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病気を通して家族との向き合い方を考えさせられたりするよね

母の手術が無事おわった、
と弟からメッセージが来た。わたしは文面通りに受け取って胸をなでおろしたけれど、
「無力さを感じたよ」「会いにきてやってくれ」
とメッセージが続く。

母の容態はもちろんだけど弟の様子も少し気にかかったので「明日いく」と返信し、弟と2人でお見舞いに行くことにした。病院は一日一組2名までしか面会ができなくて父が今回は姉弟で行ってこいと譲ってくれた。

うちの家族は仲が悪いわけではないけれど繋がりが薄いというか『別の人間だし別の生活があるよね』と割り切っている感じがあって滅多に連絡も取らない。
だけど今回のように親が病気をしたとかそういうときは現在実家にいる弟が電話をくれる。弟とわたしは普段連絡こそ取らないものの、二人で出かけたりカラオケにいったり出来るくらいに仲はいい。


弟は子どものころ、入院や手術を何度か経験していて死線をさまよったこともある。

わたしがディズニーランドに行っている間に彼は突如病院に運ばれ「今夜がヤマです」なんてドラマでしか聞いたことのない台詞を両親は告げられたりした。
わたしは15歳以下という理由で病棟に入ることすらできず、何が起きているのか訳が分からないまま家で待つしかなかった。
小さい頃喧嘩の中で「しんじゃえ!」と弟に言ったことを思い返してボロボロ泣いた。なんであんなひどいことを言ったのだろう、と。


神様、どうか。もう一度弟に会わせてください。
大事なきょうだいなんです。
もう絶対に喧嘩なんてしません。
一生大切にしますから。
無事にうちに帰してください。
どうか、どうか。


奇跡的に回復して退院した弟の顔を見てわたしは幼心に当たり前なんてないのだと学んだ。
わたし達はその後一度も喧嘩も言い争いもしていない。

元気になりすぎた彼は中学からはヤンチャ(という表現だと可愛らしすぎる素行の悪さ)をし始め、大怪我をして血まみれで帰ってくることも多々あった。
病気やら怪我やらで病院と縁がある彼に対し、健康そのもので大きな怪我もしたことない姉。


そんな姉は今回のお見舞いですらソワソワ、オロオロと狼狽えるばかりだ。
病院という未知の世界に困惑する情けない姉の代わりに、テキパキと面会の手続きや部屋番号の確認、看護師さんたちへのご挨拶をこなしてくれる弟はたくましい。


母の病室に向かう道すがら、弟がポツリと話し始める。

「病気、代わってやりたいって気持ち分かったよ。」
「無力なもんだね」
「俺はいままで病気する側だったから…」


祈ることしかできない側に立ってみて、思うところがあったらしい。当時どんな思いで母が待っていてくれたのか、少しわかったようだった。

手術当日は父と弟が立ち会ってくれたのだが
手術が終わって出てきた母はまだ麻酔でぼうっとしながら、息子の顔を見るなり手を伸ばしてハグをしたそうだ。ぽろりと涙を流しながら。

「『頑張った頑張った』なんて声かけながらハグしてさ。俺、かーちゃんに触れたの何年ぶりなんだろう、って思って…。」


エレベータに乗りながら、わたしも最後に母にちゃんと触れたのはいつだろうかと考える。

それと同時に、弟の言葉から感じる母への気持ち ―それは感謝や贖罪や愛情だったりするー に触れて、わたしがひとり悠々自適に暮らしている間に彼に多くを背負わせてしまっているのだと改めて思った。


病室の母は、儚く見えた。
目がとろんとしていて、話し方もゆっくりで、動きは緩慢で。どうやら血圧が上で50くらいしかないらしい。


入院する前は「悪いところはまるっと取ったほうが安心だわ~!」なんてケロッとしていた母が


「あなたたちが育った場所、なくなっちゃったね」

と、悲しげに笑った。

あぁやっぱりそうだよな。
役目終えてるから要らない、なんて笑っていたけれど、あの臓器をなくすということはきっと女性にとって色々な気持ちがあるに違いないのだ。

なんて声をかけるか考えあぐねていると、

「俺たちのふるさとな!でもとーちゃんの方にまだあるから!!」

と弟がケラケラ笑いながら言った。
母も「そっちでは育ってないじゃーん」なんて笑った。

母の傷跡は思ったより範囲が大きく、わたしは「おお」とびっくりしてしまったのだけど。
弟はいきなり自分の服をべろりと胸の上までまくり胸とお腹の大きな手術痕をおっぴろげて言った。

「俺の傷ってどっちも縫合が雑だよなー?」

「かーちゃんの傷は回復早そうって看護師さんがいってたから、きれいに縫えてるんじゃねーかな!」

こういうとき、この子はほんとムードメーカーなんだよなぁって思う。
わたしは母にとって「相談相手」にはなるけど、こんな風に癒して笑わせてあげることはできない。



乾燥で体が痒いという母に、買ってきたボディクリームを手渡す。ふと道中の弟の言葉が頭をよぎって、母にひとつ提案をした。

「わたし、塗ろうか?」

最後に母の肌にしっかり触れたのは、わたしもきっと大分前だから。
もしかしたら小さな子供のときかもしれない。

「ありがとーおねがいー」という母の脚に腕に腰に、クリームを滑らせる。

なんだか少し気恥ずかしかったけれど、大事な時間だと思った。無事に手術を終えてくれて今こうして目の前にいること、当たり前だと思ってはいけない。


休暇に入るし、また近々お見舞いに行こう。
またクリームを塗ってあげよう。
今度はもう少し優しく丁寧に。


そしてたまには実家に帰って、
弟ともゆっくり会話をしたい。
父とも、もう少し会話をしてみよう。


病気をきっかけにしないと大切なことに気づけないようじゃ、だめだから。

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