歩くと、ああ、私はメキシコのこういうところが好きなんだったと思いだした。
生活してたら、嫌なことや嫌な人にも、もちろん出会う。
どこの国にいてもきっとそう。
でもこういう、何気ない人のやさしさというか、なんかあったかい瞬間があると、ああ、私はメキシコにいるんだ。
やっぱりメキシコ、いいところ。と思える。
次に行ったとき、路地裏のタコス屋のおじさん、私のこと覚えててくれるかな。覚えてないに一票。
まあ、忘れててもいい。
そこで、その優しい笑顔でずっとタコス売り続けてくれればそれでいい。
いや、毎日タコス売ってたら、そりゃあ笑顔じゃない日もあるだろうけど、とにかく、タコス、売り続けてくれ。