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Inspiration

ペットだとかの愛玩動物の名前には、それ自体が持つ風体だとかが大きく関わっていることがよくあると思う。
その中でも、最もポピュラーな命名はインスピレーションによるところが大きいと感じる。
例えば、猫ならタマ、犬ならポチ、とか。
パッと想像して反射的に名付けるくらいみんな朝飯前だろう。

それを我が子に当てはめてインスピレーションで決めた、ある親がいる。

その男は齢30にして初出産に立ち会った。
きっとその情景を残したかったのだろう、ビデオカメラを用意していた。
今でもたまに見返すが、1990年代の代物だということが、画面に度々出てくるうざったい白い横線で理解できる。

「うわっ、ちょっとダメだわ。。」

母に対して声援を送る白衣の天使たちの歌声を拾うなかに、今にも嘔吐しそうな男の息遣いの声が混じっていた。
その声の少し後、カメラマンは交代したのだろう、先程とは打って変わって、しっかり手ブレが補正されていた。さすが天使。

そこから約5分後、我が人生最初で最後の肺呼吸の雄叫びをカメラは拾っていた。

「あっ、パパ!」

天使の驚嘆が詰まった声の後、再び画面がブレ出した。
その後、産まれたばかりの私と母の2ショットを映し撮影は終了する。

一方その頃、父親は行方不明になっていた。
便所にいるだろうという予想は外れ、探しに行ったスタッフは右往左往していたらしい。
しかし、遂に発見する。

男は喫煙所で、紫煙を燻らせていた。

「産まれましたよ!」

「ありがとうございます。すぐ行きます!」

しかし、男は一服をしっかり燃やし尽くすまで母の元には行かなかった。
その間、男はインスピレーションを働かせていた。約5分で平均80年ほど使う名称を決めていた。

「ケント」

これが男のインスピレーションの結果だった。
出生届を提出するまでの僅かな期間に、画数だとか姓名判断、漢字等々をギリギリまで思案し、良名とされている字をつけた。
愛煙家なら気付く人も多いかもしれないが、男は自分の好む銘柄を名付けた。
その決断を決定的なものにしたのは、病院スタッフが呼びに来たタイミングでケントマイルドを吸っていたから、ということらしい。
初耳時には、目が点になった。
嬉しくもなく、悲しくもなく、なんとも言えない感情がそこにはあった。
ただ、親族の披露宴で泥酔し、習い事の後、遅れてやってきた私に向かって「ケント〜、お前は酔った勢いで出来ちゃったからさぁ〜」とか言う、バンドマン時代のパンク精神が根強く残る親父だったので、さほど不思議ではなかった。もちろん、その発言の後、彼は母にしっかりと右ストレートを2、3発もらっていた。
我が家にとってはよくある光景だったので、そそくさとブッフェ形式の料理を取りに行った記憶がある。

そんな男前な母。
命名時についてどう思ったのか聞いたことがある。
「なんか外国の人とかにもすぐ覚えてもらえそうじゃん?グローバルで良い感じだから特に反対しなかったよ。」
確かに一理あった。
海外へ留学に行った際、他の日本人たちよりも早く名前を覚えてもらえた。その点はこの名前でよかったなと思ったことの1つだった。
ただ唯一、命名時に親父にグッジョブと言えるなら、『マイルド』を取らなかったことに対してくらいだと思う。

これが私の由来である。
この話を人に話していると、そんなネタみたいなことあるのか、といった雰囲気で聞かれることがある。

この話にはシーズン2がある。

私が産まれてから3年後の春のことである。
母は再び分娩室にいた。
父は今度こそ最後まで見届けようと、必死にビデオカメラを回す。

「はぁー、またか。」

どこかで聞いた覚えのある、今にも嘔吐しそうな男の息遣い。
再び画面がブレだす。
再び白衣の天使がしっかりと撮影をする。
そして、弟誕生。
再び父を探すスタッフ。

やはり男は喫煙所にいた。

「産まれましたよ!」

「ありがとうございます!すぐ行きます!」

すぐに行くわけがなかった。
男はショートホープで一服を燃やし尽くした。

歴史は繰り返された。

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