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うみまちを離れて、帰省しています【うみまち交換日記 vol.5】

姫ちゃんさん、こんばんは。今日は珍しく夜にnoteを書いているので「こんばんは」と言ってみました。姫ちゃんさんが読んでくださるときには、「こんにちは」でしょうか。


姫ちゃんさんが前回書いていた、海について。「自分にあまり過ぎたものはさらっていってくれて、必要なものは心の奥に静かに沈めてくれる。」に、なんだか心が救われました。

そうか、私は海を見ながら自然と取捨選択しているのかもしれない、と。


目の前の海があまりにも美しいから、ざわざわした心で見つめているのはなんだか申し訳ないな……と思ってしまった私がいました。でも、どんな気持ちで海を見つめてもいいんだよなと素直に思えて、姫ちゃんさんからのお返事が嬉しかったです。

これからどんなときに、海を見ながらぼーっとしたいと思うか、少し気にしてみたいと思います。


そして「“ぼんやりしている”をする」と言っていた姫ちゃんさんの近況、いいですね!大人になると、ぼんやりするのができなくなるのはなぜでしょう。。。ぼんやりの中にこそ生まれる何かが、きっとあるんだろうなと想像できるのに。

でも姫ちゃんさんの日記を読んでいると、いわゆる“ぼんやり”というよりは、ぼんやりの輪郭を味わっているというか、愛でているというか……。そんな姿が思い浮かびました。

私はどうしても白黒つけてしまいたくなるから、ぼんやりも愛せるようになりたいな。


さて私の近況ですが、タイトルの通り、うみまちを離れて帰省しています。生まれ育ったのは静岡ですが、実はいま帰っている場所は千葉です。昨年、母の仕事の都合で実家が千葉に移りました。

というわけで“実家”といえど、私にとっては何も知らない場所に帰ってきています。「帰る」という表現は、未だに慣れません。でも、場所が変わっても帰る場所があるのは幸せだなと思います。


「今年はなるべく帰省しよう」。2023年になったとき、そう決めていました。理由は単純で、帰るたびに親の老いを感じるようになったからです。

今は病気はしておらず、元気なのだけれど。それでも初めて“老い”を目の当たりにした時を、私は強く覚えています。「これから“老い”の現実を、受け止めていかないといけないのか……」と、気持ちを消化しきれなくて。

時は流れているから、親も自分も老いていくのは当然のこと。そう、分かってはいるつもりでも、受け止めたり、理解したりするのはむずかしいこともある。私が感じたのは、まさにこのことだろうなと思っています。


今の私にできることは、岡山のうみまちで私の暮らしを続けながらも、大切な人と会う時間をなるべく多くつくること。おそらく、ただそれだけなんです。だから3〜4ヶ月に一度は帰ろうと決めたのでした。

いつ何が起きるか分からない世の中だから、大切にしたいことを大切にできる人でありたい。最近はそんなことを考えています。


姫ちゃんさんが、最近大切にしていること・もの・考え方などはありますか。よかったら聞いてみたいです。





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