愛能う限り 『母性』を通して

昨年の秋、母と公開直後の映画『母性』を観に行った。
その時はなかなか話が飲み込めず、娘よりも母を愛し続けるルミ子を恐ろしいと思うだけだった。
でも物語の最後、清佳が「女には母と娘の2種類いる。いつまでも誰かの娘でいたい人間もいる」と言っていて、その時だけは「私も娘でいたい人間かもしれない」と思い、ちょっとだけ怖かった。

今日、母性の原作、湊かなえの小説を読み切った。
2回この物語に向き合って気付いたことがある。ルミ子にとっての母親は、私にとっての家族と同じだということ。
自分の行動は、愛する人に愛されるためのもの。愛する人が求めていることはなにか、喜んでくれているか、そして、その愛が自分に返ってくるか。

母。
自分では似合ってるかな?と不安な服でも、試着した私を見て母が「かわいい!」と言ってくれたら、たくさん着なきゃと思う。
「綺麗ね」と言われたネイルは落とすのが惜しい。
母が面白いと見ている番組は、その楽しさを共有したくて一緒に見る。
母が美味しいっていうものは私も美味しいし、母の好きそうなものを見つけると何でもない日に買って帰った。
母はお花が好きで、どのプレゼントよりも嬉しそうにする。その反応が好きで何度もプレゼントするうちに、私もお花が好きになった。共通の好きなものができて嬉しかった。
母はいつも自分より私を優先してくれるけど、それは無償ではないんじゃないかと思う時がある。なぜか。それは私が他人に対してそうだから。そして私と母は似ているから。
母は優しく強い母親だから、私から見返りがなくてもきっとなにも言わないし、変わらず私を優先してくれるだろう。でも心の中で少し、寂しく思ってるはずだ。だって私以外の人たちはみんな母の愛にお返しをしないから。弟はそんなことわかってないし、それでいい。仕方ない。父はもらったものを返せる人じゃない。もらって当たり前、という考えの人だ。父方の祖母も同じ。血は争えない。母方の祖母は、きっと今も昔も母を愛していると思うけれど、祖母の愛のほとんどは今や私と弟に注がれる。
やっぱり母に愛を返せるのは私しかいない。私さえそれに気づけていれば、母はきっと変わらずみんなに愛をくれる。

父。
私はきっとお酒が好きなのではない。父と飲むお酒が好きなだけだ。ウイスキーとワインが好きなのも、きっと父が好きだからで、もし父が焼酎が好きなら私も焼酎を美味しいと感じていたと思う。
だから外で友だちとお酒を飲むのは、嫌いではないけどそんなに好きでもない。飲めはするし、行けば楽しいけど行くまでは億劫だ。
他人の噂話とか、互いの近況とか、そんなどうでもいいことを話しながら飲む飲み放題のお酒より、家で父とゆっくり話しながら飲むちょっといいウイスキーの方が何倍も良い。
そんなこと言うと友だちいなくなるな。笑
考えてみればアクション映画が好きなのも、少年漫画が好きなのも、好きなアーティストも全部父の影響だった。
本来は父と息子でやるようなやりとりを、好きなことを共有したりお酒を飲んで語り合う時間を、父もきっと夢見ていただろうし、そんなやりとりに付き合うとどんな時よりも父は楽しそうでいきいきしている。だからこれが私の役目だと思っている。
こんなこと父にバレたら「お前はそんなこと考えてないで自分の好きなことをすればいい」って言うと思うけど、「私の好きなこと」が今は「父の嬉しそうな顔を見ること」なんだから仕方ない。

家族で食卓を囲むのが私は好きだ。友だちと出かけても、できれば夕飯までに帰りたい。晩ご飯食べて帰ろう!と言われることももちろん多いけど、内心は少し、いや結構残念だ。
母がせっかく作ってくれる料理を食べられないのも残念。弟は食卓で隣に座っていると何度も嬉しそうに笑いかけてくれるし、いないと寂しそうにするので申し訳ない気持ちになる。父と最近のブームを話すのもこの夕飯の時間なので、それがなくなるのも残念。
毎日あるんだから一日くらい、と思うかもしれないが、その"一日"の積み重ねで"毎日"はできている。その"毎日"はいつまで続くかもわからない。

じゃあなぜ私はここまで家族に執着するのか?愛する先は友だちや恋人じゃだめなのか?
それは家族が唯一、私に100%の愛を返してくれる存在だからだ。
愛したいだけじゃない。喜んでほしいだけじゃない。すべては自分が愛されたいからしていることなのだ。
もちろん友人や恋人に、喜んでほしくて行動したことはたくさんある。それは家族相手の成功体験があるからだけど、世の中思うようにはいかない。大抵は100%の愛は50%返ってくればいい方だ。頭ではわかっていても、心が受け付けない。「この人は所詮家族以下の愛しかくれない」と思うので、恋人とは長く続かないし、友人はそれ以上に親しくはならない。
やっぱり私には家族が一番なのだ。どれだけ愛しても、絶対に100%で返ってくる。もしかしたらそれ以上かもしれない。自分からの愛を上回って返ってきたら、それはまた返さないといけない気持ちになる。そこからまた喜ばれることを考えて、返す。その繰り返しが私の幸せなのだ。


"愛能う限り大切に"できるのは、後にも先にも今の家族だけなのではないか。
もしかすると、私は母親になるべき人間ではないのかもしれない。
と、2度の『母性』を通して思った。

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