見出し画像

写真写り、本当に悪いの?

『私は、写真写りが悪い』
これはごく最近まで、信じ込んでいたこと。

写真を撮られることに、抵抗感があった。

子どもの頃の記憶がそうさせていたよう。

家族写真を父は自分で撮っていた。
父や母の実家が遠かったためだ。
当時、私たちが住んでいたのは大阪。

両親の実家は、北海道。
今ほど交通の便は良くなかった。
なので、父は自分の子どもの成長を
とにかく何かで伝えたかったようだ。
父の理想的な家族像があったようだが、
私は確認していない。
ただ、姿勢の良い姿を求められたことだけは覚えている。
『姿勢良く立て』『カメラを見ろ』などなど…
怒鳴り気味に言葉を投げつけることも。
『写真はごめんだ』の気分まっしぐら。
緊張のままシャッター切られて、表情も固く、眉間にシワもあり…
『私は写真写りが悪い』、そう思い込む。
カメラを持つ父に対しては緊張感しかなかった。

最近になって、認識を変えるきっかけに遭遇。
つぐさんこと 人柄写心家 丸山義嗣さんの
ネットライブを見た時。
『写真写りが悪いと思うのは?』の話が出てきた。
お話はこんな感じの内容だったかと…

写真写りは本人が感じていること。

実は、写真に写っているのは
『他の人から見えている自分自身』。
自分が思う『理想のわたし』とのギャップこそが
『写真写りが悪いわたし』をつくりあげている。

おや、自分の捉え方次第で『写真うつり』は決まるってこと?
そう思ったら、すーっと、落とし込めた。
それと同時に、
『つぐさんに撮ってもらいたい』
この気持ちも強くなっていた。

先日のつぐさんの100人撮影。
素のままを撮ってもらおうと、
『現在地を知りたいんです』とお伝えして撮影へ。

撮影直後にデータをいただいて、思うことがたくさん。
『おや、こんな表情まで撮っていただいて』
『この笑顔好きだな』
『わがままが過ぎるな、この二重アゴ(笑)』
『あらあら、まん丸だわ私(汗)』
良いところ、ちょっと困ったところ…
これも全部自分。丸っと自分。ということは、現在地確認、完了。
ちょっと困ったところ=写真写りの悪い私、だったということ。
あとはのび代を伸ばすだけ。
『ちょっと困ったところ』を変化させて
『もうちょっと素敵な自分になろう!』
良い機会になった。

以前なら、この気づきにすら辿り着けなかった。
どこにきっかけがあるかは、わからない。
でもそのきっかけに気づくのは、
自分がアンテナを立てているかどうか。

見つけた時に、受け止められるかどうか。
そして、委ねられるかどうか。
アンテナのサビを取り、受け止める準備を
整える。
自分を信じ、周囲の方に委ねるものは委ねる。
そうしておこうと思った。

Photo by TSUGU

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?