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新しい家族に柴犬を迎えること

 ちょうど母が亡くなる一年前だ。
世界を震撼させたコロナにより、在宅ワークとなった。
3日目の朝、リモートワークのパソコンからふと目を逸らして、窓の外を眺めた。
窓外に広がる竹薮。空高く風になびく葉先に、器用にしがみつく1匹の猿。
なんとまあ、このしなやかな自然の営み。私は感嘆の声を上げたのだ。

そして、腑に落ちた。
ストンと落ちた大きな齟齬。
私、なんで自分に合わない仕事をしているんだろう。

仕事辞めよ。

答えは、直ぐに出た。

その頃母は、命の砂時計の粒が残り僅かとなっていた。
母にはずっと助けて貰っていた。

結婚、3人の子育てを二人三脚で手伝ってくれた。
今の仕事も、勿論その前の仕事も、とにかく母の助け無しには成し得なかったことだ。
子育てをしながら、情熱を注ぎ仕事をするには、誰かの助けが必要だった。
今、自分にとって、仕事と母の最後、天秤に掛ければ、どちらに傾くかは言うまでも無かった。

幸いにも母は病状の割に苦しむことは少なかった。

自己防衛本能が働いた私は、近い将来母を失い、ぽっかり空くであろう心に埋めるべく何かを、盛んに求めていた。

先ず、母が好きな花を育てた。
パステルカラーの優しいく可憐な色合いの花を選んだ。
心身共に弱っている時に、濃い色は強すぎる。だから、淡い色で、けれど優しい生命力で、エールを贈りたい。

綺麗な花に母は目を細めた。
ほー!と感嘆の声を上げてくれた。

洋裁が得意な母の爪の先ほどでも、受け継いでいるものがあればと、苦手なミシンを使ってみた。
マスクも縫えないと思われていたが、仕上げたチュニックなど見せてみると、じっくり眺めてくれ、驚いた顔をした。
何故作れるの?
洋裁学校時代の講師だった母の姿がそこにはあった。
子供の頃、家庭科の授業では、全ての先生に驚かれていたよ。
何処で習ったの?って。
私は答えた。
お母さんが東京の洋裁学校の先生だったんです。
小さな子供の大きな自慢だったのだ。
忙しいこと、自分の手仕事は、到底母に並ぶものではないこと、などなどを理由に手仕事から遠のいていたのだ。

母は、有り難いことに食欲があった。母のために手の込んだ田舎料理をこしらえた。
豆腐の白和など、自慢じゃないが今まで殆ど作ったことが無かった。面倒だけど主食になり得ない田舎料理の一品だ。

胡麻は、炒ってからすりこぎで擦る。
だから、香り高い。
それから、この地方独特の漬物も漬けてみた。

全て、母の喜ぶ顔、安堵の顔見たさにやってみたことだ。

昨年6月、誕生日を迎えた直ぐに、母は81歳の生涯の幕を閉じた。

何故花を育てたのか。

命消えゆく代わりに、命咲かせる様を見たかったのだ。
亡くなる少し前に紅い薔薇の花を植えた。

何年か経った時思うだろう。

これは、母が亡くなった年に植えた薔薇だ。などと、形容するのだろう。
情熱的に生きた母の様な紅い花を咲かせる。

けれど、残念ながら私の心は、花では埋まらなかった。
生き物、会話出来る相手が必要なのだ。

犬という選択肢は全く無かった。
我が家は、猫派。
先ずハードルが高かったのが、朝晩の散歩。
実は、母と私は、犬は苦手。
犬の匂いが苦手だったのだ。
小学生の頃の約束を思い出した。
犬を飼うのだけはやめよう。
だって匂いがするから。

お母さんも、苦手。

私は安堵したものだ。
良かったと。

なのに、何故今頃になって、犬を迎えたのかは分からない。
父が案外犬好きだったことが幸いした。父は、生き物全般好きなようだ。
昔から、迷ってきた野生動物を育てたりしていた。
梟、穴熊。
野生では無いが、烏骨鶏、池には鯉。
猫を貰ってくるのは、決まって父だった。
穴熊は雄か雌かよく分からなかったが、アナコと名付けられていた。
穴熊のアナコ。
今でも、それだけで笑える昔話。

話しは大きく逸れてしまったが、母が亡くなった後、彼女が苦手とする犬を迎え入れたことは、なんとも運命の悪戯としか思えない。

長くなってしまったが、自分の年齢、犬の寿命をよくよく考えて、飼うことに決めたのだ。

人間より遥かに早く一生を駆け抜ける。彼らを看取った後の喪失感については、先案じしていた。
だから飼いたくない。

おかしな話しだが、母を失った今、もう怖いものは無かった。
大事な人を失う痛みを経験し、免疫をつけたと自分では思っている。
そして、大袈裟だけれど、生涯最後の相棒として、柴犬のKO KOを選んだ。 
純日本男子だというのに、ハワイ語で名付けた。
KO KOとは、虹色という意味らしい。

心は虹色。

くぐもった私達の心を明るくしたいという願いを込めて付けた名前。

KO KOは、何を思っているんだろう?と、父に聞いた。

何も思ってないよ。
美味しいご飯をくれて、散歩をしてくれて。
自然たっぷり。走り回れる広い庭。
最高に良い所に貰ってもらえたと思っているよ。

そう父は言った。

KO KOは、多分お父さんを知らない。
お母さんとも、兄弟とも離れた。
ひとりぼっち。
だから、大事にしよう。


昨晩、今晩と、何故か甘えて抱っこをねだる。

抱っこして、ゆらりゆらりとする。
子育て時代を思い出す。
体重を測る。
なんと、9kg。
大きな赤ちゃん、もうねんねの時間だよ。

おやすみなさい、また明日。

私は、毎日KO KOと話す時、母を思い浮かべる。
だって母の代わりだもの。
ねぇ、KO KO。

これから、沢山思い出を作ろうよ。
野山を駆け回ろうよ。
美味しいものを食べようよ。
一緒にお昼寝しようよ。
ずっと元気で、相棒でいてね。
小首を傾げてこちらを見る、
そんなKO KOが大好きなのだ。


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