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第二回(若者の政治離れについて)

こんにちは、こあらです。初回かなり稚拙な文章になってしまったのですが、思ってたより多くの方がいいねを押してくれて少し驚くと共に嬉しさを感じてます。ありがとうございます。コメントも是非お願いします(ㅅ´ ˘ `)。

さて、今回は若者の政治離れについてと、若者はどうあるべきなのか、若者の1人として自分の考えを示していきたいと思います。

近年話題になっているこの問題ですが、みなさんはどう考えているでしょうか。僕は結果論としては肯定的に捉えますが、将来を含めて考えるとやはり危険に思います。

まず政治離れが起こっている要因としては、安定的で幸せな生活が多くの若者にとって当たり前になったからだと思います。幸せの定義は置いといて、生活に困る若者は(コロナを除いて)殆どおらず、いたとしても政治とは無関係になることが多いと思います。

歴史的に見て、民衆が政治に興味をもつ過程は、民衆が何らかの苦痛を感じ、その原因が今の政府にあるとわかった瞬間ではないでしょうか。例えば秩父事件。秩父の民衆はまず年々行われる増税に不満を持つ。そこからなぜか突発的に不況が起こる。なぜだろうと調べる。どうやら松方正義のデフレ政策が原因らしい。よし、こいつを糾弾しよう。

年々増される税に不況が重なる状況。これの原因が例えば秩父内で完結されていたとしたら、勿論政府を叩く必要はありません。苦痛の原因が政府にあるとわかったから政府を叩く訳です。

現代人は恵まれているため政府を叩く必要性がない。

どちらかと言うと今民衆が求めているのは社会全体に対してでしょう。多様性だなんだと叫ばれている今、政府にできることはなく、社会を構成する全員が幸せになる方法をみんなで解決することが求められています。まあそもそも考え方なんて違って当たり前なので、一つの答えに収束するのはまだまだ先になるでしょう。

経済的に余裕ができたために現代日本人の政治離れという現象が起きたわけです。これは結果論として、戦争直後の先人が望んだ未来に近いのではないでしょうか。

しかし勿論問題ではあります。

大衆の力は大きいので、政治に興味をなくす人間が増えると、良くも悪くも政府は自分のしたい政治がしやすくなるでしょう。実際に政治を行う人間を選ぶのは私達ですが、より「扇動はしやすくなる」はずです。

情報社会と呼ばれるほど数多の情報が行き交っている今、興味がないために、変に扇動され間違った情報を選んで、悪政府を作ってしまいかねません。

よって僕が若者に求めるものは「情報リテラシー」と「責任感」です。自分が社会を構成する一員であるということ、そして一丸となった社会は強大な力を持つことに自覚と責任感があれば、正しい判断ができるでしょう。いや、正しい判断をしようと思うようになる。その態度の変化が情報リテラシーにも繋がると思います。

以上僕の政治離れ観を紹介しました。是非コメントも気軽に書いてください。最後まで読んで頂きありがとうございました。

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