見出し画像

「英国王のスピーチ」から思い出すハハキコウヘイ

先日、英国王のスピーチという映画を見た。父が偶然BSの録画を残していたのだ。その日は風邪気味で外に出る気にもなれず、これ幸いとこの映画を見ることにした。映画の内容は、ざっくり言うと、吃音のジョージ6世がいかにして、吃音とそして自分と向き合ったかを描いたものである。実際にあった話に基づいているので、劇的な展開があるわけではないが、国王が一歩ずつ「話す」という行為に向き合う姿が切実で印象的であった。

さて、映画の話はこの辺にして、映画を見ながら感じたこと・思い出したことについて綴ってみたいと思う。

私は吃音ではないが、小学生になるくらいまではSの音が非常に弱かった。今でも、気を抜くとSの音が弱くなるので意識して発音している。

映画を見ながら当時の記憶が蘇ってきた。一番古い記憶で私がこのSの音に悩んだのは、幼稚園のお遊戯会だったと思う。どういう役でどういうセリフだったかまでは思い出せないが、その記憶の中で私は先生と台本を持って何度も同じセリフを発音している。そして、何度発音しても上手くいえない。そんな光景が薄らと頭に浮かんだ。父や母と話していて、小さい頃の話になると、名前が歯抜けのような子音の抜けた発音になっている時期があっとも聞いた。それが、ハハキコウヘイである。ササキコウセイのサはハに、セはへに。当時の印象としては何度発音しても思うように発音ができなかった。幼稚園で先生と二人で練習して、いじけているのもそのせいだと思う。どうすれば、正しい発音になるのか。

もっと言えば、当時の自分には自分の子音の弱い発音が周囲の人が聞くようには聞こえていなかった。これが結局改善できない理由だったと思う。自分の声を客観的に聞けていない。修正できるわけはなかった。自分の声を聞く、それも周囲の人に聞こえている形で。これは日常ではあまり機会がない。声を職業にする人でなければ、わざわざ自分の声を録音して聞くことはないだろう。

こういう話を父から聞いたことがある。生まれつき全ろうの子は自分の声を聞いたことがないために上手く発声ができない、と。私も専門家ではないのでその詳しいメカニズムは分かりかねるが、おそらく発声時に使用する筋肉と実際に聞こえる音との関連がないために、声の出し方が感覚的には掴めないのであろう。

父は言語聴覚士で、耳の不自由な子らに声の出し方、筋肉の使い方を教えていた時期がある。だからか分からないが、ぼそぼそ喋ると今でもはっきり喋るように助言される。私は自信がないときに特に文頭をフェードインさせるようにぼそぼそ話し始めるので、気をつけるようにしている。

発声をする上で、自分の声を聞くことがいかに重要なのか忘れてしまいがちである。特に自らの第一言語に慣れきるとそんな気がする。周囲もネイティブだと、多少粗のある発音でも意味を拾ってくれる。しかし、人前で話す機会や他言語に触れる機会によって、急速に自らの発する言葉の音に関心が向く。自分の声は、言葉はどのように響き、どのように伝わっているのだろうか。

私は人前で話すプレゼンがあるときは、録音するようにしている。プレゼン時間の確認がてら自らの発音を確認する。いくらやっても自分の声を聞くのには抵抗はあるが、思いが正確に伝わらないのももっと嫌である。

それから英語のスピーキングでも録音をして練習をする。父にその練習法を勧められた。思ったより自分の発音は良くないものだから、録音して把握するといい。自分に聞こえている発音と外に聞こえている発音。その擦り合わせこそがスピーキングの練習だと思っている。

まとまりのない文章だが、映画をみてポツポツと思い出したことだからしょうがない。とにかくはっきりもの書いて、ものを喋る、これが今の私には必要らしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?