森会長発言に見る「過熱するジェンダー論」と「権力構想」

東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」などと女性を蔑視する発言をしたことを巡り、森氏の釈明記者会見から一夜明けた5日、閣僚からは発言に対する批判が相次いだ。一方で、辞任を求める声は上がらなかった。

 はい、もう既に大きなニュースとして国内外に流布されている森会長の発言ですが、予想を超える大反響を食らった森さんは訂正会見を行い、そこで相当な追及を食らわせてくる記者に対して、「面白かしくしたいだけでしょ」等とする発言をし、逆ギレを致しました。麻生太郎もしかりですが、この「テ」の、上の立場にたつべくしてそこに居る人というのは自分より上や周りがないんですよね。あるのは自分より下だけ。上や周りからは矢が降り注いだら溜まったもんじゃありませんが、下から飛んでくる矢は自分には刺さらないんですよ。世論などはそっちのけ。

すなわち、自分がトップであるという自覚がある。自分は本音で的を射た事を言っているのに、周りがどうのこうの面白おかしく批判をしてくる。一種のストレス発散&嫉妬ですか?といったような感じですね。

海外からも批判の声が出ているというのは重大な問題であると考えますし、思っていても言わなくていいような事をわざわざ言って失笑を買うというのは、典型的な昭和のおっさんの悪い癖。一方で、「老害」や「こういうおっさん」批判をしても世間的にはあまり叩かれません。「女性」に対する蔑視が特段叩かれやすい世の中になってきている。これもどちらかというと僕は差別に当たると思っていますし、そこは人の価値観よりけりでしょうか。

個人的な見解で言うと、痴漢被害で苦しんでいる女性を助けるための女性専用車両は設けてもいいと思うし、購買意欲の高い女性をターゲットにしたレディースデイなども非常によく練られたアイデアです。仕事で女性が重い荷物をもっていたら助けますし、男はそうあるべきだと思っている。これが僕の考え方なので、こういう問題が起きたときに、なぜか”私は女性代表よ!”というような女性が出てきて、こぞって「女性はね~!」と、なぜか女性を代表して徹底論争をするのだけはやめて欲しいな、と思います。

女性といっても色々いるわけです。社会で活躍したい女性もいれば、家庭で男性の帰りを待ちたい女性もいる。バリバリ独りで生きていく事を選ぶ女性もいれば、生涯の伴侶と早く巡り合いたい女性もいる。女性をひとくくりにして、「自分が気にいらない発言だったから」といって「女性代表」を気取らないで欲しい。とこう切に願います。じゃないと、一生男女差別ってのは、なくなりませんよ。


萩生田光一文部科学相は5日の閣議後記者会見で、「不適切な発言だ」と苦言を呈した。一方で「本人も反省をしている。五輪の成功に向け、引き続き努力をしていただきたい」と述べ、抗議や辞任要求をする考えがないことも明らかにした。

 そして、私が注目しているのは、この部分です。不適切な発言とは認識しながらも、辞任を求める声が特に自民党や政府から出てこない、という点です。

今、オリンピックは相当佳境にあります。開催できるか否かの真っ只中にいる。森発言がこういう大事な局面において、泥を塗るような行為になったのは本当に残念で、この話題は早々に決着させてオリンピックの話題に戻って欲しい所なんですが、辞任を求めれば済む話なのに、求めないんですよ。なぜか。

それは、開催に際して、森会長に辞めてもらっては困るからですよね。

権力構造の仕組みとして、閣僚から苦言は出るものの、辞任の声は出ない。むしろ「出せない」のではないかと思います。なぜなら「出す」ほどの権利を有していないから。勝手な事を云う立場にいないからです。でも、日本国の大臣っていったら相当の権力者でしょう?でもちゃんと抗議の声すら出せない。今の日本はそれだけ一握りの人間が権力をがっぽり集中的に掌握してしてしまっている証左でもあるんです。

オリンピックの開催の可否をハンドルする事が出来る人材など、日本中みてもあまりいません。それだけ重要任務になっている。だから森会長に辞めてもらっては困る。だから80を超えるご老人を引っ張りだしてくるわけですよ。みんなそんなハンドルが出来ないから。80を超える幹事長や財務大臣が居座るのも、本人の権力欲のためというよりも、代わりがいないからなんです。「俺に任せろ」「私がやってやる」という人材がいない。これが今の日本政治の大きなマイナス点になっています。

SNSの普及などによって、政治家は一言一言が致命傷になります。そして、真面目にやっていても儲からない。力のある人はビジネスでどんどん成功していき大金を稼いでいきます。政治なんかに関連するより、よほど人生が豊かになっていくでしょう。政治家にならないんですよ。結果、人材難になり、一部の為政者にドッと権力が集中する。そこが今高齢化してきて、もはや動かせない所にいる。

日本の不幸は、若きNEW LEARDER候補者たちが、こういった構造を打開するために一致団結して、改革に当たれない事にあると思います。NEW LEADER候補たちはたくさんいます。たくさんいますが、各々が自己実現に走り、まとまらない。すると、そんないざこざをしているNEW LEADERに任せるわけにはいきませんから、古き権力構造がまた動きだすわけです。

この負の権力スパイラルをよくよく理解させてくれたのが、今回の森発言だったのです。発言の内容ではなく、裏にある権力構想こそが私は問題だと思うわけです。

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