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雛人形は呪いかもしれない

娘の初節句が近づいてきて、雛人形を探しはじめた。

人形屋でみると、どれも案外大きい。賃貸マンションに住む私たちに、不釣り合いだ。

色々探していて、陶器の雛人形がいいなと思った。コンパクトな上、綺麗。夫と私、それに娘にとってゆかりのある陶器ブランドが、雛人形を出していた。

私の雛人形も、焼き物の小さなものだったから、何の抵抗もなく候補の一番になった。

決まりかけたとき、お金を出してくれる義実家に反対にされた。夫のために大きな鯉のぼりを立てていたような家だから、小さいお雛様に驚いたんだと思う。それに、普通の人形とは違う陶器のものだということにも。

「二人がよくても、○ちゃんのなんだから」という言葉に、ううむとうなる。

そうなのだ、雛人形は、娘のためのものなのだ。だけど娘が自分で選ぶことはできない。親が色々考えて選ぶしかない。

子どもの頃を思い出すと、私だって大きな人形に憧れてはいた。牛車や箪笥や色んな小物があったらいいなと思ったし、普通な人形の綺麗な着物を触ってみたかった。

でも口に出したことはないと思う。母は小さな焼き物のお雛様を前に、「可愛いでしょう」と言う。それにこたえたかった。

大人になるにつれ、私も自分のお雛様が可愛く思えて、好きになった。人と違う、焼き物で品良く小さなお雛様。でもそれは、元々母のセンスだ。母が選んだものに触れて、それが私のセンスになった。

親になって、ある意味これは呪いなのかもしれない、なんて考える。

私がいいと思うものが、娘のものになって、そうして娘のセンスになるかもしれない。

義実家の言うように、普通の人形にした方がいいのかしらと探しに探す。

小さな人形、は大きなものと比べてしまうと、顔や着物の綺麗さが違って、なかなかぴんとこない。それでもやっときちんとした品のいいものを見つけた。

平安美人のふっくらした顔。またううむと考えこむ。

将来、娘が普通のすっとした顔の人形と比べると、ブサイクだと思ってしまうかなぁ。いとこのは大きいのに私のは小さいって思ってしまうかなぁ。品がいいって言ったって、小さい頃は派手さがある方が好きなのかなぁ。

じゃあ初心に戻って陶器のだったら?

どうして私のは人形じゃないのって悲しくなるかなぁ。ゆかりあるブランドっていったって娘が分かるようになるのは何年もあとだしなぁ。

とまあ、色々考えていまだに決まらない。でもどれにしても、「お雛様可愛いね」って私、飾りながら娘に言うんだと思う。

そのとき娘がどう感じるか知らない。いいと思ってくれたら嬉しい。私のセンスを好きと感じてくれたら何より。

それは、呪い。

呪いをかけることはこわい。でも、それすら覚悟して選んであげる。愛情であることは確かだから、許してね。

もし気に入らなかったら、自分で買い直してもらえばいいのか。

母の呪いは、自分でといて。

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