【同性婚】のマスコミ報道に怒る

本件はABEMATIMESの記事についての投稿です。
こちらから読めます。

マスコミの報道にも色々あるのだと思います。分かりやすい説明のために詳細を省いたり、国民を煽るような見出しにしたりとかです。
しかし、国の訴訟関係の報道には本当にあきれます。経緯や主張をまるで読んでいないようなニュース構成と、そんな薄っぺらな報道に騙された個人の「国の○○という主張はダメだと思います」というような構成。私はAbemaTVによく登場するテレビ朝日の田中萌アナウンサーは個人的に好きなのですが、だからこそ素人回答をされるとがっかりしてしまうのです。

・ガッカリ点1見出し
「結婚の目的は“子どものため”!? 同性婚訴訟で飛び出した国の主張に波紋…」
こんな見出しを見てどう思うでしょうか?
「子供を作れないカップルに結婚するなと言うのか?!」とか
「国は子供を作る夫婦にしか婚姻を認めないのか?!」
とか思いつきますよね。みなさん騙されてますね。
国はそんな煽り文句を言いたいのではなく、訴訟の中の争点で争っています。
これは「地裁判決ではまるで異性のみの婚姻の規定に差別的取り扱いがあるかのように語られました。けど違うんですよ、異性のみの婚姻の規定はこんな合理的根拠があるんですよ、例えば・・・」という趣旨で語られ、「慣習的に、子を成せる男女に保護を与えるべきという伝統、慣習が具現化されたのが婚姻ですよ、ほら偉い人もこんなこと言ってますよ」という論理展開の中で「生殖に結び付いて理解される異性間の人的結合関係を前提とした制度として婚姻を定めている。」(原文)と言っているだけなんです。
さらに補足で「また,本件規定は,その立法目的が夫婦間の生殖及びそれによる子の 養育を要素とするものであるからといって,婚姻をした夫婦に子を産み育てることを強制したり,義務付けたりするものではなく,子を産み育 てることは婚姻をした夫婦の意思に委ねられるべき性質のものであることに変わりはない」(原文)なんてのも言っています。
「そうあるべきだ」論を展開したのでなくて「こうして発展した」論を展開して「だから一定の合理性がある」という結論に繋げたいのだというのが分かります。

・ガッカリ点2方向性の迷子
「東京地裁では今月9日、国側が婚姻の目的について「自然生殖可能性のある関係性の保護だ」とし「同性婚では子を産むことはできないため、結婚を認める必要はない」との主張を展開」(原文)
上述しましたが、婚姻の目的が「自然生殖可能性のある関係性の保護だ」なんてのは解釈の飛躍ですよね。そんなこと言ってません。
お次の「同性婚では子を産むことはできないため、結婚を認める必要はない」についてなんですが、これは裁判の方向性を理解していないと言わざるを得ません。あくまで、原告が主張しているのは「同性婚を認めないのは憲法違反で、立法しないのは国家賠償法違反、だから請求する」ってことであって、国は「同性婚を認めないのは憲法違反ではない」とか「同性婚を認めないのは国家賠償法違反ではない」とかを主張しているんです。ここで、「違反ではない」という文言に注目してほしいのですが、論じるべきは「違法性・違憲性の有無」(消極性)であって「憲法に適った法律であるか」(積極性)ではないんです。報道ではまるで「子を産めない婚姻は認める必要がない」と言っているように聞こえますが、そもそも国は「婚姻がどうあるべきか」なんて議論していないんですね。

・ガッカリ点3不勉強
「訴訟に注目してきた「ニッポン複雑紀行」の望月優大編集長は「札幌地裁判決は歴史的なもので、今後、他の地裁や高裁でも踏襲されてほしいと思っている。また、24条の条文の解釈について、必ずしも“両性”=“男女”と読まなければならないわけではないという見解が多く、国も含め、同性婚を認めるような法律を作ることが憲法24条に違反するという意見は多くない。そこを区別することは重要だと思う」と話した。」(原文)
「両性≠男女」ね、法律家の中では昔から反論なしの統一見解なんですよ。今更画期的解釈のように取り上げるほどのことではないんですよね。

・ガッカリ点4以上のガッカリ点を基にした感想
①「“社会的承認がない”という国の主張は、権利を認めてほしいと活動しているあらゆるマイノリティの方々を排除するような、ひどく乱暴な言葉だと感じた。出産についても、自分たちの意思でしないということと、できないということは違う。やはり苦しんでいる人たちへの差別を助長してしまうかのような言葉を使っていることに驚いた」(原文)
②「今回、国は“軌道修正”をしてきた。つまり、今までは“子どもを産み育てることが目的だ”と言っていたが、“子どもを産み育てることは必要ない”と明確に認めたということだ。そうであれば同性カップルを結婚から排除する理由はないはずなのに、“生物学的な生殖可能性”という、憲法にも法律もない新しい言葉を持ってきた。私たちが“なぜ男女だったら結婚できるか”を問題にしているのに、“男女だったら結婚できる”という結論を繰り返しているわけで、論理が破綻している。しかも、主張自体が差別的で、原告やその背後にいる多くの性的マイノリティの方が聞いたらどれだけ傷つくだろうか。法廷で強く抗議した」(原文)
③「ひどい話だと思う。男女のカップルであっても、結婚しないことを選ぶとか、経済的な理由で出産することができないとか、いろいろな形があるわけで、結婚と出産は必ずしもセットではない。異性愛のカップルに対してもプレッシャーをかけるような問題で、受け入れてはいけないと思う。また、身体的な理由から考えても、例えば60歳代の男女が結婚することは認められているわけで、やはりセットではないことは明らかだ。これだけ反駁が不可能な論理を持ち出すということは、逆に言えば国がやっていることを正当化する手段がこれしかない、つまり非常に苦しい立場に追い込まれているということではないか」(原文)

ある意味で、乱暴な編集の犠牲者とも言えます。簡単に説明すると
①社会的承認が無いから司法府で早急な判断をすべきでないという話で、マイノリティーの人たちの努力を認めない発言ではない。出産をするしないが無関係なのは上述のとおり。
②伝統的に、出産可能性がある男女の保護が婚姻の基であって、それを根拠に婚姻制度が差別的でないという主張をしているのであって、「男女だから結婚」という伝統を踏まえての主張におかしいところはないだろう、もちろん、この主張が裁判官に認められるかは別。また、差別的な主張なんてのもしていないのは前述のとおり。そもそも、民事裁判の「主張」とは法廷の口頭の論戦を意味するわけではなく、文書の提出で行われるため、文書の内容がきちんと読めれば差別的な意図は伝わらないはずで、まるで法廷で原告の性的マイノリティーの人たちが罵倒されたかのような印象を与えてますよね、この弁護士。
③結婚と出産が別なのは上述のとおり。ただ、伝統としてそのような解釈があることに疑問はないはずだ。

こんな感じなんですが、マスコミの報道がひどいって話、分かってもらえたでしょうか?私は法務局職員で、一歩間違えればあの法廷にいるかもしれないんです。それでこんな偏向報道されちゃあ、刺されかねない恐怖も感じるわけです。うーん、困ったなぁ

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