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大人になったら名前を書かない

キルトを繋げてブランケットを縫っている最中、ずっと使ってきた糸がなくなった。買っておいたまっさらな糸を取り出して、見比べて、気がつく。
古い方の糸の台紙には、旧姓で私のフルネームが書かれていた。
そういえば、子どもの頃って、何にでも名前を書いていたな。

小学四年生くらいのとき、学校で一斉注文した裁縫セット。そのまま結婚後の新居に持ち込んだ。

学校で使うものだったから、糸の台紙のように、全部のものに名前が書いてある。
まち針一本いっぽんまで、母の字で丁寧に、私の旧姓での名前が並ぶ。

小四なら名前くらい自分で書けるような気もするけど、私は字が汚くて、細かい字も苦手だったから、確か母が見かねて書いてくれたんだった。

そんな生粋の甘えたで、何もせず成長してきてしまった私も、年齢だけは大人になって、結婚して家庭を持った。

もう持ち物にいちいち名前を書いたりしない。大人になるってことは、持ち物に名前を書かなくなることなのかもと思いを巡らす。
やっと細かい字も丁寧に書けるようになったのにね。

だけどいまだに母に名前を書いてもらったこの裁縫セットで、新しい家族のボタン付けや、ほつれた裾の修理、そしてブランケット作りなんかをしてると思うと、おかしくなる。
まち針を布に刺していくと、そこには私の慣れ親しんだ旧い名前がずらりと並ぶんだ。

私は小さいころ、母の裁縫箱をのぞくのが好きだった。
子どもが産まれたら。いつか昔の私みたいに、母親の裁縫セットをそっとのぞいてみることがあるかもしれない。
いろんなものに名前が書いてあるのを見て、「どうして全部に名前がかいてあるの?どうしてお母さんの名字違うの?」って聞いてくるかな。

そしたら、「お父さんと結婚するずっと前。旧い名前を、おばあちゃんが書いてくれたんだよ」って話してみよう。

今は大人のように見えてるけど。私にも、何でも持ち物に名前を書いてもらってた、子ども時代が確かにありました。ってね。


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