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成長至上主義思考への偏重に抗う

イキったタイトルをつけたことは置いておいて、このことに気づけたのは本当によかった。

また気づかないうちに他人の価値観を否定するところだった。

「自己成長を目指して、毎日コツコツ努力する人はカッコいい。」100%賛同する。

私自身も、将来国際機関で働ける語学力をつけたいと思っているし、専門的な知識も身につけたい。努力と呼ぶのはまだまだおこがましいが、それでも日々成長していきたい。そう考えている。

Twitterでフォローしているアカウントも、成長志向の人が多い。例えば、どん底から這い上がり、起業して大成功した人。PDCAを回して常に自己研磨に励む人。そんな人たちで溢れかえっている。そうした人たちを尊敬するし、本当にカッコいいと思う。

ただ最近、ずっとモヤモヤしてたことがある

成長志向=絶対「善」

成長するために日々努力して、ストイックに生活することが「あるべき姿」だ。その様な流れが社会にできつつあるのではないか。

裏を返すと、「自己研磨に力を入れない奴はダメだ」という風潮である。

「あいつはゲームばっかりしてるからダメだ」「貴重な朝の時間を寝ることに使って何してるの?」そうしたツイートを見たことがあるし、自分の周りにもそうした発言をする人がいる。

不覚にも、最近まで自分自身も、毎日目標を持って努力することこそが大切で、ダラダラ過ごしてる人を見ては、「何してるの?」と思うことがあった。

でも最近気がついたことがある。

自分は、他人の生き方を自分の価値観で判断する、愚か者ではないか

ということに。

世界にはいろいろな価値観を持って生活している人がいる。もちろん、成長志向を持つ人はその一部だ。

一方で、日々自分が楽しいと思うことをやりたい。そういう価値観を持っている人もいる。毎日ゲームして生きることが自分の生き方だ。そういう人がいてもなんら不思議ではないし、その生き方を自分が否定する権利はない。

「自己研磨に励まない奴はダメだ」

そんなことがどうして言えるのだろうか。

自分の持つ価値観で、相手の価値観を否定する権利はどこにあるのだろうか。

そんな権利はどこにもない。

成長志向を持つ人は、あらゆる価値観を持つ人たちの一部に過ぎない。私もその一部だ。

成長志向=絶対善

自分の中にその価値観を留めるのであれば何も問題ない。ただ、その価値観で他人の生き方を判断する。価値観を押し付ける。それは果たして「善」であろうか?

無意識のうちに他人の価値観を否定する。

往々にしてあることだ。

最近このことに気づけたことは、本当によかったと思う。



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