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DAZAI

先ほど小栗旬さん主演の映画、「人間失格」を観ました。

記憶と感性が新しいうちに、つらつらと感想を綴ります。

太宰ではない、あれはDAZAIだ

当時の日本人は、あれだけ自分に自信があったのだろうか。それとも太宰自身が、変態だっただけなのだろうか。真相はどうであれ、現代の日本人とはかけ離れた感性の持ち主であるのは間違えない。あれだけ、器用に複数の女性を抱えきることは、現代の日本人にできるはずがない。それとも、「日本男児は草食である」という私自身の考え自体が、時代遅れなのだろうか。ここで1つ言いたいのが、「草食系男子」という表現自体が嫌いである。理由は食うという漢字が使われていることにより、女性を食べものであるという表現に近しいからである。まあこれは個人的な意見なので悪しからず。にしても、太宰ではない。彼は欧州の香りがする立派なDAZAIだ。

緑キノコが何個必要なのであろうか

スーパーマリオのゲームの緑キノコは、プレイヤーにとっての精神安定剤である。あのキノコに触れるだけで、心救われる。より安心してステージ臨める。ここで考えたい。太宰にとって、緑キノコが何個あれば安心できたのであろうか。彼は、命がけで作品を作り続けた。世間からなんと言われようと、いくら家庭をないがしろにしようと、いくつもの修羅場を実体験として得ることで、それをネタに傑作を作り続けた。この修羅場を自分で経験すること、それをアウトプットすることで、自分のストーリー(太宰の場合は小説)が世に好かれるのである。ストーリーに影響され、仲間が増えるのである。「ストーリーを売れ!過程をさらけ出せ!」私の尊敬する絵本作家は言うけれど、私にはそんな修羅場を潜り抜けた実体験がないことに気づかさせた。これではカレーが入っていないカレーパンと同じだ。中身空っぽな揚げパンである。まだまだチャレンジする余地は、たくさんある。「お前は血を吐くまで没頭したのか?」天国の太宰は、私に語りかけてきた。

浮気、不倫

彼は立派な不倫をやってのけた。最低である。しかし、そんなことを言える資格は私にはない。彼女はまだ知らない。もう一人もまだ知らない。知ったときには、どんな反応をするのであろうか。「真面目・誠実」という私の印象が、周りに蔓延っているに違いない。「ただのお前が持った先入観だろうが」という私の主張は、無責任なのであろうか。「本当の私を知らなかっただけだろうが」という私の主張は、傲慢だろうか。「ほかの人も幸せにしたい思った」という私の主張は、お節介なのだろうか。どうして人間は、こんなにも平気で人を傷つけてしまうのであろうか。こんな考えも、家庭を持つと自由は効かない。この文章を見た10年後の私は、何を思うのだろうか。

よーし!ホテルマンに戻ります(笑)

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