モノをはじめて書くことについて

はじめまして。唐突ですが僕は何かモノを書いてみたいと思っております。
理由としては星の数ほどありまして・・・。

ごめんなさい。嘘です。

でもたくさんの理由があるのは確かです。ただ、どこの馬の骨とも知らない僕の書く理由など誰も興味がないと思いますので手短に3つほどに理由を絞りまして書いていきたいと思います。
 

早速、1つ目ですが単に時間が有り余っていたからです。
僕は今イギリスに留学中で英語を学んでおります。
それならば、英語の勉強をしろと誰もが思いますでしょう。ご尤もです。
しかし、現在イギリスはロックダウン中でありまして学校・スーパー・公園には行くことができるのですが、レストランやパブなどはテイクアウトのみで、室内での飲食はできない状態です。なので、学校から帰宅してそのあと自習するにも時間が余ってしまうのです。
特に休日なんかは午前中勉強をして午後から公園でのんびりしてお終いです。公園にいるといってもせいぜい1,2時間でしょう。
やはり時間が余ってしまいます。そこで僕は何か書いてみようと思い立ったのです。
 

2つ目の理由になりますが、元々何かを「つくる」ということが好きだったということです。僕は中学の頃からギターをやっていて、大学時代にはバンドを組んで曲も書いておりました。自分でつくったものを人様に見てもらうことが好きでした。
しかし、大学を卒業しバンドメンバーは散り散りになってしまいました。
イギリスに来てからは曲を書いておりません。その代わりに沢山読書をしました。数々の美しい文章を目にして「僕もいつかこんな美しい文章を書いてみたい」と思ったのです。
 

最後の理由はイギリスに来てからというもの以前からもっていた神経症が悪化してきたことです。
最初に発症したのは小学生の時だったと思います。新しく買ったゲームをいざ、始めようとしたとき、なぜか手を洗わなくてはという強迫観念に襲われました。なぜそのような考えが生まれたのかは今でも分かりませんがその時が始まりだったと思います。
それからというものなにか始めるときは手を洗わなければ満足できなくなってしまいました。それも1回だけではなく何度も何度も。頭の中では何の意味もない動作だと理解はしているのです。しかし、この強迫観念を無視しようものならもうなにもやる気がなくなってしまうのです。ゲームならもう最初から始めないと満足できませんし、スポーツや勉強ならやりたくなくなってしまいます。いき過ぎた完璧主義のようなものです。
症状はこれだけではありません。鍵・ガスの元栓・水道を止めたかなど何度も確認しないと外出できないのです。
このような症状と今まで付き合ってきたわけですが、イギリスに来てからというもの生活環境が大きく変わったからなのか益々、悪化していきました。
最近ではスーパーで何かを買った後は万引きしたのではないかという不安(実際にはやっていません。)に襲われるのです。しかも、記憶をたどればたどるほど本当にやってしまったのではないかと考えてしまうのです。
これはいけないと思いまして、僕は何か没頭するものを探しておりました。
それで行き着いたのがなにかを書くことだったのです。
 

このような理由から僕はモノを書くことを決めたのです。
駄文であることは重々承知です。ただ、自分が書きたいことをただ書いてみたいと思うのです。あわよくば沢山の方にお読みいただけると幸甚です。
僕の文章を読んで、こんな駄文を書くやつもいるのだから俺なんてまだマシだと踏み台にして頂くもよし、暇つぶしに読んで頂くのもよしです。それは読者様の自由です。
とにかく僕はこれから少しずつ何かを書いていきたいと思います。
文章を書くことに慣れてきたら小説なんかも書けたらなと思います。
お読み頂きありがとうございました。

                                   佐藤 幸星


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