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自分の価値、について考えるだけ無駄

暗黒の中高時代
自分の過去を振り返ってみると、中学受験で私立校に進学した私は中高はまるで予備校のような学校に通った。授業はすべて成績別のクラス分けで、年4回の定期考査(珍しく前期・後期の2学期制の学校)によってクラスを上下する仕組み。大体上から2番目とかそういうクラスにいることが多く、凄く成績が良いわけでもなく、悪いわけでもなくという半端な感じだった。
大学進学については、もともと数学が得意ではなく、英語や国語の成績が良かったにも関わらず、何故か国公立大医学部受験を目指してしまい、成績がそれに足りてないために一浪する羽目になる。
一学年1500名を超えるマンモス校であったが、当時は東大に100名以上の合格者を出すイケイケの進学校でもあった。同じ学年でありながらどうやっても勉強ではかなわない人間が多くいることもこの時に知ったし、この学力偏重の考え方が後の私の価値観にも影響を及ぼすこととなる。

歪んだ尺度ががんじがらめにしたもの(学歴、偏差値)
妻が私に言ったことで印象深いものがある。
「あなたは誰かを紹介するときに必ず学校や会社名を出すよね」
前述のとおり、この歪んだ価値観はかなり根深い。人はその所属する組織によって価値がはかれるのではないのだが、私は学歴や職歴といった色眼鏡で人を見る癖が強い。入学試験の偏差値が高い学校に入った人に対してはなんとなく尊敬したり、逆にあまり難しくない学校に入った人を小ばかにする傾向もあった。
これはまったくもってナンセンスで、見誤るだけでしかないのだが、この呪縛、とらわれによって逆に自分自身の自由が奪われていき、自分の「生きづらさ」へと通じていく。

他者から見た評価は私には分かり得ない、想像するだけなので意味はない
前段の「とらわれ」によって自分自身がどんどん苦しくなっていくのはもっと大人になってからだ。私はとある大学の獣医学部獣医学科卒であるが、獣医師国家試験に合格することが出来なかった。
大学在学中に生死を彷徨う大怪我(スキーで立ち木に激突、脳挫傷、頭蓋骨骨折など)を負った影響もあり、大学を休学したりしてしんどかったのは確かだ。ただ、一方でどうしても獣医師になりたい、という気持ちがどうしても出てこないこともあり、なんとなく受験した国家試験は当然不合格であった。
この時の獣医師国家試験に合格したいという思いは、「獣医師」というレッテルが欲しいだけだったように思う。つまり「先生」と呼ばれ、ある種の知的専門職のレッテルに憧れているだけで、自分がどうしたいか、どうありたいかということについては全く関係がなかったように思う。だからこそ、国家試験勉強に情熱も危機感も持てず、そのまま受験の日を迎えてしまったのだ。
つまりだ、他者からそのレッテルによって「すごい、賢い」と思われたいだけであって、本質はスカスカなのだ。自分自身の価値はそんな資格やレッテルに左右されるようなものではなく、もっとコアの部分、本質的な部分ではかれるわけで、そんなものは自分では到底わかりえない。たぶん死ぬ直前であってもわからないだろう。
その時の私はまさにそんな表層的な評価(のようなもの)にがんじがらめでまったくもって窮屈だったと思う。

「どうしたいのか」「どう思うのか」はっきりしない苦しみ
一方で、じゃあ本当はどうしたいのか、どう考えているのかと自問自答してもその答えは皆無であった。結果として今の職業につながる、IT業界の営業部門への道に半ば強制的に進んでいくのだが、最初はアルバイトに毛が生えた程度に思いしかなかったため、仕事にも身が入らないし、多少多めにもらえた給料で刹那的な浪費を繰り返し、ある意味では自傷行為とも思えるようなくだらない時間を過ごしていたように思う。
根底には自分の気持ちがわからないことに対する漠然とした不安、悩み、苦しみがあって、ほんの数年前までそれが程度の差こそあれ続いていたように思う。
ただし同じことでも長年続けていることによって獲得するスキルや人間関係があって、それが徐々に結実することにより仕事に対する面白みや自信を獲得していくようになった。これは今の私の自分に対する納得感や幸福感にもつながっていて、途中で投げ出すことなく(外的要因もあるが)続けてきて良かったと思うことでもある。

手放すことで得る自由、開放感、解放感
私は自分の問題行動にある時気づき、それを認めた結果として、ある自助グループにつながった。匿名で集うそのグループで「仲間」と呼び合う同志と出会い、自分の過去を向き合い、自分の生きづらさを減じるためのヒントをそこで継続的に得ることができた。
「他人は私が思うほど私のことを気にしていない」
この一言に尽きるのだが、直接聞いてもいないのに勝手に「〇〇のように思っているに違いない」と妄想して苦しむことを手放すことにした。
もし疑問に思う、確かめたいならば直接聞けばよい。「以心伝心」はダメ、ちゃんと言葉にして自分の気持ちを伝え、相手の気持ちを受け止める、確認するという行為はどんどん自分を自由にして、ある種の開放感、解放感を私にもたらした。
「これだ」
私はしばしば感じる生きづらさにぶつかったときに、正直に行動が出来ているのか、行動が出来ているのかをセルフチェックしている。私の大事な処世術、生き方のひとつだ。
そもそも他人が自分をどう見てるか、それって本当に重要?自分がどうしたいかじゃないの?

のんびりすると得られる余裕、幸せ
冒頭に述べたレッテルにとらわれずに生きるということは、言い換えるとのんびりと生きていくということだと思う。
今でいえば、どんな会社で、どんなタイトルで、年収はいくらで、とかそういうものは大事なことではない。
ちゃんとワークライフバランスを保ち、自分を振り返る時間を確保が出来て、疲労回復して生き続けることのできるライフスタイルの何と平和なことか。
私は結婚が37歳と遅かったこともあり、子供がいない。だから妻と二人ぐらしで中古の家も購入し、そのローンが残っている以外借金もない。だから本当に欲しいものは健康な肉体、精神であって、そう考えると日々の生活が非常に穏やかなものになる。
次こそは昇進、昇給したいとか、もっと高く評価してくれる会社に転職したい、とかそういうスノッブな欲望はだいぶ抑えられている(さすがにゼロとは言いませんが…)。
休みの日に一人で散歩して、目にする草木、花を愛でる余裕も出てきたし、妻と外食したときの料理がうまいとかそうでもないとか、言い合ったりとか、そういうことが「幸せ」と感じることが出来ている今の私はだいぶ穏やかだ。
もちろん今の私の待遇がまあまあ良いこともその一因だろう。幸いなことにそこそこ良い待遇で今の会社には入れてもらったし、期待もしてもらっている。明日食うものに困るほど困窮しているわけではないのだ。
とはいえ、そういうことはあくまで二次的なことであって、私の気持ちが穏やかで落ち着いているからこそ、この幸せを手にしているともいえる。

前述のとおり過去学校が一緒だった旧友は高学歴で結構なポジションな人も少なくない。だが、それはある側面からしか見てない片手落ちの見方とも言えるので、彼らが別のことで悩み、苦しんでいるかもしれない。

そんな彼らやこの記事を読んでいる方々にも伝えたいのはひとつだけ。

手放すことによる自由と、『足るを知る者は富む』ということ


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