note連続5日目感想。「感情を永遠に」したかったのだと気づく
noteを始めて5日目だ。純粋に楽しい。
いっときの衝動で始めてしまったnote。この記事で5日連続の投稿になる。快挙だ、と思う。
本とか映画とかを見て発見することもあるが、こうして書くという事をしても新たな発見がある。やってみて初めて気づいた事だ。
初めて記事を投稿して、初めて「スキ」がついたとき、「自分の書いたものが誰かに届いた」ことが実感できた。たまらなく嬉しかった。
この嬉しさは今まで感じていた嬉しさとは全く別のように思えた。自分の知らない脳の一部に火花が散ったような気さえした。
やる気が出てきて書きたいものをリストアップした。この本の感想も書きたい。あのマルチメディア展開も最高だった、書かなければ。
…そして書き初めて見てショックを受けた。書けるほど自分が何を感じたのか思い出せなかった。
感情には鮮度がある。そんな印象を受けた。
感情には鮮度がある。
書いた文字を見つめながら、本当にそうだろうかともう一度考える。昔の事だからといって鮮明に思い出せないとは限らないだろう。「言葉にしていないから忘れたのでは?」直感とも仮説とも言えない新しい考えが浮かぶ。
言葉にしていないから忘れたのでは?
それは書くという行為を始めた今だからこそ思いついたのだろう。仮説はこうだ、感情を言葉にすれば思い出せる。それが事実ならばもっと書き残さなければ。
(この仮説と、その検証について考え始めたが、長くなったので下書きに入れた。ふわっとした問いにはふわっとした答えしか出せないので、問いの解像度を上げる時間が必要だ。)
今とても恐ろしい。楽しかったことや嬉しかったこと、悲しかったことや不思議に思ったこと全て、欠片も思い出せない数多くの事が、あるのだろうと気づいてしまったからだ。その実態に落ち込んでいる。
忘れる事は悲しいと思うからこそ、今こうして書き残そうと言う気持ちが湧き上がってくるのかもしれない。過去の自分が、今の自分の背中を押してくれている。そんな感じがしてきた。そう思うと少し希望が出てきた。
忘れてしまったことも思い出せばいい。この習慣を続けていけば、もっとたくさんのことを思い出せるはずだ。
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