やめ時と限界

 「倒れるまで働く」というのが死語になってから久しい。1990年くらいまでは、体育の時間に水を飲ませてもらえず、真冬でも制服の上に学校規定外の温かいコートを羽織ることもできず、朝礼でしんどくてもめったなことがないと木陰にも行かせてもらえなかった。
 現在は会社人間を尊重したり、病気でも働いたりする企業をブラック企業と呼ぶまでになった。と同時に自己管理を求められ自分がどの地点で限界なのかを自分で管理することが求められる。倒れるまで働いたって自己管理の欠如として迷惑をかけるだけで誰もほめてくれないのだ。
 もし私が今20代だったら自分を主張できていたか自信はない。が、今50代の私は自分の限界を察知することができ、「やめます」と言える。自分が壊れる前に言える。人から見たらまだやれるだろうと思われることもきっとあるだろうが、そこは気にしなくていい。自分のやめ時と限界は自分にしかわからないのだから。私はバロメーターとして涙がちょちょぎれそう(物理的ではなく心の中で)になったら「やめます」を発動することにしている。個体差比較ができないのでたいそうなことは言えないが、おかげで精神を健やかに保てている。
 多様性が認められすぎると統率が取れなくなるのか、それによる弊害が大きく影響を及ぼすのか、私にはわからない。でも日本国外のゆるく回っているところを見ると、多様性を認め自己主張しても何とかなる気がしている。自分の限界は自分で決めよう。

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