見出し画像

東横線と囲炉裏の家

 むかし、目黒の団地に住んでいた頃、通いのお手伝いさんがいた。幼い私はそのお手伝いのおばさんの家に、何度か預けられたことがある。

代官山の駅のそば、踏切に近い古い小さな家は、囲炉裏が切ってあって、大きな柱時計が鳴っていて、白い割烹着を着たおばさんが、毎朝箒で勢いよく畳を掃いていた。誰をも包み込むような柔和な目、母性という言葉が相応しいおばさんの笑顔は、両親から離れた私をひとときも不安にすることがなかった。

電車だ!電車だ!
家の前は、巨大な高架橋が迫っていた。

高架の上を東横線の列車が横切るのが嬉しくて、風を切って走る車両を見上げるたびに心躍った。目を凝らして見ていると、車両の中に連なる乗客の一人一人が、自分に手を振っているようだった。

その家では、おばさんの娘さんと孫のまあ坊ちゃんが毎日来て、ごはんを食べて帰るのが日課だった。
私より少し年上のまあ坊ちゃんは、お兄ちゃんらしく振舞ってるくせに、眠たくなると狭い階段の途中で駄々をこね、お母さんの膝の上で隠れるようにおっぱいを吸っていた。
私はまあ坊ちゃんが羨ましくて、その様子をこっそり盗み見ていた。

「エッチねえ」とお母さんに言われ、「エッチってなに?」と大きな声で訊いたらクスクス笑われて、おばさんもお母さんも、誰も答えてくれなかった。
記憶の中の人たちはみな優しくて、血縁がなくてもずいぶんと豊かな時間を過ごした。
それでも私は父が迎えに来ると、畳に座った父の膝の上目指して迷うことなく走って行き、大きなあぐらの中におさまったのだった。



今日、たまたま代官山で、思い出せないほど久しぶりに旧い友達に会った。
彼女の行きつけのカフェで食事を済ませた後、まだオープンして間もない蔦屋書店の中を歩きながら、学生時代好きだったハリウッドランチマーケット、ヒルサイドテラス、変わりゆく街について語り合った。

引っ越したばかりの彼女の部屋は、思いがけないほど駅のそばだった。亡くなってまだ日が浅いお父さんのマンションだと言う。
まだ生活の匂いがなかった。広いベランダからは代官山の街が一望できた。

ほら、同潤会アパートがあったのはあの辺。
踏切は、あそこにあったよね。

指差しながら、二人で上空からおばさんの家を探した。
大きな柱時計があった。囲炉裏があった。古い小さな二階建ての家は跡形もなく、木造住宅がひしめく街並みは消えていた。
そして、駐車場や雑居ビルが立ち並ぶあの場所を見下ろしたのだった。

(2017年3月14日)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?