見出し画像

嫌いなものより好きなものについて話たい。

『全文無料』


嫌いな人やものについて話すより、好きな人やものについて話していたいなーって話です。
なにしろ嫌いな人たちって向こうの方から湧いてくるので、完全に視界に入れないようにするとか気にしないようにするというのも難しいのですが、むしろそういう嫌な人間に嫌な気持ちにさせられるほど、自分はこんなふうにはならないようにしようとか、そうじゃない好きな人や素敵な人の素晴らしさに改めて目を向けて感謝しようとか、そういう精いっぱいの悪あがきの話です。

「平和のために戦う」なんて矛盾と欺瞞を抜け出さなくてはならない


これって僕は常々そう思っているのですが、やっぱりどうしても嫌な人のことを完全に視界に入らないようにするというのは難しい(なにしろ嫌な人というのはこっちのほうで関わりたくなくてもしつこく嫌がらせしてきたり粘着してくるから)ので、そういう人間が視界に入ってしまうと、なんでこんなことをするんだろう?とか、どうしてこういう人間がいるんだろう?とか、ついそういうことを考えずにはいられなくなってしまいますよね。でも、そんなの気にしなーい。

「嫌い」に対する嫌悪感を中和してくれるのは「好き」の気持ちだけ


というのも、このブログはもともとそんなこと(嫌な人たちのずるさや最低さ)が書きたくてはじめたブログではないからです。
そもそももともとそんなことが自分の中にテーマとしてあったわけではないのですが、皮肉なことにこのブログを始めたことで、人に嫌がらせをしたりデマを言いふらして貶めようとするような、自分が大嫌いなタイプの人間に絡まれるようになり、いろいろ嫌な気持ちにさせられたり悔しい思いをさせられたりするうちに、いつの間にか自分の中でそういう人たちに対してどう対処すればいいのかということがけっこう大きなテーマになってしまっていました。
でも嫌いな人たちのことを「こんなことをする人たちは最低だと思う」っていくら言っても、別にそれで相手が理解してくれるとか反省してくれるわけじゃないし、むしろもっと醜悪でひどくなるだけです。

かと言って精一杯の負け惜しみでそういうことを言っても、別に僕自身それで気が済むとかすっきりするでもないし、本当に気持ち悪いなーって改めて思うだけで楽しくないし、もちろん自分で書いてて楽しくないような文章、読んでくれてる人だってつまらないと思います。本当にそんなのってバカバカしくてつまらないなって思います。
つまらない人間のことを考えたり気にしててもつまらない人間になってしまうだけです。それって超つまらない話です。「元からつまらないだけだろ」とか言ってくるつまらない人間の言葉なんて気にしちゃダメです!僕はもっとやればできる子のはずなんです!(熱弁)

いつも完璧に好きな人たち、素敵な人たちのことだけ考えていたいというのは現実的には難しいし、嫌いな人に対して嫌だからやめてくれとはっきり言わなくちゃいけないことはこれからもあると思います。
でもできるだけそういう嫌いな人間のことを考えて費やす時間やエネルギーは最小限にとどめて、むしろそんなひまもないくらい、好きな人や好きなこと、素敵だと思う人や楽しいことのことだけ考えたり、書いていけたらいいなーって思います。

表があるから裏があり、嫌いがあるから好きがある

というわけで、今後の方向性としてはできるだけそうしていけたらいいなーってことで終わりです。ここからは余談です。余談過ぎてなぜかキャラまで変わるんだわさ。・・・誰なの?
本当は好きと嫌いって光と影みたいなもので、陰影を描くことでより明確になること、浮き彫りになること、くっきりすることってあるよね。
好きを語ることは嫌いを語ること、嫌いを語ることは好きを語ること、正しいを語ることは間違いを語ること、間違いを語ることは正しいを語ること。そういう側面もなきにしもあらず。
上を作ることは下を作ること、右を作ることは左を作ること、表を作ることは裏を作ること。どっちか片方を作ることは、必然的にもう片方を作ることで、どちらか一方だけをつくるってことは、表しかない紙を作るみたいな不可能事だったりするよね。

でもまあだから、それはそれでしかたがないんだよね。要はどちらを自分の表としていくかってことなんだよな。それが表に現す=表現ってことなんだと思うんだ(※こじつけです)。
だから、「こういうのは最低だと思う」って否定的な面をメインにするんじゃなくて、「こういうのは素敵だと思う」って肯定的な面をメインにして、そっちに自分の意識をより強く向けていくんだ。
「つまらない」があるから「面白い」もある。「嫌い」があるから「好き」もある。だから変な話、「つまらない」をなくしてしまうことは「面白い」をなくしてしまうことだったり、「嫌い」をなくしてしまうことは「好き」をなくしてしまうことだったりするってこと。
好きも嫌いもない世界、つまらないがない代わりに面白いもない世界。そんなのっぺりとした平板な世界を生きたいかと言ったら、多分、僕は無理なんだ。退屈しすぎて側道で寝てしまう。ダメだよきちんと寝なきゃね。

だから「好き」があるこの世界を、言い換えるなら「嫌い」もあるこの世界を、「嫌い」ごと受け入れ許して愛していくしかないんだと思うね。難しいけどね。毎日が修行なんだ。

今はまだ笑うことより泣くことの方が多い人生だけど、僕は僕の人生を信じている。生きている間は、生きることをあきらめはしない。
本当にろくでもないクソったれた人生だけど、僕はこのクソったれた人生を愛している。

おしまいセニョール。

#koba82メモ







ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?